back
先生と私

 先生のこと、と言われて私がまず思い浮かべるのは、あの広い背中だ。
 私はいつも先生の背中ばかり見つめて過ごしていた。小さな文机に向かってひたすらだんまりの先生は、めったにこちらを振り返ることがない。私に用事があるときも、机に向かったまま「お茶」「腹減った」と呟くだけで、ちらとも視線を寄越さない。だから私は、先生の後ろ姿からその時々の気分や感情を判断しなければならなかった。首の後ろをちょいと掻いていれば、参ったなぁと途方に暮れているのだし、あぐらの膝上を指先でとんとんとやっていれば、こん畜生と苛立っているという具合である。
 といって、先生が物書きによくある偏屈で頑固な変わり者かと言えば、そうでもなかった。変わり者であることはどうにも否定できないが――机から離れた先生は、割合優しく付き合い易い。よく飴玉を袖の袂に潜ませていて、気が向くと私に与えてくれるし(どういうつもりかあまり考えたくはないが)、ぶらりと出掛けた帰りには必ず土産を買ってきてくれる。それが珠の付いた可愛いかんざしだったり舶来物の綺麗な首飾りだったりするのだから、それこそどういうつもりか逐一聞き出してみたいところだが、本人は何も考えていないに相違ない。先生は確かに優しいのだが、それと同じくらい何事にも無頓着で横着だった。
 こんな言い方をすれば、先生は物書きとして致命的なのではないかと思われそうだが、実際そうかもしれないと私は思っている。このずぼらな先生が一体全体どんな浪漫小説を書けるというのだろう。どんな啓蒙小説を書けるというのだろう。先生のような人は、その日の日記をつけることすら厭いそうなものである。しかし私は先生の小説を読んだことが一度も無いので、本当のところはどんなものか分からない。そういえば、先生には同じ物書きの知り合いが思いのほか多いのだった。中には大先生と呼べるような方もうちの先生を可愛がってくださっている。それを思えば、先生もなかなか捨てたものではないのかもしれない。

 この間も森先生がやってきて、ねえ君たまには一緒にカフェーへ行かないかと先生を誘ってくださった。しかし先生はお世辞にもそんなハイカラな場所が似合うような人ではないので、側で聞いていた私は思わず噴き出しそうになってしまった。全く頓着していないぼさぼさの黒髪に(元がさらりとした髪質だからまだ見ようがあるものの)、どこぞのご隠居が好んで纏いそうな地味一辺倒のくたびれた着物。そんな形(なり)の若造がひょっこりカフェーなんぞに姿を現した日には、ぽいとつまみ出されてそれで仕舞いとなるだろう。しかし森先生に言わせると、先生が身なりを整えて出かけていけば、カフェーの女給たちがこぞって給仕にくるに違いないということだった。それはさぞかし楽しいお話だろうけども、やはり先生にそういう場所は似合わない。きっと行かない方がいいだろう。私が神妙な顔で控えていると、森先生が面白そうに笑みを浮かべて、お嬢さんも一緒にどうだと仰った。なるほど、知らぬ世界を覗いてみるのは、物書きにとっても年頃の娘にとっても割かし重要なことかもしれない。一度くらいなら顔を出してみるのも悪くないか。私はすぐに考えを改めて、少し期待を込めた目で先生を見つめた。
 だが結局先生は、苦笑を浮かべてあっさりその誘いを断ってしまった。まあそうだろう、先生はそういう人だ。森先生は尚も引き下がらず、君のような若い風を文壇に吹かせたいのだ、その為にもまず君を仲間に紹介したいのだと熱く説得してくださった。しかし、先生の方にそういう心積もりがあるのならば、元よりもっと上手い人付き合いをしているだろう。森先生も結局はその辺りを承知していて、それ以上厳しくは仰らなかった。仕方が無いので、それからもちょくちょくと森先生の方からうちの先生を訪れてくれている。余所の人が知ったら目玉が飛び出るほど驚くだろうなと思うのだが、両人たちはそれ程気にもしていない様子だ。森先生はともかく、うちの先生もなかなか大物である。

 そういえばこんなこともあった。その頃家の周りをやたらと黒猫がうろついているなと思っていたのだが、ある日先生が猫に魚をやっているところを目撃した。先生、餌なんぞやってはここに住み着いてしまいますよとたしなめてみたのだが、まあいいじゃないかと先生自身は気楽なものだ。しかしこの家は先生の家なのだから、家主がそう言うのなら黙って頷くしか仕様がない。それなのに、しばらくすると先生はすっかり猫に飽きてしまって、滅多に餌をやらなくなってしまった。飽きたというより忘れたという方が先生の性格には合っているだろう。ひもじいに違いないのに、かつての幸せな時間が忘れられないのか、黒猫はそれでも家の周りでにゃあと鳴いているので、仕方なく私が餌をやることになってしまった。
 いつものように縁側で余りものの餌をやっていると、その様子を後ろから先生が興味深そうに眺めていた。なんでしょうと尋ねると、君その猫を飼うことにしたのかと先生は聞いてくる。この人は、その原因がどこにあるのか果たして覚えているのだろうか。私は驚きを通り越して呆れる気分だったが、先生は仮にも先生なので黙っておいた。先生も別に面倒を見ることに文句があるわけではないようなので(文句があったらそれこそ私も怒るだろう)、沈黙をすなわち肯定と取ったらしく、そうかと短く呟き頷いただけだった。
 この猫は一体何を考えているのかなあ、ある日先生は出し抜けに言い出した。夕涼みにと縁側の障子を開け放していたら、例の黒猫がすぐ側まで上がってきたのである。もっといい飯を食わせろと考えているのかもしれませんねと答えておくと、先生は軽く笑った。そういうのを小説にしてみたら面白いと思わないか、と尚も先生は話しかけてきた。文机に向かっている割にはよく喋るなあと私は不思議に思ったけれど、聞かれたからには答えてあげるのが筋というもの。それじゃあ夏目先生の盗作じゃないですかと一蹴してやると、先生は少し驚いた様子で、君も夏目先生を読んでいたのかと少し焦点のずれた答えが返ってきた。うちの先生はどこでどういう手蔓を仕入れてくるのか、夏目先生ともちょっとした顔見知りらしいのだ。そのためか、夏目先生の連載している新聞なんかは毎回きちっと買ってくるので、私も整理のついでにこっそりと読んでいるのだ。この間の「心」が面白かったから、先生の押入れから他の小説も引っぱりだして読んでみたというわけだった。そのことを先生に伝えると、なるほど君がねぇとよく分からない感嘆の声を上げていた。それじゃ今の連載も読んでいるのかいという話になって、読んでいるけれど何だかよく分からなくてあまり好きではないと答えると、また先生はなるほどねぇと唸るばかりだった。先生はどうですかと聞いてみたら、面白くは無いがとても興味深いと言っていた。しかし夏目先生はもう猫のような話は書けないだろうな、そう呟く先生は少し寂しそうだった。そういえば、最近また夏目先生は具合を悪くされているらしい。先生もそれが気がかりなのだろうかと、ふと思った。
 いつの間にか黒猫は姿を現さなくなった。酔っ払った過ちで、どこぞで溺れ死んでいなければいいけれど。

 昼間はもっぱら机に向かっている先生なのだが、夜はどうしているのかというと、やはり基本は部屋で机に向かっている。それかだらりと畳の上に寝そべって、昼寝ならぬ夜寝をしている。食事は鬼のような速さで平らげてしまうので、作る側の甲斐が無い。まずいとも言わないしうまいとも言わない。この間うまいと言わせてみたらうまいと言ったが、全然嬉しくなかった。まずいと言わせたらまずいと言いそうで恐ろしい。先生とちょっとした喧嘩なぞをした時には(大体私が一方的に拗ねているのだが)、三晩連続同じ献立の夕食を作ってやったが、文句の一つも言われなかったので、もうこれは、この人には完敗だわと思ったものだ。
 時々は先生の友人達が家に押しかけてくる。そういう時は外での先生の様子を窺い知ることができるので面白い。同年代の人たちでつるんでいると、どうも話はくだらないものばかりに流れるようで、やれ恋だの遊びだのといった話題が大半を占めていた。しかし先生自身はそう言う話で盛り上がるような人ではないので、ひたすら苦笑して話を聞き流しているだけである。酔ってくると、ご友人達は私にも絡み始める。こいつは実は大変な助平だから気をつけなさい、とか、女流作家のなんとかさんがこいつにべた惚れなんだが知っているか、とか、他にもいろいろだ。その度に先生は、焦げ魚を焼く煙を追い払うように、友人達を私から遠のけようとする。皆の話は聴いている分には面白いし、そういう先生の反応も面白い。だから私は彼らの来訪を密かに楽しみに思っているのだが、先生は実に嫌そうに、本当に仕様がない奴らだと眉根を寄せていた。

 やはり先生は、基本的に一人でいるのが好きなのだと思う。夜、一人きりで縁側に腰掛けている先生を見かけたことがある。何をしているのかとそっと様子を窺ってみたら、何のことは無い、先生はただ縁側で夜空を眺めているだけだった。私は夜には帰ってしまうので、それまで気がつかなかったけれど、どうやら先生は毎晩そうして月と星を一人眺めて過ごしているらしかった。何の変哲も無い夜空、私は気にも留めていなかった存在。しかし、先生がいつも眺めていると思いながら見上げてみれば、夜空というのはなかなか趣のあるものだと思われた。
 先生は一人のこの時間を大切にしている。だから、そこに私が割り込むような邪魔はしたくない。私は退室の挨拶をしてからそっと二階に上がり、物置部屋と化している一室の窓から同じように夜空を眺めることにした。ここならば、先生の部屋の真上にあたる。先生は縁側で冷たい外気と緑の匂いを楽しみながら。片や私は、物置でこもった空気と埃の匂いに辟易しながら。それでも、同じ夜空を眺めている。それが私には嬉しかった。
 ある晩いつものように、お暇しますと挨拶すると、先生がこっちへおいでと手招きした。なんだろうと思いながらも促されるままについていくと、連れられたのはあのいつもの縁側だった。先生はなんでもないように腰を下ろし、そっと隣を空けてくれる。ここからの眺めの方がいいだろう、先生はふわりと笑った。知られていたのかと悟って、恥ずかしさのあまり顔が真っ赤に火照ってしまったが、月明かりの元では、まあそれも分かるまい。今晩も綺麗な月ですねと言って、私は先生の隣に腰かけた。

back