20.

 その後、オトゥランドさんはすぐに王宮へ戻っていった。
 私はそのまま定食屋に残り、オトゥランドさんを見送る。

 彼がいなくなったら、ご主人達から根掘り葉掘り聞かれるだろうかと身構えていたけれど、それは杞憂に終わった。むしろこれまでと変わらない態度で私に接してくれる。本当はもっともっと聞きたいことがたくさんあるはずなのに、私から詳しく話し出すのを待とうということだろうか。
 変に距離を置かれたり気遣われたりするのではないかと思っていたから、ありがたい。
 そして同時に、申し訳なくもあった。

 その晩の営業は取り止めになった。
 たまにはそういう日があってもいいだろう、というご主人の発案で、急遽、身内だけのちょっとしたパーティーを開くことになったのだ。いつも来てくれる常連さん、ごめんなさい。でもこんなの初めてだから、かなり嬉しい。

 料理自慢のご主人とおかみさんが、腕によりをかけてご馳走を用意してくれる。
 じゃがいものスープに椎茸の肉詰め、そしてキッシュのようなもの。新鮮なハーブをふんだんに使ったサラダ、メインには鶏肉のトマト煮込み。今日は私とセナさんがいるからということで、デザートまで用意してくれた。
 食卓に並ぶ美味しそうな料理の数々! 私とセナさんは二人で大盛り上がりだ。

 ご夫婦と私、セナさんとでテーブルを囲み、乾杯する。
 異世界なんだしちょっとくらいはお酒に挑戦してもいいかな、と思ったりもしたけれど、ここは大人しくお茶にしておく。この世界で一般的に飲まれるお茶は、ハーブティーでありつつ、それほどくせがないので飲みやすい。元の世界に戻ったら、よく似たハーブを探してお茶を再現してみたいと思っている。

「ああ、美味しい料理に美味しいお酒。最高ですね!」
 セナさんは上機嫌でお酒のグラスを傾けた。ちなみに彼女は、見た目通りの酒豪だ。
「でも突然、どうしたんです? 働き者のご夫婦がお店を休むなんて珍しい」
 もっともなセナさんの質問に、ご主人はにこにこと笑顔で答える。
「いやあ、考えてみれば、二人がうちで働いてくれるようになってから、こういう歓迎会のようなものをしていなかったと思ってね。いつもお世話になっている感謝の気持ちを伝えられればと、妻と考えたんだ」
「そうなんだよ。だから遠慮せず、どんどん食べてちょうだいな」
「わ、ありがたいなあ。ねえ、ハルカ」
「はい!」
 私にとって、この定食屋は第二の故郷だ。むしろ、心情的にはここが一番のふるさとである。
 元の世界に戻っても、この定食屋とご夫婦のことは絶対に忘れられない。もちろん、セナさんのことも。そう考えれば、よく分からない今回の再召喚にも感謝してもいいかもしれない。どこのどなたか存じませんが、私に幸せな時間を与えてくれてありがとう。

 結局、パーティーはその晩遅くまで続いた。

 ご主人とおかみさんの馴れ初めや、お店を開いたきっかけを聞いたり。
 そういえば、セナさんの好みのタイプについても教えてもらった。何と、彼女はいわゆる「筋肉」好きなのだそうだ。どうしてセナさんのような若い女性がこのお店で働くことに決めたのか、ずっと気になっていた謎がようやく解けてスッキリした。
 ちなみに、マッチョからは程遠いイメージのノエルに惚れ込んでいたのは何故かと聞いてみれば、彼は特別枠なのだとか。それに、ノエルは線が細いようでいて実は結構いい体をしているはず、とセナさん談。なるほど、筋肉に並々ならぬこだわりがあることは伝わってきました。
 もう一つおまけに、魔術師タイプも特別枠に入ることがあるのかと訊ねてみれば、それについては「ありえない」のだそうである。コリーさん、頑張れ。

・   ・   ・   ・

 翌日の営業は、いつも以上の大繁盛となった。

 これまで突然店を閉めることのなかったこの定食屋が、昨晩はとうとう「準備中」の札がひっくり返ることはなかった。それで何事があったかと心配してくれた常連達が、翌日わんさか押しかけてきたのである。今日こそは無事開店していることを確かめた彼らは、そのまま昼食を食べていく、という流れだった。

 さらに混雑を加速させたのは、新しい客層のご来店である。
 目立つのは、王宮の若手兵士達だ。

 筋肉ダルマのおっさん達が主な常連であるうちの店には、彼らに気後れしてしまうせいか、若いお客さんが少なかった。しかし数日前から、数人の若い兵士達でがグループでお店に来てくれるようになったのだ。

 その中には、私が初めて王宮に弁当を売りに行った時に買ってくれた若者もいる。
 彼の名前はセドルといって、弁当ではすっかりうちのお得意さんだ。初来店にお礼を言うと、彼は照れたように頭をかいた。
「最近、なかなか弁当を買えない日が続いちゃって、我慢できなくて。中毒みたいなものですかね。それに一度、ここのできたての温かい料理も食べてみたかったんです」
「俺も一回店の方に来てみたかったんで、こいつに誘われて来てみてよかったですよ。やっぱここの飯は最高ですね」
「王宮に持ってきてくれる弁当の数、どうにか増やしてもらえたら嬉しいなあ。最近は購入希望者が多すぎて、争奪戦になってるんですよ」
 わいわいと仲間同士の元気なやりとりは、さすが若者だけあって爽やかさに満ちあふれている。うん、いいね! 若者いいね!
 そんな風に店員の私が若者達と戯れているのが面白くないらしい常連達は、無理に水を一気飲みしては、「水おかわり!」と声をあげたり、もう注文もしないくせに「メニュー表くれ!」と絡んできたりする。まあ、ちょっと拗ねている程度のことなので、可愛らしいものだ。

 それより断然タチが悪いのが、また別の新参客たちである。

 同じおっさん達でも、近頃ガラの悪い兵士達までもがお店にくるようになってしまったのだ。
 それだけこのお店が幅広い客層に気に入られつつあるのだと考えれば、我慢のしどころだとは思うのだけれど。それでも私としては、そろそろ限界というところである。

 例えば、やれ料理の配膳が遅いだの量が少ないだのと騒ぎ立てたり、昼間は出していない酒類を提供しろとすごんだり。混雑時には席を待つ人の列へ割り込もうとして、やんわり注意すれば激しく逆切れ。気のいい他の常連さん達が諌めてくれることもあったが、その度に乱闘寸前の大騒ぎになってしまう。

 どこにでも、困った人間というのはいるものだ。
 ご主人やおかみさんもほとほと手を焼いているが、いかんせん腐ってもお客様となると、こちらからあまり強く出るのは難しい。一応、弁当配達ついでに隊のお偉いさんに相談はしてみたものの、街の定食屋でちょっと騒いだ程度では、口頭注意が関の山らしい。しかも更にムカつくことに、たまに隊長さんが店に食事に来てくれる時なんかは、大人しく席について静かに食事をしてさっさと帰っていくという小心者集団なのだ。
 せっかく通い始めてくれた若者達や、他のお客さん達の足が遠のかなければいいのだけれど。

 とか何とか懸念していたら、思わぬところに一番の猛者がいたことが判明した。


 ある時、やはりいつものようにガラ悪兵士達が来店した。
 すぐにご主人が厨房から出てきて、私と接客を代わってくれる。
 彼らの開口一番の台詞は、「先週頼んだ料理と同じものを持ってこい」である。
 毎日たくさんのお客様が来店される中で、こいつらの注文内容なんていちいち憶えているはずがない。そもそもこいつらは、昨日も一昨日も来店しているのだ。昨日の注文内容ならば私だってまだ憶えているが、先週の注文なんて! 結局こいつらは、うちの定食屋に絡みたいだけなのだ。日頃ストレスが溜まってるのか何なのか知らないが、よくもまあこんな人格破綻者に王宮の兵士が務まるものである。

「お客様、申し訳ありませんが……」
 ご主人が低姿勢でお詫びしようとしたところ、すかさず男達の眼が光った。さっそく来るか、いつもの嫌味が。

「ご主人、代わりましょう」
 と、その時、颯爽とセナさんが現れた。

 セナさんは今日、王宮へ弁当を届けに行っていたはずだが、思いのほか早くさばいてきたらしい。今の男達とのやりとりも聞いていたようで、ニッコリ営業スマイルを浮かべつつ、ご主人から伝票を素早く引きとる。
「お客様、ご注文ありがとうございます。お客様は牛の酒煮定食、そちらのお二人は豚の香辛料焼き定食でございますね。只今店内混み合っておりまして、ご用意までお時間頂いておりますがご了承いただけますでしょうか?」
 えっ。セナさん、こいつらの注文憶えてたの!?
 男達も面喰らったようにセナさんを見上げていたが、うち一人は早々に立ち直り、さっそくセナさんに食ってかかった。
「そ、そんな待ってられるかよ、こっちは仕事の途中で抜けてきてやってるんだぞ!」
「左様でございますか、申し訳ございません。それではぜひ、またの機会に」
「何だと、客を追い出そうってのか!?」
「とんでもございません。お急ぎのところ、お時間を頂戴してご迷惑をおかけするわけには参りませんので」
「他の奴らにゃそんな断り入れてねえし、それほど時間もかかってねえだろ!」
「場合によってはお早めにお出しできることもございます。ただ、お客様は、普段からお時間を非常に気にされていらっしゃるようでしたので、あらかじめお伝えする方がよろしいかと」
「何でもいい、さっさと持ってこいよ!」
「恐れ入りますが、周りのお客様のご迷惑になりますので、もう少し声量を押さえて頂けますでしょうか」
 うお、更に追い打ちをかけますか、セナさん。
「これが俺の地声だ、文句を言われる筋合いはねえ!」
「でしたら恐縮ですが、店内においでの間の会話はお控え願います。皆様にとって心地よいお店づくりにご協力下さい」
「お前っ」
 激昂した男が、セナさんを突き飛ばした。
 その行為自体とんでもない暴挙だし、このバカ男の肩を持つわけでもないけれど、でも、それは割とソフトタッチだったと思う。騒いでいても所詮はただの小心者なのだ、思いっきりどつくようなマネはできなかったのだろう。
 しかし。

「きゃあっ!」

 セナさんは勢いよく吹っ飛んだ。
 吹っ飛んだ、というか、自ら吹っ飛んでいったように見えた気もする。
 そしてそのまま派手に転び、テーブルの角に頭をぶつけた。

「セナさん!」
「セナちゃん!」
 店内がざわめく中、セナさんは頭を抱えてうずくまった。「痛い……」と力なく呟く様に、さすがのバカ男達も絶句する。

 よろめきつつも立ち上がったセナさんは、言葉には言い表せないオーラをまとっていた。
 手を貸そうとした他の客達も、セナさんの怒りのオーラにおののいて一歩身を引いている。

 セナさんは、ゆっくりと男達の元へ歩み寄った。

「……お客様」
「ひっ」
「暴力は困ります」
 有無を言わせぬ迫力満点の笑みが、顔に張り付いている。
「この件は、それぞれの上役の方へご相談させて頂きますのでよろしくお願いいたします」
「そ、それこそ横暴だ。俺は軽く腕を押しただけだろうが」
「傷害の被害に遭った旨、警吏の方へ訴え出てもよろしいのですよ。第一分隊のダン=ウィーブ様。第五分隊のレック=ヘザー様。第七分隊のテト=ランカン様」

 名前と所属まで調べ上げていたか。
 今度こそ男達は絶句し、青い顔のまま互いの顔を見合わせた。

 セナさんの圧勝である。

 男達はそのまま捨て台詞を吐いて店から飛び出していった。
 店内で様子を見守っていた他の客達は、ざまあみろと言わんばかりの大喝采。
 セナさんは両手をあげて勝利のガッツポーズを披露していた。

 ガラ悪男達は、うちの店への出入りが禁止に。
 そしてそれ以来、この店で絶対に怒らせてはいけない人間ナンバーワンはセナさんだというのは、暗黙の了解となったのだった。