26.
結局、後日ソティーニさんのための弁当を用意するという約束をさせられて、どうにかその場はお開きとなった。
ソティーニさんがうちの弁当を食べることでオルディスさんとの恋が成就するとは全く到底思われないのだが、彼女にとってはそれも一つの通過儀礼、神が与えたもうた乗り越えるべき試練というところらしい。コリーさんの言った通り、大層情熱的なご令嬢である。初めてオルディスさんに同情心というものを抱いた次第だ。
定食屋に戻った私がそのことで愚痴っていたところ、リックさんが驚いたような顔をした。
「あのオルディス様やソティーニ様と会ったのかい? すごいね」
「リックさんも二人を知っているんですか?」
「王宮では有名な二人だからね、噂には聞いてるよ。もちろん会ったことはないけど」
リックさんは、当初の取り決め通り週二回の約束で、うちの厨房で働き始めた。
さすが現役の料理人だけあって、料理の手際が非常にいい。知識や技もどんどん吸収しているようで、教える側のご主人もやりがいを感じているようだ。また、料理以外にも、皿洗いやゴミ捨てなど、雑用も率先して引き受けてくれるので、普段男手の足りない定食屋には非常にありがたい。
今も、昼時の営業を終えて、食器や鍋などの洗いものを片付けてくれている。私は、洗い流した食器をリックさんから引きとって、布巾で拭き取る係だ。
「でも、魔術師と神官の恋って、何だか禁断っぽい感じで素敵だよねえ」
同じく布巾を片手に食器を拭いていたセナさんが、ほうと溜め息をついた。いつもは豪快な彼女の乙女スイッチがオンに切り替わったようだ。
「個人的には、そのソティーニって子には頑張ってほしいな」
「オルディス様は気難しい方という話だから、どうなんだろうね」
リックさんは苦笑を浮かべた。
確かに彼の懸念する通り、あの二人が結ばれるというのはちょっとあり得ない気がする。だがしかし、オルディスさんが誰かを好きになって積極的に行動するだなんて全く想像できないし、逆に、押して押して押しまくるソティーニさんのような人が最後には勝利するのかもしれない。
どちらでも構わないが、そこに他人を巻き込むのだけは止めてほしいところだ。
「それに、ソティーニ様の立場的からしても、還俗して魔術師の妻になるなんて、かなり難易度が高いだろうからなあ」
「ソティーニさんて、いいところのお嬢様という感じでしたしね」
「それもあるけど、何より、あのアルディナ様のお付きの神官だからね」
「――え!!」
私は手に持っていた皿を取り落としそうになった。
が、どうにか耐えた。皿は落とせば割れてしまう。
しかししかし、それよりも。
「アアアルディナ様って、あの、巫女のアルディナ様ですか!?」
「そうだよ。ソティーニ様って、割とすごい方なんだよ」
私の驚愕ぶりを、違う意味で解釈したらしい。リックさんはのんびりと頷いた。
「だから余計に、結婚のための還俗だなんて周囲が許さないんじゃないかな。アルディナ様は今、神に最も近いところにる女性だからね。その付き人が、恋に走って神官を辞めるだなんて、醜聞もいいところだと思うしさ」
ソティーニさん。あなた、本当に本当に情熱的な人なんですね。
「なにそれ、そんなの、余計に頑張ってほしいじゃない! 神に仕える身だから恋をしちゃいけないなんて、そんなのひどい話だと私は思うし!」
セナさんは一人でぐんぐんテンションを上げている。
「アルディナ様ご本人だって、護衛騎士のノエル様といい仲なんでしょ。そっちだけ黙認されるなんてずるくない? ……というか、あの二人って本当に付き合ってるの? リックさんなら知ってるんじゃない?」
話題が思わぬ方向へ飛び火した。
私は体を強張らせつつ、リックさんの返答を待ってしまう。
「いやいや、俺はただの調理師だから、本当のところなんて分からないよ。そういう噂が王宮内にあるのは確かだけどさ。俺たちには雲の上の人だよ、アルディナ様もノエル様も。もちろん、オルディス様もソティーニ様もね」
「でも、そのソティーニ様に、うちの弁当を持っていく約束になったんだよね。今の話聞いてると、凄いことになっちゃったものだね」
本当に――とんでもないことになってしまった。
オルディスさん絡みの修羅場に巻き込まれてしまって迷惑だ、くらいにしか考えていなかったけれど、相手がアルディナ様のお付きの神官だったとなれば、話がまるで変わってくるではないか。
アルディナ様一派に私の正体が露見すれば、最悪……。
いやいや、まさかそんな、神に仕える神官様方が、まさか、ねえ。
それに、ささっとソティーニさんに弁当を渡して軽く癇癪を聞き流してあげれば、それ以上深みにはまるはずもない。そうだ、ささっと。よし、ささっと!
一番いいのは、弁当の話をソティーニさんが忘れてくれることなのだが。
・ ・ ・ ・
それから数日は、平穏無事な生活が続いた。
ソティーニさんからの接触もなく、オルディスさん側からの報告も特になく。定食屋にも変な客は来なくなったし、このまま毎日が過ぎてくれれば、心穏やかに暮らせそうである。
そんな中で、ちょっとしたニュースが飛び込んできた。
それはいつものように、満席に近い定食屋で接客をしていた時のことだった。
ふらりと訪れたお客さんが、席に着くなり、注文をするより先に私に教えてくれたのだ。
「いやあ、すげえびっくりしたよ〜。今、向こうの教会に、お忍びでアルディナ様がいらっしゃってるぜ!」
誰かに教えたくてうずうずしていたのだろう、私に向けてというよりは、店の客全員に向けての一言だった。
当然、一瞬で店内は色めき立つ。本当なのか、お前は会ってきたのか等々、その場にいたお客さん達の声が店に飛び交い、狭い店内は一時騒然とした。
しかし、たくさんの声が上がる中で、誰一人として「そんなことがあるはずない」と否定的な見解を示す人がいなかったのが意外である。そこのところを近くにいた常連さんに聞いてみると、何でもアルディナ様は、市井の人々との触れ合いや地元に密着した教会との関わりをとても大切に考えていて、時々こうして電撃のお忍び訪問をされるらしい。だから、皆にとっては「ついにうちの地区にもその時がやって来たか!」というような、想定内といえば想定内の驚きなのだそうだ。
一目でもアルディナ様を見てみたい、ということで、お客さん達は目の前の料理をかき込むと、一人また一人とお店を後にした。そのおかげで、あっという間に店内は空席だらけになる。昼のピークにこんなにこのお店がガラガラになるなんて、初めてのことだ。
「ほとんど皆、行ってしまったねえ」
おかみさんが苦笑いで店内を見渡した。
残ったのは、まだ料理を大急ぎで口の中に詰め込んでいる途中の客が一人、二人。最初にアルディナ様の情報を伝えにきた客は、いつの間にやら他の人達に紛れて姿を消している。
「こりゃあ、今日の昼は開店休業ってとこかねえ」
「アルディナ様効果は凄いですね」
でも、お客さん達の気持ちも分かる気がする。
以前の祝神祭で、人垣の合間からアルディナ様を見かけた時は、私もすっかり彼女に目を奪われてしまったものだ。もう一度、もっと近くで会えるかもしれないと言われれば、ちょっと行ってみたい気もする。
それに、アルディナ様がお忍びの外出となれば、当然護衛であるノエルも一緒に違いない。
もしかして、ソティーニさんもついてきているのだろうか。
気になるけれど、私まで仕事を放棄して教会へすっ飛んでいくわけにはいかない。……いや、例えご主人やおかみさんに行ってもいいと言われたって、やはり行かない方がいいだろう。
(きっと辛い思いをするだけだ)
あの、祝神祭の時のように。
アルディナ様の隣にいるノエルを見るのが辛いだけじゃない。
アルディナ様自身、私の後任だなんて思えないほどに、美しく輝かしい人だ。そして――きっと、「巫女である」ということに、私よりもずっと真摯に向き合っている人だと思う。
私が巫女だった当時は、ほとんど外出なんてしなかったものだ。
王宮内でノエルに護られて過ごし、周囲に言われたことをこなすだけで手いっぱいの日々。例外的に外へ出るのは、『気脈』を正すために所定の教会へ向かう時くらいだった。自分から外に出て、一般の人たちと触れあおうだなんてこと、考えも及ばなかったのだ。
今思えば、私は周囲の言いなりだった。
結果的には、それで目標を――『気脈』を正すという役目を果たすことができたのだから、間違いだったとは思わない。
けれど、王宮の人々にとってみれば、私は扱いやすい操り人形のような巫女だっただろう。私にこの世界に留まり、引き続き巫女を続けてほしいという声が出たのも、恐らくはその“扱いやすさ”故だ。
アルディナ様には確かに敵がいるのかもしれない。
けれどそれは、アルディナ様が信念を以って、自分の意思で動く巫女だからなのではないだろうか。
きっとアルディナ様は、これからも、これから先も素晴らしい巫女で在り続けるだろう。
そう思うと、アルディナ様が私に代わって巫女になったことは、必然だったのかもしれない。
「一人なんだけど、いいかい?」
不意に店の入り口から声をかけられ、私ははっと意識を引きもどした。
ぼんやりと考え込んでしまっていたが、客の波が引いたとはいえ、今は仕事中だった。
「いらっしゃいませ! お一人様ですね」
新しい来客に、気合いを入れ直して顔を上げる。
笑顔で迎え入れたそのお客様は――
「ア、アルスさん!?」
「やあ、ハルカちゃん、こんにちは。精が出るね」
まさかのお祭りナンパ男の再来である。
「どうしてここに!」
「どうしてって、たまたま昼飯食いに来ただけだけど」
「でも、私がここで働いてるって、一言も言ってないのに! 完全に今、私がこの定食屋にいるのを知ってる感じだったよね?」
「そりゃ、知ってたからね。王宮に弁当売りが来てることは有名だよ。何度か王宮にいるハルカちゃんを見かけてたし」
何でもないことのように、アルスさんは教えてくれた。
そ、そうか、アルスさんは王宮で働いているんだもんな。それなら、この定食屋のことを知っていても別におかしくはない。それに、私が気づいていなかっただけで、向こうは私を見かけていたのか。それで、今日はたまたまここで昼を食べる気になった、と。
なるほど、そうかそうか。
……何だか、激しく釈然としないんですけど。