18.

 アシュートは、真っ直ぐに姿勢を正し廊下を足早に歩いていた。
 たどり着いたのは、神聖騎士団副長控え室。入るぞ、と声をかけ慣れた動作で扉を開ける。中では、堅苦しくも立派な内装の部屋には似つかわしくなく、一人の男がだらりとソファに寝そべりながら気だるげに剣を磨いていた。
「おーう、アシュート」
 やはりやる気の感じられない声で、ジークレストは軽く応じた。目線だけをアシュートに向けてニヤリと笑う。
「聖女サマのお守りはもういいのか?ありゃあ、ちょっとやそっとじゃ納得できねぇって感じだったが」
「こっちだってワガママ聖女にそうそう付き合ってられん」
 はあ、と本日何度目か分からぬ溜息をついて、アシュートもソファにどさりと身を沈めた。
「先ほどは、お前まで巻き込んですまなかったな。あのような使用人の連行など、神聖騎士団副長の仕事ではなかった」
「いや、気にしてねえよ。ま、妥当だったんじゃねーの。あの場の始末としては」
「そう言ってもらえれば気が楽だが……」
 つい先ほどまでの機械のような規則正しい動作は鳴りを潜め、足を組んでくつろぐアシュートの姿はなかなかに希少である。しかしジークレストにとってはそんな彼の様子など別段珍しくも無いようだった。それよりも、若き第一神聖騎士の不機嫌な顔色に微かに混じる違和感に気付いたようで、ジークレストは剣を置いて上半身をさっと起こした。
「なんだよ、どうかしたか?」
「……いや」
「シェリアのことだから、あの使用人を牢屋に入れただけで猛反発でもしてんだろ」
「そういうわけじゃない」
「なら、噂どおりの残酷さで、やっぱりあの女を吊るし首にしろとか言い出したのか」
「そういうわけでもない」
 しかしだから困っているんだ、とアシュートは言葉を詰まらせた。
「はぁ?そうじゃないなら、別にいいだろう」
「――シェリアのことだから、とお前は言うがな。お前がシェリアスティーナ様に会ったのは今日が初めて、つい先ほどのことだろう」
「まあそうだけど、分かりやすい性格してんじゃねえか」
「分かりやすい……。まあ、そうかもしれない。でも『あの』シェリアスティーナ様は、普段とは違う」
「というと?」
「いつも通りというのなら、巷の噂そのものの人物だ」
「気まぐれで、冷血で、残忍で、どうしようもなく我儘」
「そう」
「絵に描いたような悪女だって話だが」
「そうだ。だからこそ、お前とシェリアスティーナ様が真正面から出会わないよう取り計らわれてきたんだ。お前ならシェリアスティーナ様にぶち切れるに違いないから、ってな」
「へぇーえ、成る程そういうわけで、神聖騎士団副長のこの俺が今まで聖女に会えず仕舞いだったのか。――だが実際、会ってみりゃあ可愛い嬢ちゃんじゃねえの」
「だからおかしいと言ってるんだ」
 記憶を無くしたとはいえあそこまで変わるものだろうか、とアシュートは言葉にはせず考える。身を挺してまで使用人を庇おうとしたシェリアに一番面食らっているのは、このアシュートなのである。今までの彼女の所業からすれば、そんな行動を取るとは到底考えられない。例え天地がひっくり返っても――と彼は思っていた。だがしかし、今実際天地はそのままにそうした事態だけが現実となっている。
「今のシェリアの様子は?」
「部屋で大人しくされている。件の使用人に関しては、三週間の拘留の後解雇ということで話はつけた」
「納得したのか」
「ああ。そしてご自身も、その三週間は自室にて軟禁状態に置かれることを望まれた」
「――へえ?」
 意外に考える、とジークレストは肩をすくめてみせた。
「確かにそれが一番いいだろうな。あの使用人を極刑にしないなら、それに見合う罰を二人で仲良く半分こってのが妥当だ。そうすりゃ聖女側にも何らかの非があって使用人が極刑にならなかったと分かりやすい。それで納得しない奴が出てきても、部屋の中でしっかり護られてる聖女にゃどうあがいたって手を出せねえ」
「ああ。こちらからシェリアスティーナ様を軟禁したいなどとはとても提案できないからな。向こうから申し出てもらえるのならありがたい」
 それと同時に、空恐ろしくもあるのだが。一体あの気まぐれな聖女が何を企んでいるのか、アシュートには全くもって予想がつかない。
「しかし本人がそれでいいっつったって、周りの奴らは承諾してんのか?お偉方ほど反対するんじゃねえの、聖女を部屋に閉じ込めるなんて」
「先ほど国王にはお伝えしてきた」
「何て言ってた?王サマは」
「――相変わらずだ。大して興味も持たれず、二つ返事でご承諾された」
「『ふむ、お前がそういうのなら間違いないのだろ、全て任せた』――とか、そんな感じだろ」
「まさにそんな感じだ」
「ヘッ、お前も大変だなー。どこまでも我が道を行く放蕩国王に、どこまでも我が侭を通す極悪聖女」
「言うな。頭が余計痛くなる」
 実際辛そうに、アシュートは右手を額に当てて息を吐いた。今己の目の前にいる男も「そういう人種」であるからなお辛い。
「まあとにかく、国王のお許しをいただければ後はどうにでもなる。一応これから、神官長にも事情を説明しに行く予定だ」
「頑張れよ」
 明らかに他人事という風情で、ジークレストはせせら笑った。そんな彼をじろりと睨みつけ、アシュートは釘を刺すように告げる。
「お前にも頑張ってもらうつもりだが」
「はあ?」
「シェリアスティーナ様の護衛役を、お前に頼みたい」
「――ああ?!」
「三週間の間である程度周囲のほとぼりは冷めるだろうが、だからといってその後シェリアスティーナ様に危害を加えようとする輩が全く現れないとは限らんだろう。今まで事実上の護衛がいなかったのも問題だ。もっと早くに適任者を見つけるつもりだったが……。どうやらお前とシェリアスティーナ様は、意外に上手くやっていけそうだしな、よろしく頼む」
「……ちょぉーっと待て待て。俺だってヒマじゃねーんだぞ?副長として、一体いくつの隊を束ねてると思ってんだよ。聖女も騎士団も面倒見ますって?俺だって超人じゃねーんだから、そんなの無理だっつの」
「そろそろ次期副長を育て始めてもいい頃だろう。お前だっていつまでも副長止まりじゃないんだからな。少しずつ仕事を引き継いで行くべきなんじゃないのか」
「あのなぁ、簡単に言ってくれるがな……っと。そうだ、護衛役なら、立候補者が現れたんだぜ」
「立候補?」
「――ああ、イーニアスの奴だ」
 ふと真面目な顔つきになって、ジークレストは目の前の友人の様子を窺った。思わずアシュートも眉根を寄せてジークレストを見返してしまう。
「イーニアス?あの、ディルレイ家の」
「そう、例の事件で一兵士に格下げされてたイーニアス=ノア=ディルレイだ」
「まさか……、自分から再び護衛役にと言い出したのか?」
 ジークレストが頷くと、アシュートは理解に苦しむと言わんばかりに渋面を作った。
「一体何を考えているんだ、そいつは」
「さぁな」
「シェリアスティーナ様に脅されて仕方なく、というわけではないのか」
「そんな感じじゃあないぜ」
「なら、どんな感じなんだ」
 そうだな、とジークレストは一瞬だけ小首を傾げ、次には生真面目な表情をしてアシュートの手を取った。強く握り締め、射抜くほど強く真っ直ぐな瞳で彼の顔を覗き込む。
「命を懸けてあなたをお守りします」
「……何の真似だ」
「いや、だからイーニアスの」
「……」
 もはやアシュートには何とも言えない。絶句した彼を見て、ジークレストも軽く息をついた。
「まあ、アイツは見た目に似合わず良くも悪くも一直線な熱血野郎だからな。シェリアの何かがアイツの琴線に触れたんだろう。それですっかり惚れこんじまってるみたいだ」
「……元はお前の部下だったな。イーニアスは以前からシェリアスティーナ様に傾倒していたのか?」
「いいや。護衛役に任命されるまでは、ほとんど興味も無いような感じだった。あの事件の後も表立ってシェリアを非難するようなことはなかったが、だからってモチロン気に入ってる風でもなかったしな。あいつの中で一体何があったのか、俺にも分からねぇよ」
「……そうか。それで、その件に関してシェリアスティーナ様は?」
「ビビってた。向こうもイーニアスがそんなことを言い出すとは思ってなかったみたいだ」
「それはそうだろうな」
「まぁ、あの二人の間では、ネイサン――例のもう一人が復帰した頃に護衛役につくってことで話はまとまってるらしいが」
「……ライナス殿の耳には入っているんだろうか」
 聖女の後見人である彼が、シェリアスティーナに関する第一決定権を持っている。例え彼女自身が乗り気であっても、彼が是と言わねばそう簡単には話が進むまい。イーニアスの生家であるディルレイ家は名門中の名門であるため、できれば再び護衛役に就かせ――違う意味での――危険に晒すことはしたくない、とアシュートは考えていた。――どうにかしてライナスにこの提案を却下してもらえないだろうか。
「まだだろう。なんせ二人がその話をしてたのがついさっきのことだ。だが、耳に入ったところで、あの人は反対なんぞしないだろうよ。今までだって、ずっとそうだったじゃねぇか」
 確かにその通りだ。ライナスは、シェリアスティーナがどれ程とんでもない我儘を口にしようと、それを諌めた例(ためし)がない。もしかしたら自分たちの与り知らぬところで災いを最小限に食い止めるべく奔走していたのかもしれないが……、あの飄々とした様を見ていると、とてもそうは思えなかった。あまり期待はしないほうがいいだろう、とアシュートは自らを諌めた。
「厄介だが、仕方ないな。ネイサンが復帰してから――ということなら、それまでの間で、イーニアスを説得する術を考えてみる。とにかくお前は、この件が片付くまでの間だけでも護衛役を引き受けてくれ」
「……へいへい、了解しましたよ。ったく、めんどくせぇなぁ」
「面倒だろうが、手を抜かれては困る。シェリアスティーナ様は、ご本人がどうであれ、この国の宝なのだからな」
「この国の宝……ねぇ。よく言うぜ」
「本心からの言葉だ」
 そう、例えどれ程彼女が憎かろうとも。その事実だけは、いかなアシュートでも否定できない。そしてそれが自分にとっての重い軛(くびき)たるのだろうと、アシュートは静かに瞳を落とした。

 いつの間にか、淡い三日月が宵の空を儚く照らしつつあった。