05.

 ふざけるなと怒鳴られるかと思ったが、相手は至極真面目に話を聞いてくれた。
 さすがに自殺のことは言えなかったが、その他はほとんど全てを正直に話した。シェリアスティーナの魂が非常に疲れきっていたこと、神がそれを大変心配されたこと、そしてしばらく魂の休息を取るべく彼女を預かっておられること。自分はその間彼女の身体を維持するために遣わされた全く別の魂であること。
 一通り話し終え、シェリアスティーナはほっと息をついた。一人で抱え込むにはあまりにも壮大すぎて、胃の痛くなる話である。誰かにすべてを聞いてもらい、この重みを分かち合いたいと心のどこかでは思っていたのかもしれない。
 しかし語ったところでこの相手には信じてもらえないだろうかと思われたが、そうでもなかったようである。しばらく考え込んだ後、彼は厳かに頷いた。
「まあねえ。ちょっと常識を逸脱しすぎている話ではあるが。確かに君はシェリアスティーナではないね。根性悪のこの字も無い、純粋無垢な娘さんとしか思えない。演技としても、シェリアにはそんな澄んだ瞳はできないだろう」
 信じてもらえるならば助かるが、それにしてもとんだ言い様である。
「あ、あの。あなたは一体?」
「ん? ああ、私かい。そうだね、君は何も知らないのだね。私はライナス=ヴェントリスという。この国の宰相補佐をやっているよ」
「宰相補佐?」
 もしかしたらずいぶんと偉い人物なのでは。つい昨日まで平民をやっていたシェリアスティーナには想像することも難しいが、この国の執権を握る人物の元で働いているのなら、相当地位ある身に違いない。
「そして、シェリアの後見人でもある」
「そ、そうだったんですか」
 つまりは自分の親代わりということだろうか。それならばこの砕けた接し方にも納得できる。
「まあ私のことはいいとして。君、シェリアの代わりにここで暮らすというが、どうやら性格も考え方も百八十度違うようだ。大丈夫なのか心配になるね」
「シェ、シェリアスティーナ様は、そんなに、その……すごい方だったんですか」
「すごい、ね」
 物は言いようだ、とライナスは面白そうに笑った。
「そりゃあもう、すごい方でしたよ。彼女は非常に性格のひねくれた人物でね。誰も自分に手を下せないのをいいことに、やりたい放題もいいところ。皆の君を見る目もあまりに微妙だっただろう? そういうことだ」
「は、はあ。思いあたる節も、確かに、あります。――あ、そういえば昨日私を助けてくれた人。あの人のことは、ご存知ですか?」
「アシュート君のことかな?」
「名前も分からないんですけど……」
「黒髪黒目の美青年だろう」
 そう、その人だその人。シェリアスティーナは小刻みに頷く。
「彼が第一神聖騎士様だよ。つまり、シェリアの婚約者ということだね」
「――ええ!?」
 あの人が! あんなに私に向かって憎悪むき出しだったというのに? 思わずシェリアスティーナは飛び上がった。
「も、ものすごく上手くいっていない、んですね」
「そうだね、シェリアは彼に嫌われている」
「でも、どうして……?」
 クス、とライナスは笑って首を振った。
「若い二人の痴情のもつれにまで首を突っ込むほど、私は野暮な男じゃない」
「す、すみません」
 あまりに遠慮なく疑問を口に乗せすぎたと気付き、シェリアスティーナは縮こまった。
「おや、どうして謝ることがある? これからシェリアとしてやっていくなら、そんなことでは務まらないぞ。ほら、もっと胸を張って」
「で、でも私、シェリアスティーナ様のこと何ひとつ知らないから、どうしていいのか」
 そうだねぇ、とライナスは顎に手を掛け考え込むような仕草をした。
「ではまず立って。肩幅くらいに足を広げ、左足に体重をかけてごらん。で、左手を腰に当てる。右手はチョップの形にして、そのまま手の甲を左頬に当てたまえ」
 言われるがままに身体を動かしていたシェリアスティーナは、完成した立ち姿の恐ろしさに気付き絶句した。
「そして『ホーッホッホ、跪きなさい、愚民ども!』と叫べばシェリアの基本形としては完璧だ」
「ちょっ、ちょっと待って下さい! ――そんなの、もちろん冗談ですよね?」
 大慌てでライナスに噛みつくが、相手は気にした様子も無く言葉を続ける。
「侍女が髪を結う時は、『ちょっとあなた、引っぱらないで。痛いじゃないの』と横目で睨む。食事の時は毎回少なくともどれか三品には必ず文句をつける。通りすがりに挨拶をする者には『うるさいわね』と三度に一度は反発し、挨拶もせぬ者には『あなた一体何様のつもりなの?』と怒鳴りつけて即刻クビ。自分の歩く道の上にゴミが落ちていようものなら、大声でわめき散らして掃除夫を細いヒールの足で踏みつける。大聖堂での祈りの時間は、長い説教をかます神父に向かってわざとらしく溜息をついた上、舌打ちする。……うーん、まあとりあえずこんなところか」
 朗々とした口調でとんでもないことを告げられて、もはやシェリアスティーナは動けなかった。固まったまま今の言葉を意識の中で反芻する。根性悪などというかわいらしい言葉で片付けられる状態なのか、これは。そしてこれを、この先自分がやっていくと?
(無理だ)
 一秒も悩まず、シェリアスティーナは結論を導き出した。
「私、本物のシェリアスティーナ様が戻ってくるまで、記憶喪失で通します」
「まあそうだね、それがいいだろう」
「ライナス様、貴重なお話をどうもありがとうございました」
「いいんだよ。お役に立てたなら幸いだ」
「今後ともどうぞご指導のほどお願いします」
「もちろん、喜んで」
 シェリアスティーナはくらくらと目まいの収まらぬまま項垂れた。
「でもね、シェリア」
 まだ何かあるのか。半泣きになりながら、シェリアスティーナは視線だけを彼に向ける。
「私に対して、そういう敬語は必要ないよ。いくら君が別の人格だとしても、シェリアの姿でそう畏まられると気持ちが悪い」
「……わ、分かりました」
 その答えを聞いて満足したのか、ライナスはにっこり笑ってシェリアスティーナの頭を撫でた。
「いい子だね、シェリア」
 ああ、シェリア、って愛称いいな。シェリアスティーナは漠然とそんなことを思いながら、大人しく頭を撫でられていたのだった。

 もちろんシェリアは知らなかったのだが、どうやら彼女は朝から礼拝の儀に出席する日課があるらしかった。ライナスの来訪で、すっかりその日課をさぼってしまったことになる。これじゃますます皆の印象が悪くなるな、とシェリアは憂鬱な気分になった。
 ライナスも知らなかったわけではない。だが彼はもともと、礼拝の前に少しシェリアの様子を見ておこうとやって来ただけだったという。まさか魂が他人に入れ替わっているとは夢にも思わずとも仕方がない。しかし現実に、そんな夢のような事態が起こっていたというのだから、彼にとっても礼拝どころの話ではなくなってしまったのだろう。
「昨晩のことでまだ具合が優れないということにして、今日の礼拝の儀は欠席しよう。私からそのように取り計らっておくよ」
「はい、助かります」
「ほらほら、また敬語」
「も、申し訳ありま……うっ」
 しどろもどろのシェリアを見て、ライナスは苦笑する。
「シェリア、先ほど君は、記憶喪失ということで辻褄を合わせると言ったね。私もそれには賛成した。だが、そう大っぴらには宣伝せぬ方がいい」
「どうしてですか? じゃない、ええと、どうして?」
「君はこれまでずっと、あまりに並外れた奇行を続けすぎている。聖女としての資格を常に問われているような状態だ。まあ首もとの聖印がある限り、何人たりとて君に手出しはできまいが。それでも、いたずらに敵を増やすのは好ましくない。もしここで、昨晩の失踪が原因で記憶喪失になどなったと皆に知れたら……」
 記憶喪失の悪徳聖女。ううむ、確かにどうしようもない響きだ。
「とはいえ、すべてを今まで通りにやっていくのも無理だろう。必要と思われる人物にだけ、記憶喪失の旨は伝えた方がいいんじゃないか。さりげなく手助けしてくれるような人物にね」
「はあ」
「例えば、婚約者のアシュート君とか」
「……はあ」
 あの射抜くような視線を思い出し、シェリアは気が重くなった。記憶喪失などと言ったら手助けをしてくれるどころかますます邪険に扱われそうだ。
「彼なんかは、君の身に何かが起こったことにすぐ気がつくだろう。――まさか、魂が入れ替わっているなどとは誰にも告げるつもりはあるまい?」
「ええ、それはもちろん。ライナスさん以外には誰にも言わないつもりです。それが主の望みでもあられるし」
「ならば、上手く顔を使い分けることだ。なるべくいつものシェリアらしく。それで眉をひそめられたら、記憶喪失をちらつかせる。しかしそれも控えめにね。そのうちあの子が帰って来るというのなら、それでもなんとかやっていけるだろう」
 簡潔にまとめてもらったものの、シェリアにとってはそう簡単にいくような話ではなさそうだった。矛盾しているが、自分は普通じゃないほど平凡な娘である。だというのに、時には悪女のように、時には記憶を無くした哀れな少女のように。……そんな振舞いができるというなら、今頃もっと違った人生を送っていたに違いない。あ、もう終わっていたんだったかと自虐的な考えにふけり、シェリアは一人空しくなった。
「では、もうしばらくここで休んでいなさい。私は礼拝堂の神官達に今日の欠席について説明してこよう。――昼前には、貴族達への祝福の儀があるからそのつもりで」
「え! ななな何ですか、祝福の儀って」
「日ごとに数人の貴族達が祝福の間を訪れる。君はそこで彼らを迎え、一言ずつ祝福の言葉をかけてあげるんだ。それだけの儀式だから、大丈夫」
「それだけと言われても。ど、どんな言葉をかければ?」
「参考までに、おとといのシェリアはとある公爵に『私の祝福を請う前に、理髪店に行ってカツラを請うて来たほうがいいんじゃないの?』と告げていた」
 ……聞かなければよかった。
「まあ、意地悪く振舞う練習の場とでも思えばいいさ。やってくる貴族たちも、君に甘い言葉など期待していないからね。辛らつな言葉にはもう慣れっこなんだ。――では、少しの間大人しくしているんだよ」
「はい」
「あと、また敬語を使っている。気をつけて」
「……うん」
どこまでも、前途は多難だ。