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double bind!(上)

 俺の名前は麻生孝志という。至って普通の名前といえよう。地元の県立高校に通い、サッカー部のレギュラーとして日々汗を流している。これもまた、至って普通の17歳男子の姿といえよう。
 そう、俺は普通なんだ。
 流行りの音楽だって好きだし、短期バイトで金貯めながらバイクの免許を取ろうと頑張ってるし、それなりに髪型なんかにも気を使って、毎朝鏡の前で奮闘してる。友達と雑誌のグラビアを見てコイツの足は太いと話し合い、サッカーの日本代表にはアイツを選ぶべきだと語り合う。

 好きな女子だっている。
 これまた至って普通に、「学校のアイドル」なんてある意味茶化されてるような、カワイイ系の他クラスの女子に好意を持っているわけだ。
 彼女の名前は、仲原結衣という。サラサラのストレートの髪が肩を越えたくらいのところで優しく揺れている。目はパッチリと大きくて、瞬きをするだけで表情が豊かに変わる。頬は心もちふっくらとしていた。たいてい笑顔を浮かべていて、人の目を真っ直ぐ見返すタイプの人間だ。男ならば誰でも、数分の会話で心をグラッと揺らしてしまうような、そんな愛らしい魅力を持った女子だった。
 お互いが入学した頃から、仲原はかわいいかわいいと騒がれていた。高一の入学式の時点で十人に告白されたという噂まで囁かれている。まあ、変にキリのいい人数だけに信憑性は微妙なところだが、それでも納得できてしまうレベルなのは確かだ。俺もたまに廊下ですれ違って、「あ、マジでかわいいじゃん」なんて軽い気持ちでその横顔をうかがったりしていたが――。
 思いもよらず、俺たちには接点があったりした。接点といっても別にたいしたモノじゃないのだが。俺たちの家は、たったの三軒分しか離れていなかった。つまり、お隣さんのお隣さんのお隣さんが仲原の家なのである。嘆かわしいかな、近頃の社会は殺伐としたもので、そんな近所に同級生が住んでいる事実すら知らずに過ごしていたのである、高二になるまでは。
 しかしこの春から美化委員になったことで、状況に少し変化が生じた。一年の時に委員会に入らなかったせいで今回強制的に立候補させられたのだが、今となってはそれにも感謝している。例の仲原も同じ美化委員になったのである。仕事といえば放課後残って体育館ウラの雑草抜きだとか、地味にも程があるものばかりだが、ムダ話をしながらでも取り組める内容が大半で、自然と仲原と雑談する機会も多くなった。しかも帰り道は一緒なもんだから、活動の後は二人きりで下校するなんてことが日課になった。
 数分の会話で男の心を掴む猛者と、毎度二十分の下校を共にすればどうなるか。目に見えてる。俺は至って普通の男子高校生なのだ。
 しかし、俺の気持ちに変化が表れ、それをはっきりと自覚したところで、なにか行動を起こすことができたわけではなかった。相手は学校のアイドルだ。たまに一緒に下校する程度の俺が、アイドルにとって特別な存在であるはずがなかった。実際、向こうにそれらしい気配があるのを感じ取れたことなど、微塵もない。それにそもそも、仲原には彼氏がいるのだ。まだあまり知られていない事実だが、俺が彼氏の方と友達なので、二人の間に割って入れる隙間がないこともよく分かっている。
 好きな女子に告白もできない、でもまあ別にそういうモンだと思っている。くどいようだが、俺はどこにでもいる男子高校生なのだ。

 ――が。

 こんな俺だが、たった一つだけ、人とは違うところがある。
 たった一つだけなのだが、しかしそれは結構深刻だったりする。
 ――俺は、二重人格なのである。
 しかもただの二重人格ではない。といっても、二重人格に「ただ」も「ただじゃない」もないのかもしれないが。でもとにかくヤバいのだ。その「もう一人の人格」の性格が、果てしなく本当にどうしようもないほどヤバいのだ。
 よく小説やマンガに出てくるような、泣き虫な子供の人格とかヒステリックな女の人格とか、それならまだマシな方だと思う。俺の場合は、いっそその人格を道連れに命を絶ちたいくらい、絶望的な性格をしている。

「こら孝志っ、至極失礼だぞっ!」

 そのとき突然、男の声が部屋に響き渡った。――ごくり、と俺は喉を鳴らす。その男の声に、聞き覚えのないはずがなかった。
 ――それは紛れもなく、俺自身の声だったのだから。
 ちなみにここは、自宅の俺の部屋である。今この部屋には俺以外誰もいない。つまり、認めたくはないが、たった今のセリフは俺自身が発したということになる。
「まったくキミは、未だにグダグダと悩んでいるのかね。日本男児ならば、もっと胸を張って堂々としたまえ!」
 また勝手にしゃべってしまった。
 俺はとっさに両手で口を覆った。が、それに一体何の意味があるのか。
 黙れ黙れ黙れ、俺はそれだけをひたすら心の中で唱え続ける。黙れっていうか、マジホント頼みますから、黙ってくださいお願いします。
「黙れとは何とも酷い言い様ではないか。ああ、私のガラス細工のような繊細な心は、今ピシリと音を立てて崩れていったよ」
 だから黙れ。
「いいではないか、今この場にいるのは私とキミ、二人だけなのだから」
 いや、この場にいるのはどう考えたって俺一人だ。
「普段キミが人といる時は、極力姿を現さぬよう協力してあげているではないか。自室にいるときくらい、羽根を伸ばしたところでバチはあたるまい?――って、ああぁ、だから黙れよテメーはよおおぉぉ!!」
 思わず絶叫して立ち上がった。その拍子に、ガターン、と音を立てて椅子がひっくり返る。俺も一緒にひっくり返ってタンスの角に頭をぶつけてしまえば、あるいは楽になれたのだろうか。
「やれやれ、今日は特にご機嫌ナナメと見える。困ったチャンだねキミは――ああぁあ、うるっせーー!!」
 そうだ。さっきの言葉は訂正しよう。たった一つだけ、俺は人とは違うと言ったが。もう一つ人とは違う点があった。
 普通は二重人格といったら、人格は交替で表に現れるはずだよな?子供の人格がしくしく泣いている間は、もう一人の本来の自分はどこかまったく違う世界に飛んでいるはず。……なのかは知らないが、少なくとも傍から見ればそのように見える。
 だが俺の場合、ご覧の通り二つの人格が一度に存在できてしまうのだ。メインは俺。いつだって俺。どんなときでも俺の意識はハッキリと、ここにある。だが、それと同時にもう一人の人格――ジェラールとか名乗ってやがった、どこのフランス人だ――も潜んでいるようなのだ。そして今のように、あまりにも突然、ふっと口を挟んでくるのである。
 これは非常にタチが悪い。俺自身はいつもこうして健在なのだから、たまにアイツが奇妙なことを口走る程度では、誰も俺が二重人格だとは思わない。ならいいじゃないかと思うかもしれないが、全然良くない。二重人格だとは思われなくても変人だと思われてしまうのだ。
 これほど屈辱的なことがあるだろうか。もういっそのこと、アイツがしゃべっている間は、俺の身も心も持っていってほしい。ヘタに俺の意識はハッキリしているせいで、拷問度は一気にアップだ。たとえあの人格が人様に迷惑をかけようとも、俺は何も知らずにいたかった。
「おぉーうっ、口をつぐみたまえ、孝志。黙って聴いていれば、あまりにも酷い言葉の嵐――聴いてんなアホ!……なんて、汚い言葉、口にするものではないよ我が友よ――って友じゃねーよ!いや友さ、一つきりの身体に心を重ねる親友じゃ――ねーっつーの!きもちわりー言い方すんなっ!……私たちはまさに切っても切れない固い絆で結ばれているのだよ?」
 だあああぁ、ああ言えばこう言う奴だ!しかも言い方がキモい!
「ちょっと孝志ー、なに一人で騒いでんの!静かにしなさい!」
「うっせーババア!」
 階下の母親に逆ギレしてしまう。だが、そんな俺の気持ちも分かってもらえるというものだろう。
 俺は……どこにでもいる男子高校生だと思いたい非・凡人なのかもしれない。

「麻生ー、お前今日ヒマ?」
 翌日の学校で、昼休みにクラスメイトが声をかけてきた。仲はいい方だが、すごくいいというわけでもない悪友である。
「なんで?」
「今日さー、高堀女子の子たちとカラオケ行くんだけど、男が一人足りないんだよね。ヒマだったら来いよ」
「あぁ〜、今日なぁ……」
 部活はない。それに、これといった用事もない。別に行ってもいいか……。
「何を言ってるんだねっ。そんな軟弱なパーティーなんぞに参加するわけがなかろう!断固として断るっ」
 ばっ。
 とっさに口を手で塞ぐが、あまりにも後の祭りすぎた。
「……は?」
 案の定、相手はぽかんとした表情でこちらを見返す。……ちくしょおおおぉぉぉー、ジェラ公のクソ野郎があぁぁーー!学校ではゼッタイ喋んなって、あれほど言っておいたのに!!
「いやっ、何でもねーよ!あの、俺さ、今日なんか頭痛いんだわ。悪いけど今日はやめとく。んじゃ、またな!」
 早口でまくし立て、逃げるようにその場を去った。だってコレはしょうがないだろ!?あんなキッパリ口調で意味不明なセリフを発してしまっては、誤魔化しようもないじゃないか。本当の本当の本当にムカツク、あんのバカがああっ!
「ジェラ公?なんだねその呼び名はっ!私の名はジェラールだ!」
 てめーの名前なんてどうでもいいんだ、喋んじゃねーバカ野郎っ。俺は廊下を走り去りながら、一刻も早く誰もいない世界へたどり着きたいと心底願った。
「全く、キミの言葉遣いは本当になっていないね。気品の気の字も感じられない」
 感じていただかなくて結構だ!――ああ、こうして走っている間にも、通りすがりのみんなの目線が痛い!痛すぎる!
「――おい?麻生、どうしたんだよ、何急いでるんだ?」
 突然肩を掴まれて、驚いて振り返った。同じく驚いた顔をした、三井の表情が目に飛び込んでくる。
「あ……いや、」
 三井は同じクラスの友人で、同じサッカー部の仲間でもある。そして――こいつが、あの仲原結衣の彼氏なのだ。
 髪は黒の短髪で、制服もそれ程着崩さず、チャラチャラした感じは全然ないが、さすが仲原の彼氏だけあってサワヤカなイケメンだ。ヘタに派手な奴よりも一途そうでイイとかで、女子にはそれなりに人気がある。
「な、なんでもないよ。ああ、なんでもない。絶対に」
「は?」
 おおお落ち着け、俺。怪しい素振りを三井に見せるな。こいつにまで変人の烙印を押されちまったら、そんでもってそれが仲原の耳にまで入っちまったら、この学校での俺の居場所はないと思え。――ジェラール、頼むから喋らないでくれよ!お前を信じてるぞ!
「うむ、よかろう」
 ……ジェラ公ーーーー!!
「え、なんだって?」
「いや!!なんでもないっ。そ、それより、どうした?何か用事?」
「あ、うん。ちょっとお前に頼みたいことがあってさ」
「頼みたいこと?」
 来い来い、と手招きされて、俺たちは階段の踊り場まで移動した。人通りは結構あるが、誰もがただ通り過ぎるだけで、俺たちに注目するような奴はいない。
「あのさぁ、仲原のことでさ」
 仲原のことだって?……なんだよコイツ、本人の前では「結・衣」なーんて呼び捨てたりしちゃってるクセによ!今頃苗字で呼んだりして白々しーんだよクソッ。……って、いやいや、そうじゃないな。仲原のことで、三井が俺に何の話があるのだろう。ま、まさか俺が実は仲原に惚れてるのがバレたとか?
「もうすぐ仲原の誕生日なんだけど」
「あ、ああ」
「プレゼントまだ用意してなくてさ。で、今日部活ないし、学校帰りに買いに行こうかと思ってるんだ」
「ふーん」
「そしたらさ、吉田が」
 吉田ってのは仲原と同じクラスの女子だ。かなり仲原と仲が良くて、しょっちゅう一緒につるんでる。仲原と三井が付き合ってることも、確か知ってたはずだ。
「プレゼントまだ買ってないなら、一緒に選びに行ってあげようかって言うからお願いしようかと思って。吉田なら、仲原が好きなのとかよく知ってそうだろ?」
「あ、そう」
 ……なんだ?この話と俺の関係は一体?どうも、俺の横恋慕がどうとかって話じゃなさそうだ。
「でも俺と吉田が二人でそーいうの買いに行くのって、微妙じゃん。だから」
 ああ、読めた。俺にも付き合えっていうんだな。
「――悪いけど、俺、今日用事あるんだわ」
「あぁ……、そうなの?」
「高堀女子の子とカラオケ」
 ホントはこっちも断ったばっかりなんだけど(他の選択肢はなかった、誰かさんのせいで)。でもだからって、コレは虚しすぎるだろ!自分の好きな子へのプレゼントを選びに行く他の男に付き合ってお買い物なんて。さすがの俺も、そんな自虐的な行為は遠慮したい。
「ふーん、……そっか。ま、急な話だもんな。ごめん」
「い、いや、俺こそ、ごめん」
 うう、こいつってばホント素直なサワヤカ青年だから、こう申し訳無さそうに謝られると、俺が悪いことしてるみたいな気になるよ。俺悪くねぇよな!?悪くねぇよな!?……っとと、別にお前に返事を求めてるワケじゃないぞ、ジェラール!
「んじゃまぁ、また今度遊ぼうぜ」
「ああ」
 そして俺たちは別れた。たったこれだけの、やりとりだった。

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