01.
私はごく普通の女子高生だ。
今年で高校三年生。受験を控え、灰色の夏休みを過ごしている。
見た目も普通、頭脳も普通、特段人に好かれるたちでもないし、本当に何の特技もない単なる一女子である。強いて特徴を上げるとすれば、幼い頃に両親と死に別れ、孤児院で育てられた幸薄い子供だというくらいだろうか。
幸が薄いといっても、孤児院のスタッフさん達にはとっても良くしてもらったし、別段自分が不幸だという感覚はない。それに、親戚に引きとってもらった今でも、時たま孤児院に顔を出し、子供達の世話を手伝うくらいには、孤児院と良好な関係を築いているつもりだ。
あえて他にもまだ普通でない点をあげるとすれば。
そうだ、これはなかなかレアかもしれない。
私は――異世界とやらに、足を踏み入れたことがある。
面白いものだ。
私は普段、あまり小説は読まないし、映画も見ない。ドラマも見ない性質だった。
だからこそ、初めのうちは全然順応できなかった。異世界なんてものに放り込まれてしまうだなんて、一体何の因果なのか、本当に意味が分からない。本来ならば、もっとこういうものに免疫のある人間が招待されるべきだったのではないか?
とにかくも、何故に私が異世界とやらを旅することになったのか、今でも全ては謎のままだ。
ただ、私が異世界に迷い込んでしまったという事実は、純然たる過去の事実として、どっかりと私の心の中に根を下ろしている。この先、生涯忘れることはないだろう。
私を呼びだしたのは、その世界の著名な召喚師とやらだった。
まずもって、召喚師という職業自体、全くもって意味不明だ。現代日本ではおよそ聞きなれない単語である。その字面から紐解くに、何かしらを呼びだすことが生業の人々なのだろうということは想像に難くないが、まさか異世界から生身の人間を呼び出す職業を指すとは誰が思うだろう。
とにもかくにも、私はその召喚師に呼び出された。
曰く、私にその世界の「巫女」とやらになれという。巫女といえば、正月に神社でお神酒を配りおみくじを振りまいているアルバイトという印象くらいしかない私であったが、どうやらそんなお気楽な存在を指すものではないらしい。
とは言え、分かっていたんだ。
だって、召喚されたその場の空気が完全に「異世界」だった。
周りは金髪七割、彫りの深い西欧風の顔立ちの人間ばかりで、おまけに身にまとっているのはその当時CMで散々目にした流行りのファンタジー映画の登場人物達のそれ。そんな異国の人々が、人生の全てを賭したかのような真剣そのものの瞳で私を見つめていた。
魔法陣とかいうよく分からない落書きの上に突如姿を現した(らしい)私は、百年草木の生えなかった砂漠の地に芽を出した小さな希望がごとく、その場の異国人達に歓迎された。
こうなればもう、誰も私の話などに耳を傾けてはくれない。
私は単なる女子高生で、意味も分からずこの世界に連れて来られ、辟易しているどころか精神を病みそうなくらい消耗している。どうか何もなかったことにして、元の世界へ戻してほしい。私は何もできない、何の期待にも応えられない、だからとにかく、私を元の世界に返してほしい―――!
そうした全ては、壮大な独り言として処理されてしまった。
全く、どこの世界でも、人間というやつは身勝手なものである。
どうやら私は、五十年に一度召喚される異世界からの訪問者ということらしかった。この世界に平和をもたらす天上からの使者。つい昨日までは、宿題を忘れて先生にどやされていた間抜けな女子高生だったというのに、そんなことは誰も知らない。皆が有り難がって私に
上手いことできてるもので、こちらの世界に来てからの私は、見た目には「私」でなくなっていたのも大きかったと思う。この異世界に来て三日目にしてようやく鏡に映る自分の姿を確認したわけだが――どこかいびつな鏡に映るのは、金髪に碧眼、いかにも只者ではなさそうなオーラばっしばしの、神秘的な少女だったのである。
顔立ちは確かに私自身だったけれど、カラーリングが変わればとことん変わるものだ。誰が見たって完全に赤の他人というレベルである。私自身だって、人混みの中からこの姿の「私」を見つけ出すことなどできる気がしなかった。
そうして、私の異世界生活は始まった。
愛想のない若い騎士を護衛につけられたのが始まり。
世捨て人めいた魔術師を教師につけられたのが二つ目。さらには、私を呼びだした元凶である、やかましい召喚師が後見人となったのが三つ目――。
とにかく、周りをあらゆるスペシャリスト達によりがっちりと固められて、私は否応もなくこの異世界で生活するハメになったのである。
私がその世界で過ごしたのは、ほんの一年程度のことだった。
私に課せられた使命は、至極単純なもの。
この世界を縦横無尽に走る『気』とやらを上手いこと操って、完成された『気』の流れを作ることだった。異世界からの巫女に祝福された『気脈』は、長い時を経てこの世界に平和と繁栄をもたらすとかなんとか。
いきなりエイリアンと戦えとか言われなくて本当によかった。敵らしい敵はおらず、『気』の流れを正す作業は順調に進んだ。その作業の完成までに、約一年というわけだ。これはごく平均的な作業時間だったようで、何もかもが予定通りに進んだ。
皆にちやほやされ、邪魔者もなく、居心地のいい世界。その上、狙っていたのか知らないが、私の周りは美形ばかりで固められている。となれば、当然このままこの世界に暮らしてもいいかななんて邪な気持ちがひょっこりと顔を出した。
そもそも私は身寄りのない孤児なわけだし、元の世界にそれほどの執着はない。巫女様巫女様と皆に崇めたてられ、綺麗な顔をした男女に担ぎあげられる日々が苦痛であるはずがないのだ。
でも――やっぱり私は、この世界の人間ではない。
在るべきところに戻るのが、正しい選択のように思う。私がこの世界から消えていなくなること、それが、一年をかけてこつこつと正してきた世界の『気脈』の、最後の仕上げであるように思われた。
だから私は、帰ろうと思った。
でも、最後まで迷っていたのは本当だ。
だって私は、この一年で恋をした。
あまりに報われないと思いながらも、気持ちを押し止めることはできなかった。
ぶっきらぼうで無愛想で、優しさの「や」の字も見えないくせに、いつも私を見守り支えてくれた存在――私の護衛騎士様を、好きにならずにはいられなかったのだ。
いやあ、私も若かったよね。
思い返せば喧嘩ばかりしていたくせに、どうして好きになっちゃったんだろう。
彼と一緒にいられるのなら、異世界だろうが何だろうが構わないとさえ思えたんだから、恋というやつは恐ろしい。「元の世界に戻るべきだ」と分かっていたくせに、そのくせ「ずっと一緒にいたい」だなんて、いやはや、恋する乙女は何でもアリだ。
自らを諌める冷静な気持ちと、乙女特有の突っ走る恋心とがぶつかって、暫くは目も当てられない恥ずかしい状況が続いたと思う。周りは何も言わなかったけれど、気付いている人は気付いていたはずだ。あああ、本当に恥ずかしい。
そんな中で、最後に勝ったのは、冷静な私だった。
全ては良い思い出として、元の世界へ帰るのがいい。
でも、乙女な私もしつこく食い下がってきた。
だから私は決めた。
巫女としての役目を果たした今、後は帰還を待つばかり。最後に、彼にこの気持ちを伝えよう。そしてもし、私の気持ちを受け入れてもらえたら――この世界で彼と共に余生を過ごしてもいいのではないか、と。
最後の日、召喚師により準備された魔法陣の目の前で、私は彼を振り返った。
感情の読めない眼差しで私を見送る彼に向かって、私は、思い切って告げたんだ。――あなたのことが、ずっと好きでした――と。
けれど。
そうだよね、異世界とはいえこれは現実のお話だ。
そうそう上手く物事が運ぶもんか。
彼は、いつもはクールな表情を崩し、零れ落ちんばかりに目を見開いて。うん、一年一緒にいて、初めて見るほど驚いていたと思う。
でも、結局、迷いもなく告げたんだ。
「すまない」
と。
私は頷いた。
そうだよね。うん、ごめん、そりゃそうだ。
ありがとう。私は、大人しく元の世界に戻ります――。
奇しくも、十六年弱という人生の中で、初めて異性に振られたのが異世界でした。
今思い返せば、懐かしい思い出だ。