04.

 この世界唯一の王国シベリウスには、代々聖女と謳われる乙女が王家に仕える慣わしがあった。この世でたった一人だけ、世にも美しい娘に、首もとの聖印。それだけが聖女たる全てであった。貴族の生まれであろうと農民の生まれであろうと関係などない。その印さえもってすれば、聖女と認められ王宮に迎えられた。逆に言えば、聖印がなければ何人といえど聖女とは認められぬのである。
 前代の聖女が息を引き取ると、その翌年に必ず新たな聖女が生まれた。その聖女が十五歳を迎える前に必ず見つけ出して、王宮に迎えなければならない。そして第一神聖騎士の位を与えられた若者と婚約の儀を交わす必要があった。それができねば、王国に不幸が降りかかるというのである。実際この長い歴史で三度だけ、聖女を迎えられなかったことがあった。その時代、一度は大洪水に見舞われ国民の四割が死亡した。二度は王国の支配下にあった三大勢力が大戦争を行い壊滅した。三度は流行病が蔓延し、やはり国民の四割が死亡した。そういうことがあったから、聖女の王宮入りは王家の名誉の問題だけにはとどまらず、国民全てが心底待ち遠しく思う大事な大事な行事なのであった。
 聖女には不思議な力がある。物事を予見する力に長ける者もあったし、人の心を読むことのできる者もあった。しかし全ての聖女に共通していたのは、死が近づくと首もとの聖印が消えてしまうということである。聖印が消えるとその三年以内に、必ずその聖女は儚くなった。そのため王国は、それを目安に次期第一神聖騎士を決定することを常とした。前代の聖女の聖印が消えた頃に生まれた子供を、次代の夫にするべく神聖騎士として育て上げるのである。これまでは、そうしてうまく行っていた。聖女たちは十五までに王宮に迎えられれば問題ないとはいえ、たいてい幼少時に見つけ出され王宮へと運ばれていたし、神聖騎士に至っては、生まれた時からその役目を負って育てられる。自然と二人の心構えは強固なものとなり、絆も深まっていくものだった。
 しかし今回ばかりは勝手が違った。
 まず聖女を見つけるのに非常に手間取ってしまったのである。シェリアスティーナは捨て子だった。愛情を注がれることもなく、寂れた孤児院の隅っこで成長したような子供だった。院長たちも、数多くの子供を抱え、その中でシェリアスティーナに特に目をかけるようなことはしなかったのだろう。首もとの聖印に気付くまで長い長い時間がかかった。たいていは親自身の申請によって聖女が発見されるため、名乗り出る者がいないとなれば捜索は困難を極めたのである。十四になり美しく成長したシェリアスティーナに良からぬ思いを抱いて近寄った院長が、初めてその首もとに気がついたときには、すでに国全体に絶望のムードが漂っていたものだ。何はともあれ、どうにか聖女を発見できたシベリウス王国は沸きに沸いた。シェリアスティーナは国中に大歓迎され、その恵まれぬ生い立ちからも大いに国民の関心を惹いた。更に歴代でも抜きん出るほどの美貌が誰をも魅了した。同じく第一神聖騎士として手塩にかけて育てられた少年もたくましく成長しつつあり、それだけで人々は皆、王国の未来に光を見たのだった。
 ――が、シェリアスティーナが大人しく王宮で過ごしていたのは最初の二年だけだった。十六歳になった頃、彼女は突然変わった。今までの大人しさが嘘のように――とにかく、変わったのである。

 だがそれを、かつてのユーナが知るはずも無かった。

 朝目が覚めると、立派な装飾に彩られた天井が目に入り、シェリアスティーナは驚いた。――ここはどこだ、ととっさに視線を巡らせる。目に入ったのは、ベッドの天蓋だったようだ。ひらひらとした薄いレースが辺りを覆い、窓辺から入るそよ風に揺れている。自分はその真ん中に身を沈めていた。
(あ、そうだ)
 さすがに昨日川辺で目が覚めたときより素早く状況を思い出すことができた。自分はシェリアスティーナであり、ここはその豪華な自室。昨日森から救出されて、ろくに事態も飲み込めぬまま眠りについてしまったのだ。
「おはようございます、シェリアスティーナ様」
 無機質な侍女の声がした。どうやら窓を開けたのは彼女らしい。
「あ、おはようございます」
 律儀に頭を下げると、侍女は何か恐ろしいものでも見るように顔をこわばらせた。丁寧語を使っているからいけないのだろうか?
「すぐにお召し変えの者を呼んでまいりますので、少々お待ちくださいませ」
 侍女は何とか気を取り直して言葉を繋いだ。これ以上怖がらせると悪いので、シェリアスティーナは頷くだけにしておく。それにしても、お召し変えとは。入浴の時に限らず、やはりここでも侍女の手を借りることになるのだろうか?
 もちろん予感は的中した。間もなく二人組の侍女がやってきて、衣装一式の乗ったトレイを厳かに台の上に置く。
「シェリアスティーナ様、失礼いたします」
 やはり無機質に告げる侍女たち。毎朝こうなのか。それはさすがに勘弁してほしい。
「あの、私、一人で着替えたいんだけど」
 昨日と同じ結果になるだろうかと思いつつ、それでもやはり抵抗せずにはいられなかった。
「お一人で、ですか?」
「ええと、その。あなたたちが邪魔とかそういうことは断じてないんだけど。それは信じてほしいんだ。ただ、今更だけど、どうも人に手伝ってもらって着替えるっていうのが……」
 なるべく二人を刺激しないよう言葉を選んだつもりだが、やはり駄目なようだ。侍女たちは目を白黒させてうろたえた。
「あ、あの、何かシェリアスティーナ様をご不快にさせてしまうようなことをいたしましたでしょうか」
「ち、違うってば! ほら、あなたたちも、人に着替えさせてもらうのってなんだか気まずい思いしない? 私、今までは当たり前のように受け入れてたかもしれないけど、本当はちょっと恥ずかしかったの」
 ああ――駄目だ。言えば言うほど泥沼にはまる。怯えきった侍女たちの様子を見て、シェリアスティーナは今回も諦めざるを得なかった。それ以上は無理を言わず、非常にぎこちない手つきで着替えさせてくれる侍女たちに身を委ねる。支度が終わると、侍女たちは逃げるようにして出て行った。
(うーん。なんだかどうも、恐れられてるなあ)
 さすがのシェリアスティーナもそれには気がついた。侍女たちは皆、自分を恐れている。無駄な係わり合いを持とうとはせず、最短時間で仕事を終えて自分の元から去ろうとするのだ。
(シェリアスティーナって、なに? そんなに怖い人だったのかな)
 どうもそのようである。だから少しでもこちらが下手に出れば、逆に化け物を見るような反応を返されてしまうのかもしれない。
(なにやってたんだろ、聖女様……)
 やれやれ、と息をついていたところへ、軽やかなノックの音が響いた。どうぞ、と短く言葉を返すと、間もなく扉が開かれ、一人の男性がゆったりとした動作で部屋に入ってきた。年のころは二十代半ばを少し越えたところだろうか。肩を越すくらいの薄茶の髪を一つに束ね、無造作に横へと流している。穏やかな笑みを浮かべながらこちらへ歩み寄ってくるその姿は、優雅な貴族そのもの。……考えてみれば、ここへ来て初めて人の笑顔を見たような気がする。
「どうやら本当に無事なようだね」
 その第一声に驚いた。昨晩の偉そうな青年でさえ自分に対しては敬語を使っていたのに、この人は。もしかして国王だとかそれくらいに高位の人物なのかとシェリアスティーナは警戒した。
「ん? どうした」
「いえ」
「具合は悪くないのかい」
 小さく頷いておく。
「だが」
「?」
「どうも様子がおかしいな」
 ぎくり、と身体をこわばらせた。それがますます相手の疑念を深めてしまったのか、彼はすっと目を細めてこちらの様子を注視する。
「シェリア」
「はい」
 自分を愛称で呼ぶのか、という驚きもある。誰だこれは? もしかして愛人なのだろうか?
「一体どうした、牙の抜けたライオンみたいだぞ」
 なんなのだ、その表現は。むっと思わず睨み上げると、相手は面白そうに微笑んだ。
「そうそう、それがお前らしいね。だがもっとお前らしくと言うのなら、『なんですって! 誰に向かってそんな口を聞いてるの! 塵にされたいの?』くらいは言ってほしいところだな」
 その台詞に愕然として、シェリアスティーナは相手を見つめた。
「やはりおかしいな」
「……」
「シェリア、私の名前を言ってごらん」
「え」
「まさか忘れたなどと言わぬだろう」
「えぇと」
「シェリア」
「……」
 駄目だ、彼はごまかせない。シェリアスティーナはそう悟った。どうも以前の自分は彼と親しい間柄だったようだ。ほんの一言二言でこちらの様子がおかしいと見抜かれてしまったのでは、降参するしかなさそうだった。
「……あの、忘れました。ごめんなさい」
 すまなそうに答えると、相手は片眉をぴくりと上げて押し黙った。一体何を考えているのか微塵も読ませぬ不思議な男だ。よく分からない。
 しかししばらくの沈黙ののち、再び彼は口を開いた。
「記憶喪失か?」
 なるほど、とシェリアスティーナは膝を打つ思いだった。それはいい。それなら多少の不自然も大目に見てもらえそうだ。森へ散歩に行き、足を滑らせ沢に落ち、その衝撃で記憶を失った。――よし、それで行こう。
「あの、どうも、そうみたいなんです」
「そうかな?」
 自分で振ったというのに、男は軽く肩をすくめ、シェリアスティーナのすぐ側まで歩み寄ってきた。怯えてその様子を見ていると、いきなりぐいと顎を掴まれ、顔を持ち上げられる。シェリアスティーナは驚いたが、なぜか抵抗できぬ妙な状況だ。甘い雰囲気など微塵もなく、むしろぴりぴりした空気に包まれている。相手は非常に真剣な表情で、まじまじとシェリアスティーナの瞳を覗き込んだ。
「ただ記憶がなくなっただけ? そうは思えないな。後ろめたい色をしているよ、その瞳がね。――この私を謀ろうなどとは思わぬことだ。さあ、全てを白状してごらん。一体どういう風の吹き回しでそんな借りてきた猫のように大人しくなっているのか」
 これは本気でやっかいな相手にぶつかったものだとシェリアスティーナは内心舌を打つ思いだった。
 いや、だがしかし、落ち着いて考えてみれば、これはこれでしめたものかもしれない。周りが全て赤の他人という中でやっていくにも限度があるというものだ。ならば、せめて一人くらいは味方につけておいた方がよいのではないか。そんな気になって、シェリアスティーナは観念したように口を開いた。
「私――、シェリアスティーナじゃないんです」