31.
遠い昔の出来事を思い出している。
月もない真っ暗闇の森の中、たった一人ぼっちで歩いていた。
心細くて心細くて、両手を胸の前でぎゅっと握り締めて。
その両手には、小さな花が握られていた。
夜の森は全然知らない顔を持っている。
木々は昼間の倍ぐらいの背丈になってしまったみたい。
明るい緑色をしていた草葉も、カラスの羽と同じくらいのっぺりとした黒色に変わってしまった。
泣きそうな顔で手の中の花を見つめたら、なんだかすっかり元気がなくなっているみたいで。
怖いよ。
言葉にはしないで、そう心の中で呟いた。
怖い、って声に出してしまったら、もう我慢ができなくなってしまうくらい、本当に怖くなってしまいそうだから。
寂しいよ。
これも、言葉にはしないように気をつけた。
どんなに小さな声だとしても、音になってしまったら、きっとまた涙が止まらなくなってしまうだろうから。
ずっとずっと、長い時間、ただ真っ直ぐに歩いている。
何の明かりも見えない。聞こえるのは、さくさくと草を踏みしめる自分の足音だけ。
世界中でたった一人きりになってしまったような気がした。
怖いよ、寂しいよ、一人はいやだよ。
うわあん、と大声で泣いている自分を思い浮かべてみた。
そうしたら、そうすることが今一番「自然なこと」のような気がして、本当に泣き出しそうになってしまった。
でも、泣いたらだめだ、という自分の声も聞こえてきた。
一人はいやだよ。
ついに足が動かなくなってしまって、ぐっとその場に佇んだ。
花を握り締める両手にも強い強い力がこもる。
まだその言葉すら知らなかった「絶望」という感情が、まさに体中を支配しようとしていた。
涙で潤む瞳。
そこに、ぼんやりと何かが浮かぶ。
光。
でもよく見えない。
何度も何度も瞬きをした。
だんだん光の輪郭がはっきりと縁取られていく。
光は少しずつ近づいてきた。
ランタンの、光だ。
やっとで思いついた頃には、そのランタンを下げてこちらに駆けてくる人の影にも気がついた。
とっても大きい影。すごく大股で、一生懸命走ってくる。
――ああ、神様!
今、世界で一番会いたいと思っていた人だった!
すぐ目の前までやって来て、彼はそっとひざまずいた。それでやっと同じ目線になる。
本当に本当に心配そうな顔で、大丈夫だったか、怪我はないかと尋ねてくれた。
こくりと小さく頷くと、彼はぎゅうっと強く強く抱きしめてくれて。
そうして抱きしめられると、今度こそ涙をこらえられずに、顔がくしゃくしゃになってしまった。
うわあん。
向こうの森まで響きそうな大声で、泣いた。
その泣き声がだんだん小さくなっていくまで、彼はずっと抱きしめてくれた。
たとえどんなに「世界でたった一人きり」になったとしても、絶対に絶対に自分を一人にしない人が、いてくれるんだと。
幼心に強く感じた、あの時の喜び、そして安心感。
手を差し出せば、大きく暖かい手で、必ず思いに答えてくれる。
あの晩も、ぎゅっと手を繋いで、一緒に家まで帰ったのだっけ。
あの時の光、今はもう霞んでほとんど見えないよ――。