15.

 流行りのワルツがホールに響き渡り、楽しげな談笑や甘い囁き声が、この場をより一層賑やかなものに仕立て上げていた。軽やかなステップを踏むカップルたちの色とりどりのドレスが、ホール全体を華やかに染め上げている。それほど大きくもない社交パーティーだったが、みな穏やかにこの場を楽しんでいて、なかなかいい雰囲気だった。
 私はというと、そんな様子を遠目に眺めながら、出されたアイスクリームを楽しんでいた。数曲はエルバートのエスコートで踊ってみたが、やはりどうもこういったことは性に合わないらしい、こうして壁の花になっているほうが気楽なのである。
「フィーリア!あなたってば、ちょっと目を離すとすぐに食べ物にばかりがっつくんだから!」
 しょうがない人ね、といいながら、ステラがこちらにやってくる。ちょうど一曲を踊り終えて、相手の男性から逃げてきたようだ。
「エルバート様はどうしたのよ?」
「お兄様なら、大学のご友人がいらっしゃったっていうんで向こうでお話してるわ」
「なによそれ!誘った女性を放っておいて、そんなこと!」
「違う違う。私のほうから抜けてきたのよ。だってホラ、せっかく久々に会ったお友達とお話してるのに、私がいたら邪魔になるでしょ?」
 ばかじゃないの?とでも言いたげに、ステラはこちらをジト目で睨んだ。
「そんなこと気にしてたら、社交パーティーの意味がないじゃないの。いろんな人とお近づきになるチャンスなのよ!むしろどんどんエルバート様にご友人を紹介してもらうべきだわ」
「だって……なんだか疲れちゃった。そういうステラはどうなのよ。ほら、今一緒に踊ってた男の人、まーだあなたに熱い視線送ってるわよ」
 ステラはちらりと背後をうかがうと、ぶるりと身震いをして首を振った。
「あーもーサイアク!あんなの、ゼッタイごめんだわ。踊りは下手だし話はつまらないし。しつこく誘ってくるから、仕方なく一曲相手してあげただけよ。……あーあ、キースレイ様のように素敵な方って、なかなかいないものなのねぇ」
「……セルダン伯爵はどうしてダメなのよ」
「ええ?」
 心底ビックリした、という表情で、ステラは私をまじまじと見つめた。そのステラの反応に驚いて、私もまじまじとステラを見返す。
「どうしてダメ、って。なあにそれ。だって、二回もフラれちゃったんだからしょうがないじゃない。いくらキースレイ様がいいってダダこねたってもうどうしようもないでしょ?」
「え、ふられた?な、なにそれ?ヨリが戻ったんじゃなかったの?」
「今更なに言ってるのよ。知らなかった?はっきりきっぱりフラれたの!だからあの日サンクローゼの庭園で、あなたとキースレイ様を引き合わせるのに一役買ってあげたんでしょう」
「そ、そうなの?私はてっきり、セルダン伯爵とヨリが戻ったのを自慢しに来たのかと」
「ばかね、そんな暇なことしないわよ。じゃあ何?あれは私とベックフォード侯爵が一緒になって企んでたってこと、知らなかったの?」
「しし知らないっ。ベックフォード侯爵が立てた計画だっていうのは分かってたけど、でもそれじゃあステラも私とセルダン伯爵をくっつけようとして面白がってたってこと!?」
「面白がってたとは失礼ね。私は良かれと思って、まだ失恋の傷も癒えないうちから頑張ってあげたっていうのに」
 とんだお節介もあったものだ。くっつくどころか、あの庭園での出来事がきっかけで、完全な決裂状態になったも同然だというのに。
「あんなにセルダン伯爵のことが好き好き言ってたのに、よくそんな計画に乗る気になったわね」
「私だってちょっとは辛かったわ。でも、ベックフォード侯爵がキースレイ様のためだからって熱心に言うんですもの」
「セルダン伯爵のためぇぇぇ!?」
 どこがどうなって、あの傍若無人の女たらしのためということになったのだろうか。あまりにぶっ飛んだ発想に、私はつい大声を出してしまった。だって、思いっきり、どう考えても、私をからかいたかっただけではないか、あのベックフォード侯爵は!
 私の心の声とはうら腹に、ステラは思いもかけない話をスラスラと続ける。
「ベックフォード侯爵が言うにはね、キースレイ様、あなたと接している様子が、今までの女性相手とはどうも違うらしいんですってよ。今までずっと、どの女性に対してもどこか壁を作ってるところがあったみたいなの。悔しいけど、私もそれは感じてたわ。でもフィーリア、あなたのこととなると、今までになく熱心だし、楽しそうだし、これってキースレイ様にとってはいい兆候なんじゃないかって、ベックフォード様がね」
 いや、だってそれは、私との付き合いが非常に特殊なものだったからであって。そりゃあ、他の女性相手とは接し方も違ってくるでしょうよ。
「どんな女性と一緒にいても心から興味を惹かれなかったキースレイ様が、あなたとの出会いで変わろうとしているのかもしれない。一生遊びの恋愛しかできないだろうと思っていたキースレイ様が変わることのできる、大切なチャンスなのかもしれない。そう、ベックフォード侯爵は言っていたわ。キースレイ様のためなんだとまで言われちゃったら、私も無下には断れなくて。分かるでしょ?」
 分からん。
 だって――なにそれ!セルダン伯爵が私にいつにない興味を抱いていたのは、私が恋愛対象じゃなかったからよ!「恋愛として」私とのやりとりを楽しんでいたわけじゃない。そうじゃないんだから!
「ベックフォード侯爵、ちょっとあなたのこと気にしてたけど。今はキースレイ様を振り回してるあなただけど、そのうちキースレイ様より先に彼に本気になってしまって、逆に振り回されちゃうんじゃないかって。できれば最後までキースレイ様のことを振り回してほしいって言ってたわよ」
「――ムリよ。私がセルダン伯爵を振り回してたことなんて、一度だってなかったわ」
 うめくような私のセリフを聞いて、ステラは神妙な面持ちになった。
「フィーリア……?あなた、もしかしてもうキースレイ様のこと」

「フィーリア!」
 最後まで言わないで、と切望する気持ちが天に届いたのか、ステラが皆まで口にする前に別の声が割って入った。慌てたようにして、エルバートがこちらへ駆け寄ってくる。
「フィーリアごめん、一人きりにして……、あ、ステラさんもご一緒でしたか」
「お久しぶりです」
「お兄様、私のことは気にしなくてもいいのに。せっかくご友人と久々に会えたんだから、もっとゆっくりお話していらしたら?」
「大丈夫だよ。会おうと思えばいつでも会える友人たちだからね」
「それじゃフィーリア、私は席を外しますわ。また一緒にお出かけしましょう。エルバート様も、ごきげんよう」
 私たちを気遣ってか、ステラは優美な笑みを浮かべると、さっとその場を離れてしまった。本当はいろいろと私に問い詰めたいことがあっただろうに、その引き際の見事なこと。私の前では元気はつらつで非常にアグレッシブな彼女も、いったん男の前に出ると、吹けば飛ぶような儚い美少女に大変身してしまう。それはもういつものことだ。……やっぱり、セルダン伯爵とお似合いなのはいろんな意味でステラしかいないと思うんだけど。
「彼女、大丈夫かな?」
 エルバートが心配そうにステラの後姿を見送った。
 今日の彼女は、叔母さんと一緒にパーティーへ参加という形になっている。しかし実際は、ほとんど私と一緒にいたので、もう叔母さんとははぐれてしまったようだった。まぁステラの場合、一人でふらりと歩いていても、ものの五分で男の方から声をかけてくるだろうから問題あるまい。彼女のような美女の場合、一人で社交パーティーに参加という荒業も成し遂げられてしまうのである。
「きっとステラなら大丈夫よ。あ、ほら、もう男の人が声をかけているわ」
「本当だ。すごいな、ステラさんは。確かに本当に綺麗な女性だしね」
「そうそう。目の前にいる私なんか、とても目に入らないほどね」
 ちょっと拗ねたように言ってみると、エルバートは慌てたように首を振った。
「いや、フィーリアだって十分かわいいよ。目に入らないなんて、そんな……」
 慌てふためくエルバートがなんだかおかしくて、私はプッと吹き出した。そんな私を見て、今度はエルバートが珍しく渋面を作る。
「かわいいかわいいフィーリアに、僕の方がからかわれるようになるなんてね。まったく、いつの間にか時は過ぎ去っているんだなあ」
「お兄様、言ってることがお年寄りみたい」
「お年寄りとはひどいな!それじゃあフィーリア、僕もまだまだ元気なことを証明してさしあげましょう。一曲といわず、僕と踊っていただけますね?」
 少し澄まして礼をするエルバートに、私は笑って頷いた。――が、その笑顔が一瞬にして凍りつく。

 エルバートのすぐ後ろに、セルダン伯爵が立っていたのだ!

 ――いつから!?いつから、いたのだろう。
 激しく動揺する私の耳に、好奇心に満ちた周りの人たちの囁きが入ってくる。まあセルダン伯爵よ、あらいついらしたのかしら、つい今しがた到着されたみたいだよ、噂に違わず本当に素敵なお方……
 固まって動けない私とセルダン伯爵の目が合った。セルダン伯爵はいつものように作った笑顔を見せるでもなく、やけに真面目な顔つきで私のことをまじまじと見ている。向こうが目を逸らそうとしないものだから、気まずくなって私から顔を背けてしまった。
 そんな私の様子にいち早く気付いたエルバートは、軽くセルダン伯爵に会釈をすると、そっと私の肩を抱いてセルダン伯爵から引き離してくれた。よかった。お兄様がいなければ、私、あのままバカみたいに突っ立っていたかもしれない。肩に置かれたエルバートの温かい手が、どうにか私を勇気づけてくれる。私はなんとか気を取り直して、笑顔でダンスを踊ることができた。
 ワン・ツー・スリー、ワン・ツー・スリー。
 今はステップのリズムだけを数えていればいい。それ以外のことは考えないようにしよう。
 久々に私を見て、セルダン伯爵はどう思ったのだろう、とか。セルダン伯爵がエスコートしていた女性はどんな人だったのだろう、とか。どうして私はここまで動揺しているのだろう、とか――。考えちゃだめだ。考えちゃだめだ。ワン・ツー・スリー、ワン・ツー・スリー……。

 二曲を踊り終えたころ、私の身体は鉛のように重く重くなっていたのだった。