04.

 祭の当日がやってきた。
 ああ、すごい!
 想像以上に華やかな街の様子に、私は子供のようにテンションを上げた。

 通りに建ち並ぶ家の窓からは、色とりどりの花々。
 どの家にも国旗が飾られ、青空の下、悠々と風になびいている。通りにはたくさんの出店が立ち並び、数歩歩くだけで様々な匂いが鼻先をくすぐった。そこかしこで行われている楽団の演奏も賑やかだ。大通りともなれば、いつもの十倍近い人出がある。
 どこの国でも――例えそれが異世界であろうと――お祭りというものは、どうしてこんなにわくわくするものなのだろう!
 昨日の憂鬱はどこへやら、私は今にも歌い出しそうな気分で街の中を練り歩いた。

 前にこの祭に参加した時は、「巫女」としてだったもんなあ。街中の楽しそうな雰囲気は全然味わえなかった。そりゃあ、祭の主役としてパレードのトリを任せられることの方が、よっぽど珍しい経験だったわけだけども。

「やあ、ハルカじゃないか! どうだい一つ、買っていかないか?」

 出店の一つから、景気のいい声が私を呼びとめた。
 買い出しでよく訪れる精肉店のおじさんだ。今日はフランクフルトの屋台を出しているらしい。むむ、数メートル先から漂っていた肉の焼けるいい匂いの正体は、このお店だったのか。
「こんにちは、おじさん。うわあ、美味しそうですね〜」
 私が焼きたてのお肉に見入っている間にも、一つ二つと飛ぶように売れていく。
「もう少し見て回ったら、また戻ってきます」
「そうかい、いつでもおいで」
 このお祭りで使ってもいいお金は、あらかじめ決めてある。何でもほいほい買うわけにはいかないからね、欲しいものでもよく吟味しなくちゃ。できれば、おかみさん達から貰ったお小遣いは取っておきたいし。

 こうして庶民の暮らしをしていて、ようやくこの世界の物の価値というものが分かるようになった。現代社会を生きる私からすれば“粗悪品”と呼べるようなものが、この世界では何につけても一般レベルなのだ。王宮暮らしをしていた頃は、元の世界と同じくらい質のいい品々に囲まれていたから知らなかったけれど。
 そしてその“粗悪品”を買うために必要なお金も、私のような小娘が稼ぐには大変なことなのだと、今は実感している。これもねえ、巫女様だった頃は分かってなかったよね。
 ちなみに、下町の食事はとても美味しい。こればっかりは、王宮にも元の世界にも引けを取らない気がする。だからこそ、今こうしてたくさんの屋台に目移りしてしまうのだけど。

 しばらく何をするでもなく歩いていると、街の娘さん達が数人固まって何やら囁き合っているのが目に入った。皆で誰かを観察しては、きゃあきゃあと楽しそうにはしゃいでいるようだ。
 なんだろう? と思い、私はごく何気なく彼女達の視線の先を追って――そして思わず「げっ」と呻きそうになり、慌てて声を噛み殺した。

 視線の先にいたのは、王宮の騎士達である。

 半・非番とでも言えばいいのか。がっちがちの仕事ではないが、一応街のパトロールも兼ねつつ遊びにやって来たという感じで、二、三人で悠々と通りを歩いている。証拠に、彼らはいくつか支給される騎士の制服の中で一番カジュアルなものを身に着けていた。誰が見ても騎士だと分かるが、仕事モードでないこともよく分かる。
 騎士と言えば、この国では貴族にしかなれない職業である。普通の街の娘さん達にはまず縁のない人々だ。だからこそひそひそ話の娘さん達は浮ついているのだろう。この祭をきっかけに、彼らとお近づきになれるかもしれない、と。この間、定食屋の常連客が「いい出会いがあるかも」と言ったのもこのことだ。

 しかししかし。
 私にとっては全然ありがたくない。

 あの定食屋に出入りする一般兵なら私の巫女時代を知るまいが、騎士レベルになると、もしかしたら知っている顔もあるかもしれない。今の私ならバレないはず……とは思うものの、それでも万が一のことがある。元巫女の経歴をバラさない方向で過ごすことに決めた私にとっては冷や汗ものだ。

 だが幸い、今通りがかった騎士達の中に、私の知る顔はなかった。
(ああ、やだやだ。気を遣うなあ)
 別に指名手配犯というわけではないのだから、堂々としていればいいのは分かっているけれど。
 娘さん達はいつの間にか姿が見えなくなっていた。と、思ったら、どうやらあの騎士達を追いかけて行ったらしい。いい出会いに繋がるといいね。

 そうこうするうちに、いよいよパレードの時間が近づいてきた。
 街に溢れていた人々が大通り沿いへと集まり始める。私は浮かれていた気持ちがだんだんと沈んでいくのを感じながら、もたもたした足取りで人の波に流されながら歩いていった。
 ノエルの姿を見られるかもしれないことに、緊張する。
 これで見納めなのだなあ。むしろ、もう一度彼の姿を見る機会がやってくるなんて、夢にも思わなかった。
(その隣に、私とは別の巫女がいるのかもしれないんだ)
 いるかもしれない、というより、それはほぼ確定事項だった。
 祭の間、街を歩く中で何度かアルディナ様の噂話が聞こえてきた。
 彼女の護衛騎士を務めているのはノエルで間違いないらしい。そして、今日、このパレードに二人が参加するのも確かなようだ。ついでに、彼らが付き合っている、なんて聞きたくもない噂まで耳に入ってくる始末。街の若い娘さん達の間で、ノエルとアルディナ様は憧れのカップルであるらしい。

 所詮は顔か。顔なのか。顔のいい二人が結ばれる運命なのか。
 そんな風にこっそりやさぐれてしまうのは許してほしい。別に本気で、顔だけで結ばれたカップルだなんて思っていないけれどさ。

 私が巫女だった当時からノエルは多方面にもてていたけれど、節操無く手を出すような真似はしていなかったし。というか、誰にも興味はない感じだったな。中には相当な美人もいたんだけどなあ。
 あ、もしかして、あの時すでにアルディナ様と付き合っていたのかな? 私がノエルに好意を持っていることに本人も気付いていて、彼女がいると言い出せなかっただけなのかも。うわあ、だとしたら、私ってますます痛々しい……。
 どんどん俯いていく私をよそに、周囲の人々のテンションはうなぎ登りだった。

 ついに、一際大きなファンファーレが鳴り響く。
 パレード開始の合図だ。

 沿道の歓声は凄まじいものだった。
 ちょっと皆さん、まだパレードは影も形も見えていませんよ。
 私はといえば、前列でも後列でもなく、ちょうど人の波の真ん中あたりに突っ立っていた。視界のほとんどは誰かの後頭部なわけだけども、やってくるパレードを見るには問題なさそうだ。行進してくる人達は大抵馬に乗っているから、高さがある。

 やがて遠くから、少しずつ音楽隊の軽快なメロディーが聞こえ始めた。

 最前列にいる人たちが一斉に身を乗り出してざわめき出す。どうやら、パレードの先頭が見えてきたようだ。ひええ、後ろの人たちも、一歩でも前に出ようとして、押すな押すなの大混乱だ。これなら、一番後ろからひっそりとパレードを眺めている方が良かったかもしれない。

 私がもみくちゃにされている間にも、パレードは順調に行進を続けていた。

 先頭は、一際大きな国旗を振りかざした兵隊たちである。その後ろに音楽隊の一部が続き、そして国の主要な人たちも。お、先陣を切っているのはこの国の花形騎士団の面々のようだ。うわあ、さすがにかっこいい。背筋をぴんと伸ばした見目麗しい若者達が、剣を掲げながら行進する様は、思わず溜め息が漏れるほどに絵になっていた。
 あ、その後ろで馬に乗っているのは、騎士団長だっけ。これもまた渋いオジサマだ。彼には何度か会ったことがあるので、懐かしい顔である。もちろん向こうは私に気づいていない。いやしかし、多分騎士になるには、貴族というだけではダメで、見た目の基準もクリアする必要があるんだろうな。先程から美形揃い。世知辛い世の中である。

 その後も踊り子さんやら国の宰相やらが順々に続いた。さすがに国王やそのお妃様まではこの行列に参加していないようだけれど、三人の王子は参加していたようで、すこぶる贅沢なパレードである。

 そしてついに、やってきた。

 人々の歓声が、変わった。

 怒声にも近いそれは、長らく待ち焦がれた神の救いを受けるかのごとき必死さが滲んでいて、私は慄いた。皆、どれだけ必死なの。私の時もそうだったのだろうか。今となっては思い出せない。

 馬車に乗って、アルディナ様は現れた。
 その隣には――かつての私の護衛騎士の姿も。

 屋根のないオープンな馬車に乗ったアルディナ様は、腕が疲れることなど気にもしていない様子で、一生懸命民衆に手を振っていた。
 噂通り。いや、それ以上だ。
 キラキラと輝いていて、本当に天使みたいに美しい。幸せが溢れだしそうな笑顔を惜しげもなく民に向けていて、その表情に視線が吸い込まれてしまった。目が離せない。なんだかもう、信じられない。ただ顔の造りが整っているだけじゃないんだ。内面からにじみ出る何かが、人の心を鷲掴みにする。
 それが、「神力」なのかな。
 私もかつて、授かったもの。そして今は失ったもの。

 彼女の隣に腰掛けているノエルは、控えめな微笑を浮かべていた。
 約一年半ぶりに見る彼の姿は、あまり変わっていなかった。いや、前よりも精悍な感じが増したかな。自分の中で思い出補正がかかっていて、久しぶりに見る実物にがっかりしてしまうんではないか――なんて密かに考えてもいたけれど、とんでもない。私の記憶の中よりも、彼はずっと素敵になっていた。
 全くもう、なんだかなあ。
 あれって完全に、「巫女様とその護衛」なんて単純な図じゃないよ。

 ノエルは、私に全然気付かない。
 沿道に集まった人々へ向ける視線は、どこか滑っているように感じる。そりゃそうだ、元来彼はこういうのが苦手なたちだもの。大切な巫女様のためでもなければ、あんなところに居座っているはずがない。私の時だって、私が座る馬車の後ろを、別の馬に乗ってついてくる形だったし。

 ノエル、私、戻ってきちゃったよ。

 声にならない声で、彼へと語りかける。
 もちろん彼は、こちらへは全く視線を寄こさない。気付かない。

 私、これからどうなるのかな。
 不安だよ。なんだかとても――押しつぶされそうなくらいに。