27.

「おすすめの定食、お願いしようかな」
「……うちのおすすめは鶏肉のハーブ煮込みだけど、それでいい?」
「うん、じゃあそれで」
 アルスさんは迷いもせずに頷くと、興味深そうに狭い店内を見渡した。変わったものは何も置いていないはずなのだが、随分と楽しそうだ。

 一方の私は、オーダーを通しに厨房へ引っ込んだ隙に、こっそりとアルスさんを観察した。
 何の変哲もない、白っぽいシャツにくすんだベージュ色のパンツ。そしていかにも履き込まれたブーツという、シンプルな出で立ちだ。兵士……ではなさそうだが、では一体何の仕事をしているのだろう。
 あれこれ考えるより、ここは本人に聞いてみるのが一番手っ取り早い。

「あの、アルスさんて、王宮で働いてるっていう話だったよね?」
 お水を運びがてら、早速そう問いかけてみた。
「ああ、うん。そうだよ」
「具体的には何の仕事をしてるの?」
「んー、何だと思う?」
 いや別に職業当てクイズとかしたいわけではないんですけど。
 だがまあ、今日のアレスさんはうちのお客様だ。仕方がないから付き合ってあげるとしよう。
「兵士ではない……よね。訓練場で見かけたこと、一度もないし。前に王宮の下働きって言ってたけど、例えば厩の番人とか、掃除夫とか? でもそんな風には見えないなあ。かといって、文官系かと言われたらそれも違う気がするし……」
「お、結構俺のこと考えてくれてるんだね。嬉しいなあ」
「そういうのいいから。それで、答えは?」
「この間、ハルカちゃんも俺に仕事場教えてくれなかったから、まだ教えてあげなーい」
 うざっ。
 顔が引きつるのが自分でも分かった。
「あっ、そう。じゃあ別に教えてくれなくてもいいや。もう会うこともないだろうし」
「ひっどいなあ。今度会ったら友達になろうって約束しただろ?」
「今のやりとりでそんな気持ちはなくなりました」
「拗ねるなって。今度王宮で見かけた時は、声かけるからさ。その時にでも、俺の仕事紹介するよ」
「いや、いいです。本当はもともと興味ないし」
「そんなこと言うなって〜」
 やたらと絡んでくるアルスさんに辟易しつつも、他にほとんど客のいない状態なので、仕方なく接客ついでの雑談を続けてあげることにした。

「そういえば、今、向こうの教会にアルディナ様が来てるんだって」
「そうらしいね」
「アルスさんは興味ないの?」
「興味なくはないけど、特別気になるってほどでもないかな」
 それはつまり興味がないということではなかろうか。
「ハルカちゃんこそ。女性に大人気の騎士ノエル様も来てるらしいよ。さっき教会の前を通ったけど、すごい人だかりだったな」
 やはりノエルも来ているのか。
 想像はついていたからそれほどの驚きはない。
「そりゃあ、見てみたい気はするけど、ご覧の通り仕事中だし」

 その時ちょうど、アルスさん注文の鶏の煮込み定食ができあがった。熱いので気をつけて、と言いながらテーブルへとトレーを運ぶ。湯気の上がるできたての料理を前に、一気にアルスさんの目の輝きが増した。
「うわあ、美味そう!」
 もちろん、美味しいに決まっている。作ったのはご主人であるが、私は得意げに胸を張った。

 アルスさんは早速スプーンを手に取り、大きな肉の塊を口へと放り込んだ。熱さのあまりか若干涙目になりながら、はふはふと頬張っている。あーあ、熱いって言ってあげたのに。でも、相変わらず美味しそうに食べる人だ。
「うっまいなぁ。こんなに美味い店なら、もっと早くに入ってみればよかった」
「今回来てくれたのが初めてなんだね」
「店自体は知ってたんだけどね。店の主人も奥さんも、親切で優しい人達だって聞いてるし。ハルカちゃん、いいところで雇ってもらえてよかったよな」
「そうだね、本当に」
 アルスさんは、会うたびに私の身の上の心配をしてくれている。
 そんなに初めてあった時の私は、独り寂しいオーラを撒き散らしていたのだろうか。確かに、あの時が一番孤独だったかもしれないな。この世界へ来てまだ間もなくて、友達も全然いなかった頃だ。そんな中でノエルとアルディナ様の煌びやかなパレードなんて目撃してしまって、無性に心細くなってしまったんだよなあ。
 あの時を思えば、今はとても恵まれている。

「ふー、ごちそうさま」
 あっという間に全てのお皿を空っぽにしてしまったアルスさんは、満足げに息をついた。
「仕事を抜け出してきたから、もう戻らないと。……次にハルカちゃんに会うのは、王宮になるかもな。俺を見かけたら遠慮なく声かけてくれよ」
「気が向いたらね」
「相変わらずひでえ」
 まだ警戒されてるんだなー、ひどいなー、などとぶつくさ言いながらアルスさんは席を立つ。
 そりゃあ警戒もする。むしろ彼の怪しさ度数は会うたびにうなぎ登りだ。
 アルスさんのことは嫌いではないけれど、それとこれとは別問題なのである。

「アルスさんが本当に私と友達になりたいって思ってくれる日が来たら、仲良くしよう」
 去り際のアルスさんにそう声を掛けたら、アルスさんは驚いたように少しこちらを振り返った。

・   ・   ・   ・

 数日後、リックさんが日課となった料理修業にやって来た。
 ご主人やおかみさんと一緒に手際よく仕込みをしながら、思い出したように私に話しかける。

「そうだ、ハルカちゃん。昨日うちの厨房に、ソティーニさんの遣いの人が来てさ」
「ソティーニさんの?」

 弁当を食べさせろだの何だのと押し問答があったのは、もう二週間近くも前のことだ。
 すっかり無かったことになったと思い込んでいた私は、彼女の名前を聞いて非常に驚いた。
「うん、明日、ソティーニさんのところへここの弁当を届けてほしいって」
「明日ぁ!?」
 また急な話である。
 しかも、届け先がどこかと言えば、神官達の住まう棟の面会室ということだった。

 神官達には、魔術研究所と同じように、王宮内に専用の棟が与えられている。そこには神官居住区や立派な作りの教会もあるが、全て一般人は立ち入り禁止の区域である。もちろん、王宮の使用人といえど、許可なくそこへ立ち入ることは許されない。
 唯一神官以外の人間が自由に出入りできるのが、件の面会室だった。

 私が巫女だった当時は、神官達の居住区域に部屋を与えられて生活していた。
 だから、そこへ弁当を届けに行くということは、本当の意味で古巣へ足を運ぶこととなる。懐かしい半面、深入りしすぎではないかという危惧も大きかった。
 当然ながら、現巫女であるアルディナ様もそこで生活しているはずだ。まさか面会室に顔を出した程度で彼女とはち会うことにはならないだろうが、色々な理由から、極力近づきたくはないのが本音だった。

 かと言って、セナさんに代わりに届けてもらうのも悪いしなあ。
 絶対に、ソティーニさんから嫌味の一つや二つは言われることになりそうだ。セナさんにまで嫌な思いをさせたくはない。

「その、お遣いの人にまた来てもらってお弁当を渡すんじゃ駄目なのかな」
 駄目だろうなと思いながらも口にしてみたが、案の定、リックさんは首を振った。
「時間も場所も既に指定されちゃってるから。ソティーニ様としては直接君に会いたいんだろうね」
 そう言って、預かってきたという手紙を渡してくれる。
 この世界の文字についてはあまりスラスラと読めないのだが、時間と場所だけが書かれた簡潔な手紙……というより単なるメモは、残念なほどに分かりやすい。

「でも、お偉い神官様にうちの弁当だなんて。お口には合わないでしょうにねえ」
 私とリックさんのやりとりを聞いていたおかみさんが苦笑いを浮かべた。
 貴人だろうと町民だろうと、美味しいものは美味しいと思う。だから、そこのところは全く心配していない。だが、あちらには最初から私に対する悪意があるようだから、わざと弁当をけなしてくる可能性は十分考えられた。

 やっぱり、私が自分で行って、さっさと弁当を渡して帰ってこよう。

 逃げれば却ってとんでもないことになる。
 ノエルの件でそれを身にしみて実感していた私は、早々に腹をくくった。


 翌日の早朝、ご主人達が弁当の準備を始めるのを私も手伝わせてもらうことにした。
 私が持ちこんでしまった厄介事だ、少しくらいは何かしないと申し訳ない。と言っても、私にできることなど、高が知れているのだが。
 ご主人の指示通り、材料を混ぜ合わせたり、鍋の中身をかき混ぜたり。
 使われている食材はどれも新鮮で、野菜などはそのままかじりついてもとても美味しい。ご主人の知り合いの農家から採れたての野菜をこまめに買い付けているそうだから、リックさんのところの食堂と料理のレベルが違ってくるのは、そうした食材の差もあるのだと思う。

 神官様が食べてはいけない食材はあるのだろうか、ご主人は律儀にもそんなことを気にしているが、私の記憶では、特にそういう決まりはなかったはずだ。その他にも、女性だから一口を小さめにしようだとか、あまり肉が多くない方がいいだとか、ソティーニさんのためにきめ細やかな心配りをしてくれている。
 向こうは弁当と私にいちゃもんをつけたいだけだろうに、何て優しいご主人達。
 この気遣いと職人魂を、ソティーニさんにも見せてやりたいところだ。

 結局この日は、セナさんに通常通り訓練場への配達をお願いし、私はソティーニさんのところだけに弁当を持っていくことになった。
 ソティーニさんが指定した待ち合わせの時間が、思いっきり昼時と被っているせいだ。
 それに、さすがに神官の居住区へあの大きな籠をかついで向かうのは気が引ける。
 ご主人、おかみさん、セナさん。忙しい中、本当に色々とすみません。