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double bind!(下)

「どうしたんだい、孝志。どうにもローなテンションじゃないか」
 自室にて。いつもの如く、ジェラールの奴が話しかけてきた。お前はいつもハイテンションでいいよな。どうせ悩みなんて何もないんだろ。
「何を言う、私のように繊細な精神の持ち主は、常に何がしかの悩みを抱えているものなのだよ。例えば……」
 いい。聞きたくない。
「……ふむふむ、ミスター三井があのお嬢さんと熱愛中なエピソードを目の当たりにして、ショックを受けているのだな」
 おい、なんでミスターなんだ。ムッシューじゃねえのか。お前がフランスなのは名前だけかよ。
「見たところ、キミはただミーハーな気持ちでミス仲原に好意を寄せているのではなさそうだ。キミのその気持ちこそ、純粋な愛というものなのだよ!この世でもっとも尊いものなのだ、分かるかね?」
 なぁにが「分かるかね」だ。お前こそ誰とも恋愛したことねークセに、分かったようなこと言いやがって。
「おや、心外だね?私の華麗なる経歴を薔薇色に染め上げてくれたチャーミングな女性たちの数々……。ああ、エロイーズ、カトリーヌ、そしてステファニー(五十音順)。彼女たちと重ねた逢瀬の数々は、今もこの胸で煌びやかな星々として輝いているよ」
 ま、待て待て待て。いつの間にそんな逢瀬を重ねてやがるんだ!頼むから、これ以上俺の中にヘンな女の人格なんて造り上げてくれるなよ!ある日突然シャルロットとかいう人格が現れでもしたら、その時こそ死んでやる。
「まあとにかく、だ。グダグダと考えるのは止めにして、ここは男らしく玉砕覚悟で、ミス仲原に気持ちを告げてみるのも一興……ではなく、一案なのではないかね?」
 仲原に気持ちを伝える?そんなことして、何の意味がある。俺たち三人の友情(?)にヒビが入るだけじゃないか。今のままが一番いいんだ。
「このまま君だけがその気持ちを押し殺したところで、いつまでもそんな不安定な友情など続くまい。己を偽ることこそ、最大の恥と知りたまえ。いいかね、きっとキミの気持ちは、受け入れてもらえずとも……受け止めてもらえるはずだ。ミス仲原にも、ミスター三井にも」
 気持ちを……伝える。
 俺は告白のシーンを頭の中に思い描いてみた。俺はお前が好きだ、仲原!三井、悪いがこの気持ちだけは抑え切れなかった!
 ――ダメだ!これはいけない。
「ムリだ……」
 俺は首を振った。
「絶対ムリだあああぁぁーーー!」
「ちょっと孝志ー、なに一人で騒いでんの!静かにしなさい!」
「うっせーババア!」
 こうして夜は更けて行った。

 二日後、その日はどうしようもなく憂鬱な天気だった。
 重く分厚い雲が空一面を覆いつくし、太陽の光の届かない街は辺り一面陰鬱な薄暗がりだ。ザアザアと鬱陶しい雨まで降り出して、俺は一人傘を差して帰路を急いだ。せっかく部活も中止になったが、この雨じゃあどこかへ立ち寄る気にもなれない。
(はぁー、なんだかな)
 ジェラールのアホが変なこと言い出すから、どうもそのことばかり考えてしまう。そうだよ、どうせ俺は根暗の小心者ですよ。何度も何度も仲原に告白する自分を想像するが、その度に天地がひっくり返っても絶対にムリだという結論に達してしまう。
(だって仕方ないだろ?相手は高嶺の花ってやつで、その上友達の彼女なんだ)
 ジェラールに言わせれば、これのどこが仕方がないのかって話になるんだろう。
 けどな……。
「――麻生君」
 俯きながら歩いていた俺は、不意に前からか細い声で名前を呼ばれ、情けなくもビビってしまった。ハッ、と顔を上げると、そこには。
「――な、仲原?」
 傘も差さず。体を雨でびしょびしょに濡らし。おまけに、頬には明らかに雨ではない雫を滴らせて……。
「どっ、どうしたんだよ」
 もしかして幻なんじゃないだろうか。俺はバカなことと自覚しつつ、半ば本気でそう思った。だってさ、こんな状況って、普通ありえねぇだろ?雨に濡れて泣きじゃくる仲原が、俺の名前を呼んでいる。大混乱に陥りつつも、俺はどうにか気を取り直して仲原を傘に入れてやった。
「麻生君――」
 ううう、と呻きながら、仲原は俯いた。俺のブレザーを掴んで、肩を震わせ泣いている。こんなわけの分からない状況下で、それでも俺はただ仲原を可愛らしいと思ってしまった。
「どうした、何かあったのか?」
「私、私」
「うん?」
「もう、彰のことなんて大嫌い」
 三井のことか。あいつと、喧嘩でもしたんだろうか。
「私一人でバカみたいじゃん。ほんとは彰、私のことなんてどうでも良かったんだ。麻生君は知ってたの?」
「え、え?」
 どうにも話についていけない。
「彰、ずっと浮気してたんでしょ」
 え!俺は純粋に驚いて、すぐ目の前の仲原を見下ろした。仲原は俯いたまま顔を上げようとしない。
「しかも、私の友達の由香里とだよ。……いつからだったのかなぁ、そんなの、全然、気付けなかった」
 その言葉で、俺は全てを理解した。
 この間、三井が仲原の誕生日プレゼントを買いに行くと言っていた。仲原の親友の、吉田と一緒に。俺もと言うのを断ったから、あいつは吉田と二人で行くほかなかったんだ。きっと仲原は、その時の様子をたまたま目撃したに違いない。それで、三井が吉田とも付き合ってると思い込んでしまったのだろう。
 ――なんて他愛のない、勘違い。
「ねえ、麻生君。もし知ってることがあるなら、お願いだから全部言って?私、騙されてたんだってハッキリ言って。そしたらきっと、吹っ切れるから。このまま一人で悩んでるのって、辛すぎるよ……」

 ――どうしよう。

 ドクン、と俺の心臓が重く響いた。
 仲原は、完全に思い込んでる。三井が浮気をしていると。そして、もう別れると暗に言っている。――それに何より、俺を頼ってきてくれたんだ。三井の他のどの男友達でもなく、俺を。それってもしかして、脈があるってことじゃないか?

 何も、嘘なんてつかなくていい。
 あいつはずっと浮気してたんだ、なんて、そんな嘘。つく必要はないんだ。
 ただ一言、「俺には何とも分からないよ」って言うだけで。
 それでも、きっと、仲原は――。
 
「キミは何とも愚かだな!」

 ハッ、と俺は我に返った。
 仲原も、ハッとして顔を上げる。ビックリした表情で俺の顔をまじまじと見つめた。
 ――うあっ、しまった。ジェラールの奴が喋り始めたんだ!
「ねえ、仲原君。キミはそんなにちっぽけなことで、愛するダーリンを不誠実と決めつけるのかね。そんなキミのその心こそが、何よりの不誠実とは思わないか。現に、このシチュエーションを客観的な目で見てみたまえ。雨の放課後、一組の男女、一つ傘の下でそっとその身を寄せ合っている……。さて、これをかの三井君が目撃したとして、一体彼はどう思うだろう?自分の目を盗んでこのような逢引を続けていたとは、なんと不埒な女だキミは。そして麻生、親友と思っていたのにキミを見損なったぞ!……これでは、私はひどく心外だね。キミと懇ろな仲になった覚えなどこれっぽっちも無いというのに、いい迷惑だ。さて、キミの方はどう思う?甘んじてそのような謂われない非難を受け止めるかね」
「……え……」
「今回と、その三井君の場合と、一体何がどれ程違うというのだろうか。彼だけが不誠実であったと?いや、そんなはずはあるまい!」
「そ、え……」
「私は全てを知っているよ。だからキミに教えてあげよう。三井君はね、愛しいキミへの誕生日プレゼントを買うために、キミの親友である吉田君を伴って街へと繰り出したのだよ。恋人が自分を想って選んでくれたプレゼントならどんなものでも嬉しいものだが、まだまだ青い三井君は、せっかくだからキミが一番喜ぶものをと考えたのだろう。それで、キミの好みを良く知っていそうな吉田君を供に連れたのだ。私も一緒にと声をかけられたが、あいにくやんごとなき事情があったからね、丁重にお断りさせていただいたが……」
「……ほ、ほんと……?」
「私は嘘などつかないよ。己を偽ることなど絶対にしないとも!」
 ピシリ、と実にきっぱりと、爽やかなまでに朗々とした声で、ジェラールは言い切った。……いや、俺の声なんだが。
 仲原はというと、あまりの驚きに涙もすっかり止まったようで、大きな瞳を更に大きくして俺のことを見上げていた。――えーと、これは何に驚いているんだろう。三井が実は浮気なんかしてなかったってところかな。それとも、この俺の……あまりに変人チックな演説っぷりにかな。なんかそっちの方がかなりウェイトを占めてるような気がするな。

 ――でも俺、俺……悔しいよ。

「――仲原」
 ピク、と仲原は体を強張らせた。
「俺、仲原のこと、ずっと好きだったよ」
 いい所は全部ジェラールに持ってかれちまった。だったら、最後ぐらいは自分の言葉で自分の気持ちを伝えてやる。
「軽い気持ちじゃなくて、本気で仲原が好きだ」
「――」
「でも、三井のことも結構好きなんだ。だから二人のことよく見てたし、よく知ってる。――そんな俺が、二人ともずっと仲良くやってくれたらいいなって思ってるんだ」
 そりゃ、やっぱ結構複雑なところもあって、さっきも一瞬魔が差しそうになったけど。
「俺が二人の愛の証人ってワケじゃないけどさ。俺が黙ってるうちは、二人ともお互いを大切にしてるってことだから、安心しろよ。もし三井が仲原のこと裏切るようなマネしたら、その時は仲原が色々と悩む前に俺があいつのことぶん殴ってる。――な」
 ううむ、なんかちょっとクサくないか?どうにもジェラール節に影響されつつあるらしい……ヤバいヤバい。
 それでも、仲原は俺をバカにして笑ったりなんかしなかった。
 いや、笑ってはくれたんだけど。
 すごくキレイな、見惚れるような笑顔だった。そして。
「ありがとう」
 心に直接響いてくるほど、透き通った感謝の言葉を、俺にくれた。

「……なぁ、ジェラール」
「なんだい、孝志。キミが外で私に話しかけてくるなんて、天変地異の前触れじゃないかな」
「そうかもな」
 俺は軽い調子で笑った。雨はもう小降りだ。ずっと向こうの遠い空には、分厚い雲の切れ目が見える。そこから微かに差す夕日は、なんとも言えず美しかった。
「お前も、たまにはいいとこあるじゃねーか」
「むっ、たまにとは失敬な。私はいつでも気高き精神の持ち主だとも。――そういうキミこそ、最後はなかなかカッコよかったぞ」
「そりゃ、ちょっとジェラール節入っちまったもんな。お前にはご好評いただけるだろうよ」
「いいや、ミス仲原も、あれにはかなりグラッと来たはずだ。フフフ、もう一押しすれば分からなかったかも知れないぞ?」
「バカ」
 言葉とは裏腹に、俺はそれなりにジェラールに感謝しつつ――小雨に濡れた前髪を書き上げて、もう一度空を見上げた。
「だけどジェラール――」
「なんだい?」
「今度俺以外の人間に話しかけたら、その時は絶対コロス!!」

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