01.

 いつの世でもはっと人目を引きつけるもの、健康的で華やかな若い娘。明るい色の衣装に身を包み、その衣装に劣らぬバラの頬に笑みを浮かべ、裾を軽やかに靡かせながら歩く姿には、ローダンの考える人でさえつい顔を上げずにはいられないであろう。
 近頃のホーテンダリアでは、そんな花のような娘達がとみに増えている。まず裕福な家が増え始めたのだろう。以前は街を練り歩く者といえば下級層の貧民たちで、ミルクやパンを売ったり手摘みの花を売ったりしているのがせいぜいだったが、今ではまるで様子が違う。馬車を乗り捨て若い娘たちが数人連れ立ち歩いているのも、もはやこの街では珍しい光景ではない。ホーテンダリアには多数「名物」が存在するが、彼女達はその一つに違いなかった。
 しかしいかな彼女達といえど、この街一番の座を手に入れることは叶うまい。ホーテンダリアの街角に潜む怪しい影――そう、「この世ならざるもの」達こそが、この街のこの街たる全てと言っても過言ではない。「もの」はずっとこの街に息づいてきた。そしてきっと、これからも。
 そんな「この世ならざるもの」達は、不意に現れては消えていく幻のような存在だった。周りのことなど目にいれず、自分勝手に気ままに振る舞う、まるで子供のような存在。人々は彼らの気まぐれに、時に振り回された。だが確かに共存していたのだ。――あの時までは。
 「白の花嫁」がホーテンダリアの住人たちに与えた衝撃は並々ならぬものだった。初めて人の命を奪う「もの」が現れた。にわかには信じられなかった人々も、犠牲者の数が増えるにしたがって、己よりも事実を信じるほかなくなっていく。その白く美しい手にかかった者の数が十を超えたとき、もはや疑う者はどこにもいなくなった。
 その後も命を奪う「もの」は度々現れるようになった。古の悪魔、呪われた楽譜……。もう「この世ならざるもの」は、気まぐれに吹き抜けるそよ風ではなくなった。漠然たる悪意を以って人々に襲い掛かる化け物ども――住人達の意識は、そう変わりつつあった。
 「もの」の脅威が落ち着くたびに、また新しい「もの」が現れ人々を脅かす。その繰り返しだ。
 そして今再び、新たな脅威がが人々を浸食しつつあった。
 狙われたのは他でもない――この街を彩る、若く華やかな娘達である。

 初めのうちは誰も気づかなかった。
 街でも評判の美少女が突然の病に命を落とした――それはいわゆる佳人薄命の悲劇として慎ましやかに噂されたが、「この世ならざるもの」の仕業であるなどとわざわざ考える者はいなかった。二人目の死者が現れた時も同じだった。それほど間を置かず病で夭折した美しい娘たち、人々は嘆きこそすれその原因について考えることはしなかったのである。
 事態が動き始めたのは、若すぎる娘の死が五人目を数えた時だった。ほんの数ヶ月のうちに次々と病に倒れる娘たち。揃って裕福な家の出で、家族は目に入れても痛くないというほど可愛がっていたという。その幸せが面(おもて)ににじみ出るのか、娘たちの笑顔はいつでも人々を魅了していた。
 相次ぐ娘たちの死には何か原因があるはずだ、初めにそう言い出したのは誰であっただろうか。いずれにせよ皆が漠然と彼女らの死に疑念を抱き始めていたのは間違いない。もちろんその頃には「この世ならざるもの」が人の命を奪うことは新たな常識となっていたから、怪死の原因をそこに見い出そうとする流れはごく自然に出来上がっていった。
 しかし分からないのは、一体どんな「もの」が街を徘徊しているのか、そこである。新しい「もの」が現れるとたちまち街中に噂が広まるはずなのに、今度はそれがまるでない。全く姿の見えない殺人鬼――それほど気味の悪いものはなかった。
 リアンにとっても頭の痛い問題だった。
 不可解な死の噂を聞いて、ただ黙って過ごしていたわけではない。リアンは行き過ぎた「この世ならざるもの」の行動を抑えることのできる唯一の住人だ。その能力を見込まれ人に依頼されることもあれば、自ら動いて「もの」を諌めることもある。「もの」に関することで彼女の右に出る者はいないと詠われているというのに、そのリアンでさえ、今回の事件については解決の糸口すら掴むことができずにいるのだ。一体何が原因で娘達は次々と命を落としているのか? 本当に「この世ならざるもの」の仕業なのか? だとしたら、一体どんな「もの」が彼女達の死に関わっているのか? いくら考えても謎は深まるばかりである。リアンでさえも分からない、その事実は誰よりもリアン自身を不安にさせた。

「どうだ、あれから。何か情報を掴めたか?」
 挨拶もない突然の乱入者に、リアンは手元の文献から顔を上げた。
 リアンの営む小さな骨董屋に、顔なじみのセシルがやってきたのである。彼はこの街の自衛団に所属していて、街の見回りついでにこうして骨董屋に顔を出すことがある。といっても二人は別段仲が良いというわけではなく、むしろどちらかといえば仲が悪い。二人の意思に関わらずいつの間にかつるむことになっている、「この世ならざるもの」繋がりの腐れ縁というところだった。
「特に、なにも」
 リアンの返事はこの上なく素っ気ないものだ。しかしセシルは、もはやその程度のことで目くじらを立てたりしなかった。
「一連の話が『もの』繋がりだってことは間違いないんだろう?」
「そんなの、『もの』に直接聞いてよ。私だって分からないわ」
「そういう前提でお前が動いてるんじゃないのか」
「じゃあそうなんでしょ。分かってるならいちいち聞かないで」
「お前な、苛ついてるからって人に当たるなよ」
 当たっていない、とはさすがのリアンも言わなかったが、代わりに鋭くセシルを睨み上げた。セシルは軽く肩をすくめ、手にしていた資料をどさりと机の上に放り投げる。
「……なに、これ」
「六人目の犠牲者が出た」
 瞬時にリアンの表情が強張る。
「また今までと同じ、裕福な家の『美少女』だ。数日前に突然発熱し、そのまま高熱にうなされ今朝息をひきとった」
「……五人目の犠牲者が出てから、一週間」
「そうだ。たった一週間の間にもう次の犠牲者が出た。お偉い方も必死だよ。よりによって上流階級の娘ばかりだからな。俺たち自衛団にも街の警備を強化するよう通達があったが、そんなことをしても何の意味も無い。皆病気で死んでるんだ、何をどう警備しろって言うんだかな」
 セシルは軽い調子で皮肉ったが、リアンは難しい表情を崩さなかった。
「『この世ならざるもの』で六人の死者。数が、多いわ」
「『白の花嫁』以来だな、ここまでの数に達するのも」
 リアンは手元に放られた資料を手に取りページをめくる。目新しい情報は特に無く、今までに何度も耳にしている話ばかりが文字となって連なっていた。そう、何もかも全く同様の条件――間違いなく彼女もまた怪死の犠牲者の一人ということである。
「ん?」
 と、そこへリアンが奇妙な声を上げた。視線は手元の資料に注がれたままだ。
「ちょっとセシル、これ」
「なんだ」
 リアンが資料の一節を指差す。犠牲者の家族の話についてまとめられた箇所である。娘が死んだ二日後、非常によく描かれた娘の肖像画が玄関先に立てかけられていた、とある。差出人の名はなく、一体何者が持ってきたものかも分からない。おそらく追悼の意を表して善意の誰かが描いてくれた物なのだろうが、あまりに娘に生き写しで、今はそれを直視するのもつらい――。
「そんな絵があるだなんて。セシル、何か聞いてる?」
「いや、特には何も聞いていないが……。それ程重要なことなのか? 絵以外にも花束やら何やら、遺族には連日届けられているようだが」
「重要かどうかはともかく、引っかかるわ。考えてもみてよ、犠牲者が亡くなった二日後に絵が届けられたんでしょう? 生き写しっていうほどよく描き込まれた絵を、一体誰が匿名でたった二日の間に書き上げるっていうのよ」
「そう言われてみれば、不自然な気もするな」
「他の遺族にも当たってみて。同じような絵が届けられていないか、確認してほしいの」
「……分かった」
 セシルは小さく頷くと、さっと踵を返して出て行った。こういう時、彼のように機動力のある人物は重宝する。自衛団員という仕事柄、一般人では踏み込めないところまで突っ込んで探ってきてくれるのだ。おそらく今夜中には答えを持って再び扉を叩いてくれるだろう。
「さて――やっと掴んだかもしれないわね」
 リアンはぐっと唇を噛みしめ、前方を睨みつけた。

 空がしっとりとした黒一色に染められた頃、リアンはひたすら絵画に関する文献を読み漁っていた。
 セシルの回答を待つまでもなく、鍵は「絵」にあると彼女の直感が訴えかけているのだ。やっと、やっと掴んだひらめき。それを大切にしなくては。
 何かしらの手がかりが文献の中に埋もれているとも限らない。それに賭ける思いでリアンはまたページをめくった。
「何の当てもなく文献をやたらと引っ張り出したところで、無駄骨を折るだけかもしれんぞ」
 そんなリアンの気勢を削ぐ無機質な声が、リアンの背中にかけられた。ゾメニパリオンである。すかさず振り返り、見た目は可憐な人形以外の何者でもない古の悪魔を睨みつける。だが、ゾメニの話はこれで中々軽視できないものがある。何百年という悠久の時を過ごしてきた――と伝承にある――だけあって、その知識量はリアンさえも凌ぐ。
「どういうこと?」
「俺も色々と知っている話を思い返していたが、美しい娘を殺す画家なんてのは、この街の歴史上特に記録に残っていないはずだ」
「何か他の目的があって、それにたまたま付随して美しい娘が死んでいるのかもしれない。それに『もの』は画家とは限らないわ、絵と関係がある何か別のものかもしれないし……」
「リアン」
 名前を呼ばれ、リアンは口をつぐむ。
「何をそんなに焦っている?」
 ゾメニは殊更無機質に言い放った。
「な、なによ」
「お前には、『もの』を感じる能力がある。今までだって事件が起こるたびにその能力が導いてくれたのだろう。闇雲に動いているようで、実はもうお前は感じていたはずだ、どこに探している答えが潜んでいるのかを。だが今のお前は、膨大な量の文献の前で、ただ途方に暮れているだけのように見える。未だはっきりとは見えてこないのだろう? ならば今は、まだ時がやってきていないのだ。それなのに何をそんなに焦ることがある」
「解ったようなこと言って」
「ああ、俺は解っているからな」
 リアンは言葉に詰まって口を閉ざした。
「俺はお前以上にこの街のことを知っているぞ。そういう存在なんだからな」
「……」
「――『もの』が人を殺し始めた時点で、既に『もの』の法則は崩れた。文献に必ず登場する、この街の歴史上の、伝承上の存在だけが『もの』になるとは限らなくなったのだ。全く名のない、誰の記憶にも留まらなかった存在が『もの』と化すこともある。もはやお前の常識の通用しない世界に、『もの』は足を踏み込んでいるんだ」
「……そうよ、私は焦っているわ」
 リアンは拗ねたように頷いた。
「私の常識を超えた世界――そういう領域に『この世ならざるもの』は辿り着いてしまった。だから私は焦っているの。そのうち、私じゃ追いつけなくなるかもしれない。どんどん力を増していく『もの』たちに、私じゃ対抗できなくなってしまうかもしれない」
 初めてとも言えるリアンの弱音に、ゾメニは押し黙った。ちょうどそこへセシルが駆け込んできたので、そこで自然と話は立ち消えになってしまう。
「リアン! 犠牲者五人の遺族全員に確認してきたぞ」
「! それで、どうだった?」
「ああ。全員のところに絵が届けられていた。他の遺族たちも、追悼品だと考えたり誰かのいたずらと考えたりで重要なものだとは思わなかったらしい。だから他では報告にも上がっていなかったんだ」
「やっぱり……」
「これから訪ねて絵を見せてもらいたいとある遺族に頼んであるが、どうする? 遅い時間だが行ってみるか?」
「行くわ」
 リアンはすぐさま立ち上がり、ソファにかけていた外套を手に取った。
「……分かってる、弱気になっても仕方がないってことは。でも――もう、限界なのかもしれない」
 ぽそりとリアンは呟いた。セシルはその言葉に一瞬眉をひそめたが、触れてほしくないというリアンの意図を感じ取ったのか、特に何も言わなかった。ゾメニも静かな瞳で、去っていくリアンの後姿をただ見つめていた。