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二つの星、一つの月

11月02日

 なんかすごい眠い。目がいつもの半分くらいしか開いてない気がする。
 昨日はバイトの遅番だったから寝不足になるのは分かってたんだけど、それでもやっぱり朝はつらい。
 大体、一限目の授業が必修っておかしいよ。強制的に朝九時に大学来いってどう考えてもヒドくないか?必修授業は大人しく三限目とか四限目にしとけって感じなんですけど。
 ああ、すごい眠い……。
 眉間に思いっきり皺を寄せて、私は電車に揺られている。
 一限目の授業に間に合わせようと思ったら、電車もちょうど通勤ラッシュに巻き込まれるからまたムカツク。何が悲しくて「好きな四字熟語は『満漢全席』です」みたいな油ぎったオヤジと密着しなくちゃならないのか。金取るぞって感じだよホント。まあ今は秋だからまだマシだけど。真夏とかホント最悪だった。ていうか、実際満員電車が嫌で何度も授業サボっちゃって、今はもう出席日数ギリギリ。あと二回休んだら、この授業は落としてしまう……。あーやだやだ。絶対今後の私の人生で役立つことのない授業だって断言できるのに、何でこんなに辛い思いしてまで受けに行かなきゃならないのか。
 電車の中の人たちは、私だけでなく皆ダルそうな顔をしてる。そーだよなあ、皆だって会社なんてヤだよね。学校だってめんどくさいに違いない……。そんなもんだ、世の中なんて。
 ふと気がつくと、目の前のオヤジも気だるげにつり革につかまっている。って、それはいいんだけど。いや、やっぱ良くない。このオヤジ。両手で二つのつり革につかまってやがる!
 むっかー、と私の中の「怒りゲージ」がじわじわと上昇し始めた。どうでもいいっちゃいいんだけど、でもやっぱりなんかムカツク!オヤジあんた、この混み混みの電車ン中でつり革二つも占領してんじゃねえよ!隣の女の子がつかまるトコなくてフラフラしてんじゃねーか!むしろお前に用意されたつり革なんて一つもないっつーの。今すぐその両手を離せえええ!
 もちろんそんなこと、実際には言えないけど。さすがにイチャモンに近いのは自分でも分かってる。ただ、寝不足の朝には些細なことが気に障ってしかたないんだよ……。分かってくれ、現代人は大変なんだ。
 と、今度は私の右隣が何やら動き始めた。目をやると、20代後半のOLっぽい女がしきりと髪をかき上げている。肩を越すセミロングの髪を、バサバサと。うおっ、ちょっとおねーさん、あんたが髪かき上げるたびに私に当たってるんですけど!またしても「怒りゲージ」がMAXへ向けてしなやかに伸びてゆく。おいおいおい、お姉さんの髪がしっとりサラサラ綺麗なのはよく分かったから。あーもーマジウザい!そんなに下ろした髪が気になるならちょんまげにでもしとけ!
 我ながら下らないことでイライラしちゃって嫌になる。それでも気になるモンは気になる。ムカつくモンはムカつく。これって、私だけなの?皆は全然気にしてないの?私の心が狭いだけ?
 まあどっちでもいいや……。
 なんかすごい眠い。

・   ・   ・

 今朝はすっきりと晴れ渡ったいい天気になった。
 空には雲ひとつない。青というより薄水色の、透明にも近いほどの広い空が気持ちいい。うん、洗濯物を干してきて正解だったな。近頃は細かな雨が降り続くことが多かったけれど、今日こそは秋晴れとも言える爽やかな一日になりそうだ。
 空の高さに見とれていたが、ふと我に返れば自分が電車に揺られていることを思い出す。電車は通勤や通学の人々でいっぱいで、居心地がいいとはとても言えないのだけれど、ガタンガタンというゆったりとした揺れそれ自体は好きだった。何となく落ち着く気がするのだが、何故なのだろう?
 静かだなあ、と僕はぼんやり思いを巡らせた。こんなにたくさんの人がいるのに、誰一人喋らない。動かない。耳に届くのは「ガタンガタン」という電車の音だけだ。それはすごく不思議なことのように思えた。皆、何を考えているのだろう?今日一日の予定を反芻しているのだろうか。それとも、昨日あった出来事をあれこれと思い出しているのだろうか。――僕のように空の青さを思っている人は、いるんだろうか?
 やがて電車は橋を渡り始めた。大きな川が窓の外を流れている。密集してそびえ立つ建物群が一気に消え去り、一面広がるのは朝日にきらめく川面(かわも)と青々とした土手の緑。この瞬間が、僕は一番好きなんだ。まるで別世界に連れられたような気持ちになる。今日のような晴天の日なら、その気持ちよさも格別だ。
 しかしそれはほんの一瞬の光景で、まもなくビルの群れが再び窓に張り付いてしまった。僕はただぼうっとその景色を眺めている。
 電車での楽しみは他にもある。もうすぐ通り過ぎる団地の一角の、公園。とても大きな公園で、大小さまざまな遊具が備えられ、木や花もたくさん植えられている。さすがにこんなに早い朝の時間ではその公園を駆け回る子供達の姿を目にすることはできない。けれど僕はその公園に植えられた色とりどりの花を眺めるのが好きだ。
 今の時期は、遅咲きの秋明菊だろうか、真っ白な花々が可憐に咲いている。それがいくつも群れると、その部分だけまるで雪が降ったみたいに静かで神秘的な雰囲気になる。黄色やオレンジの元気な花も好きなのだが、こういう儚げな姿もまた美しいと僕は思う。
 季節外れの雪景色も、一瞬で都会の景色に埋もれて行った。そうすると、ああ今日も一日が始まるのだなあという気分になる。僕の意識は自然と大学へと向かっていって、あの広いキャンパスの風景がまぶたの奥に浮かんでくるのだ。
 早い時間に大学に着くと、ぐるりと中庭を巡るのが習慣になっている。今日はその時間もなさそうだけど……来週は、久々に早めの電車に乗っていこうか。朝の冷たい空気の中では、きっと木々も、一層凛としているだろう……。
 ああ、なんだか眠いな。

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