19.

「話は一通りその二人から聞いていますぞ。今回は難儀でしたな」
「……いえ」
 勝手に疑心暗鬼に陥っていた私は、思いのほか当たり障りのない話が始まって、ほんの少し肩の力を抜いた。

「よもやあなたを無断で呼び戻す者がいようとは、こちらも驚いている次第でしてな。すぐに関連が疑われる者達を秘密裏に調べてみたのですが、今のところ、尻尾を出した者は見当たりません。……疑われる者の数が多すぎるというのも一因でしょうが」
 疑われる者の数が多すぎる!? この王宮は一体どうなっているんだ。
 でも、そうか、私を呼び戻した人はまだ見つかっていないのか。

「できることならば、あなたの存在を公に通告し、もっと大々的に召喚者の捜索をしたいところなのです。しかし残念ながら、あなたも聞いている通り、今は時期が微妙でしてね。ただでさえ巫女アルディナ様への不信感が王宮内で芽生えつつあるところ、あなたの存在が知れれば、王宮内部は大きく二分してしまう可能性がありましょう。ですから、あなたには、これまで通り身を隠して生活してもらいたいのです」
 そうだよな。既にアルディナ様派閥とその対立派閥が密かにしのぎを削っている様子らしいし。
 私自身、今更大っぴらに巫女だと名乗り出るつもりもない。
「それは全く構いません」
「あなたの存在については、私止まりで話を伏せさせて頂きます。国王は、どちらかというとアルディナ様の派閥よりも、その対立派閥の方が御しやすいとお考え故、あなたの存在を知れば、アルディナ様の代わりにあなたを再擁立することを容認なさるかも知れません」
 げっ、そんなのは困る。
「私から見ましても、そうなれば王宮内の勢力均衡が乱れ、好ましくないと考えております。昨今は国王側へ権力の一元化が過度に進みつつありましたので、アルディナ様の勢力にそれを押さえてもらう必要があるのです」
 ……難しい話になってきた。
「その辺りの国の事情はご理解いただかずとも結構ですがね。いずれにせよ、こちらでは、引き続きあなたを召喚した人間の特定に努めましょう。全てが明らかになれば、その時は、あなたを元の世界に帰させるとこのフラハムティの名にかけてお約束します。ですから、今しばらくは辛抱いただきたい」
「わかりました」
 そう言われれば、頷くしかない。

 それで潜伏場所についてですが、とフラハムティ様は言葉を続けた。
「私は、引き続き今の定食屋で世話になるのが良いと考えております」
 彼のその言葉に、オルディスさんもオトゥランド様も驚いた様子はない。彼らが話し合って決めたことなのだろう。私にとっては意外な結論だ。
「とにかくあなたには、自然体でいてもらいたいのです。あなたの存在を下手に隠せば余計に目立つ。それに、オルディスはすぐにあなたをハルーティアと見抜いたようですが、正直なところ、他の人間があなたに気づくことができるとはなかなか思えませんからな」
 かくいうフラハムティ様は、今も半信半疑の様子だもんな。
 これまでに私に気づいた猛者は、オルディスさんとノエルの二人。アルスさんは……まあ除外。オルディスさんとノエルは私と最も長く近く接していた二人だから、パッと見た時の既視感から私と見抜いてしまったとしてもおかしくないのかもしれない。

 まあ、それはいいんだけども。

 定食屋でお世話になる。
 もちろん私はそれを一番に望んでいたし、今もそうだ。

 しかしここまで話を聞いていて、むやみにご主人達を巻き込むわけにはいかないという気もしてきた。だって、宰相様まで登場して、国を挙げての大問題に発展してしまっているこの状況。定食屋の皆に何も知らせず、素知らぬ顔で世話になり続けるなんて……。
(やっぱりそれは、まずいでしょう)
 フラハムティ様の推測通り、王宮の派閥争いの一環として私が呼び出されたのだとすれば、万が一何かあった時に、定食屋の皆に変な迷惑をかけてしまうのは避けたい。そうなると、私、定食屋から出た方がいいのかなあ。

「どうしました?」
 浮かない顔で黙り込んだ私に、フラハムティ様が問いかけた。
「いや、あの、定食屋のご主人達に、事情を話さないわけにはいかないと思って……」
「ああ、それもそうですな」
 フラハムティ様はすんなり納得した。
「さすがに巫女であることまでは話せませんが、王宮に縁ゆかりのある人間の娘だということで、その定食屋には説明をしておいたほうがいいでしょうか。――そうですね。オトゥランド、説明役を頼まれてもらえるかね」
「承知いたしました」
 やっと口を開いたオトゥランドさんは、恭しく頭を垂れた。

 え、待って。オトゥランドさんと一緒に定食屋のご主人達と話し合い? 何だか全くその図が頭に浮かんでこないんですけど。一国の重役が、定食屋のあの古椅子に腰掛ける図。ないない。
 オトゥランドさんの方でも、本当は「冗談じゃない」ってなところだろう。そんな小間使いみたいな仕事、相手が宰相でなければ頼まれるはずもない。まあ、王宮内でも誰かれ構わず事情を説明するわけにはいかないから、仕方のないことなんだろうけども。
 オルディスさんの方は、素知らぬ顔でフラハムティ様とオトゥランドさんのやりとりを眺めている。自分に火の粉が降りかからなくてこれ幸い、というところだろう。しかし、フラハムティ様もちゃんと人を見て人選したと思う。

「ひとまずは以上です。ハルーティア様にとっては何の前進も見られぬ報告になってしまいましたが、気を悪くなさらないでいただきたい。私が事態を把握した以上、悪いようにはいたしませんので」
「はい、よろしくお願いします」

 私はぎこちなく頭を下げた。

・   ・   ・   ・

 定食屋に戻ったのは、昼のピークを過ぎた三時ごろだった。
 この時間帯は、夜に向けた準備時間ということで、一旦店を閉めている。こちらの言葉で「準備中」の看板を下げた扉を開くと、厨房からおかみさんがひょっこりと顔を出した。

「ハルちゃん? おかえりなさい、随分遅かったねえ」
「すみません、おかみさん」
 おずおずと店内に足を踏み入れた私は、気まずげに後ろを振り返った。私の背後には、心もち地味めな服を身にまとった初老の大男――オトゥランドさんがついてきている。
 いくら地味とはいえ、明らかに仕立てのいい服を着たオトゥランドさん自身、どこからどう見ても国のお偉いさんという風情だ。うちの店に佇んでいるには、違和感が激しすぎる。

「あら、後ろの方は、どなた?」
 もちろんすぐにオトゥランドさんに気づいたおかみさんは、濡れ手をエプロンで拭きながら厨房から出てきてくれた。ただ事ではない様子を察したのか、おかみさんに続いてご主人も姿を見せる。

「初めまして、私はべリッド=オトゥランドと申します。実はこのハルカさんのことで、お二人にご相談させて頂きたいことがあり、王宮からお邪魔した次第です。お忙しいこととは存じますが、少々お時間を頂戴できますでしょうか」
 明らかに身分のありそうな彼が一平民へ向ける挨拶としてはもはや慇懃無礼なレベルだが、この真面目っぷリがオトゥランドさんである。
 ご主人とおかみさんは目を白黒させながらオトゥランドさんの挨拶を受けていたが、やがて私にすがるような視線を向けた。そうですよね、何事だって話ですよね。でも、私も何と言っていいものやら。

「とにかく、店内では何ですし、奥にお入り頂いても?」
 いち早く気を取り直したご主人が、オトゥランドさんを居住区の方へ招き入れてくれた。さすが、一家の大黒柱だ。突然のハプニングにもそれほど動じない。
 ご主人の案内で、私たちはリビングへと移動した。
 いつもは三人で、時にはセナさんも合わせて四人で食事をとるテーブルに、今はオトゥランドさんが。いやいや、もはや違和感のことなど気にするだけ仕方がない。もうその辺は、割り切ろう。

 おかみさんがお茶を淹れてくれたところで、ようやく話が始まった。
「この度は、突然のご訪問、誠に申し訳ございません」
「いえ、こちらこそ、こんな狭苦しいところにお越しいただきまして恐縮です。それで早速ですが、ハルカさんの件でお話というのは」
 意外にも、さっさと本題を切りだしてきたのはご主人だ。
「はい、実はこの度、ハルカさんが以前より探しておられたご親族の方と連絡がつきまして、まずはそのご報告にあがりました。そのご親族というのが、王宮にも縁ゆかりのある人物でして。王宮に出入りするハルカさんを見かけたとある者が、ハルカさんに気づいたのです」
「そうなのですか……」
「その者経由で、ご親族もハルカさんが王都に来ておられることをお知りになりました。そのご親族については、詳しくお話をすることができないのですが」
 ご主人は神妙な顔で頷いた。
「ええ、ハルカさんに何か事情があるということは、初めから分かっておりました」
 そりゃあそうだよね、私、思いっきり普通じゃない登場の仕方だったし。それに、ご主人は私の制服姿を見て、いいところのお嬢様だと思っていたんだ。お嬢様が行き倒れなんて、ますます怪しすぎる。それでも受け入れてくれたお二人の懐の深さに、改めて感謝せずにはいられない。

「ここからが本題でございます。本来であれば、ハルカさんにはご親族の元で暮らして頂くのが筋通りではありますが、実は、そうもいかない事情がございます。一言で申し上げれば、お家騒動、というものでして。今、ハルカさんがご親族の元へ向かわれれば、確実にその騒動に巻き込まれてしまいます。それはハルカさんご本人が望んでおられない。全ての決着がつき、騒動が収まるまでは、身を隠して過ごされたいとのご意向なのです」
 すごいな、“巫女”という一番重要な単語は出てこないけれど、話の大筋は間違っていない。オトゥランドさんて無口なイメージだったけれど、さすが王宮の重鎮にまで上り詰めただけあって、話術が巧みだ。

「大変勝手な申し出であることは重々承知でございますが、どうか、今しばらくハルカさんをこちらに置いて頂くことはできませんでしょうか。ご相談といいますのは、そのことでございます」
 そう言ってオトゥランドさんは、大判のスカーフのようなものをテーブルの上に広げた。何事かと思っていると、その上に持参した鞄をとんと置く。
「どうかこちらをお納めください。ハルカさんを置いて頂くにあたっての、わたくしどもの誠意でございます」
 え、えーっ! そんなもの用意してきたの!?
 これって、つまりはお金だよね。よく映画とかでジュラルミンケースに札束がぎっちり詰まってる、あれと同じだよね!?
 思わぬ展開に目をひん剥いている私とは裏腹に、ご主人達は落ち着いているようだった。真剣な眼差しで鞄を見つめている。うわあ、お金でご主人達の親切心を買い取ろうってことになっちゃうよ、これ。そりゃあ、手土産の一つくらいは必要かもしれないけど……。

 ご主人とおかみさんは、顔を見合わせた。
 にこりともしない二人に体がこわばる。やっぱり迷惑だよね。迷惑な上に、お金で解決しようっていう姿勢を見せつけられて、きっと不愉快なはず。借金があるというお二人にとっては、ひどく複雑でもあるだろう。

 だめだ。
 私、黙ってないで、ちゃんと自分の気持ちを自分の言葉で伝えなきゃ。
 打算とかそういうのでなく、私はただここにいたいんだってこと。

「――あの、私」
「いいんだ、ハルカ。分かっているよ」

 ご主人が、ようやくわずかに笑ってくれた。優しい微笑みに、けれど私の不安は募るばかりだ。

「オトゥランド様」
 ご主人は改めてオトゥランドさんを真っ直ぐ見据えた。
「今日までハルカさんと過ごせたことは、私達夫婦にとって、かけがえのない幸せです。きっとハルカさんも私達と同じ気持ちでいてくれていると、信じています。短い付き合いではありますが、私達は絆で結ばれている。我々夫婦は、その絆を何よりも大切に思っています」
 ですから、とご主人は鞄をオトゥランドさんの方へ押しやった。
「こちらは受け取ることができません。私達には絆がある。こういったものは必要がないのです。ハルカさんがこれからも私達と共に過ごしたいと言ってくれるのなら、私達は喜んでそれを受け入れる。ただそれだけのことでしょう」

 ご主人……!

 感激のあまり二の句が告げない。
 私って、本当に幸せ者だ。こんな素晴らしい人達にお世話になることができたなんて。

「そのお言葉、大変痛み入ります」
 オトゥランドさんが深々と頭を下げた。私もそれに倣う。形だけじゃない、心からの感謝を込めて。

 私、ここにまだもう少しいていいんだ。
 ずっとずっとここにいたい。この人達の側にいたい。

 この異世界で、そんな風に強く感じたのは――本当に久しぶりの、ことだった。