02.

 約束どおり、二週間の間オーレリーは魔女の洞窟へやって来なかった。久しぶりに自分の生活を取り戻した魔女自身が一番リフレッシュしている気がしないでもないが、まあ向こうもそれなりに気分転換しているだろうと自身を納得させた。
 オーレリーが再びやって来たのは二週間と一日目である。どこか縋るような表情をしている彼を見て、魔女はやはり駄目だったのかと溜息をついた。
「どうだった?」
「駄目です。他のことを考えて気分を晴らすなんて、できなかった。考えまいとすればするほど、僕は」
 まあ、恋煩いとはそういうものなのかもしれぬ。
「で、娘さんには会って来たのかい」
「はい、つい先ほど。マーレは二週間前とまったく変わらぬ様子で『どうもいらっしゃいませ』って」
「それで?」
「僕は、『君に逢えなくてとても寂しかった』と言ってみました。すると彼女は、『あらこの間お会いしたばかりじゃないですか』と笑顔で答えました」
「……そうかい」
 もう駄目だ。これは潮時だ。彼女はあまりにも強敵だ。流石にオーレリーも自分の恋の結末を受け入れる体制に入った頃だろう。
「まあとにかく、温かいスープでも飲んで心を落ち着かせなさいな」
 この間とはうって変わって、具のたっぷり入った熱々のパンプキンスープにふわふわのパンを出してやった。オーレリーはスープを一すくい、ゆっくりと口の中に流し込んだ。目を瞑り、スープで温まった胸の内を探るようにしばし押し黙った。
「あたしもね。アンタとそれなりに付き合ってきて、アンタが悪い奴じゃないってのはようく分かってるよ。ただ、今回の相手はアンタの運命の相手じゃなかったってだけのことだ、残念ながらね。アンタが理由も何もなく一目見ただけで相手に夢中になったように、これという理由がなくても誰かを好きになれないこともある。きっと娘さんにとってのアンタが、そういう存在だったのさ。誰が悪いわけでもない」
 オーレリーは黙々とスープとパンを食べ続けた。
「世の中ってのはそういうモンなのさ。全てが思い通りにいくわけじゃない。だからとてもつらい時もあるけれど、逆にとても嬉しい時も必ず巡ってくる。大丈夫、アンタにはきっと素晴らしい娘さんが見つかるさ。そのとき、今つらい以上の喜びを、感じることができるだろう」
 柄にもなく魔女は励ましの言葉をかけ続けた。オーレリーが黙ったきりなのが少し気がかりだ。やがて出された食事をきれいに食べ終えたオーレリーは、ゆっくりとスプーンを置くと、どこか熱っぽい眼差しで顔を上げた。
「マーレのことはもういいんです」
「は?」
「この二週間、マーレのことも僕自身のこともじっくりと考えました。そしてあなたのことも……」
 キラキラと瞳が輝いている。魔女はそれを見てゾッと背筋を凍らせた。
「どうやら僕は、あなたのことを愛してしまったみたいなのです」
 洞窟の隅で木の実をつついていたカラスが、二人を鼻で笑うかのように、またしても久しぶりに「カア」と鳴いた。

 忘れていたが、オーレリーは三男の末っ子で、往々にして自分勝手でマイペース、そして――人の道を踏み外した魔女から見ても――とことん変人なのであった。
 皺に皺を重ねたようなくしゃくしゃの顔をした婆(ばばあ)、それも誰もが厭い敬遠する森の魔女に本気で愛を告白するうら若き青年など――居てたまるものか。それが魔女の第一の感想だった。しかしオーレリーが本気も本気であろうことは、彼の性格を十分すぎる程知っている彼女からすれば、疑いようもないことであった。
 曰く、こんなにも長い間自分の話を聞いてくれ、時には厳しく、時には優しく言葉をかけてくれた女性は魔女が初めてだということ。
 曰く、マーレに会うため花屋へ足を運ぶ時よりも、魔女に会いに洞窟へ足を運ぶ時のほうがずっと心が安らいだということ。
 曰く、もう洞窟へは来ず自分で考えろと突き放された時、涙が出るほど悲しかったということ。
 曰く、我慢できずに再訪したとき、変わらず温かく迎え入れてくれて、やはり涙が出るほど嬉しかったということ。
 曰く、この二週間、会えずに恋焦がれるほど苦しかったのはマーレではなく魔女であったということ。
 以上のような内容のことを、もう勘弁してくれと魔女が音を上げるまでオーレリーは切々と語り続けた。とにかくその日は「一晩頭を冷やして来い」と無理やり追い返してしまったのだが、一晩置いたところであのオーレリーが正気づくはずもない。いや、そもそも“あれ”でオーレリーという人間は正気なのだ!これだから変人というやつは手に負えない。
 やはり翌日もキラキラと熱っぽい眼差しはそのままに、いつかのように花束を山ほど抱えてオーレリーはやって来た。
「どうぞ受け取ってください」
「どうしたんだい、その花束」
「マーレの店で買ってきました。普通に客として花を買ってさっさと立ち去ったら、初めてマーレは僕に興味を示してくれたみたいでしたよ。ははは、別にもう今更嬉しくもなんともないですがね」
「この洞窟に花なんて、アンタの部屋に骸骨のオブジェを飾るくらい不釣合いなことだよ」
「じゃあ今度はこの洞窟に相応しく、珍鳥のミイラでも持って来ることにします」
「お願いだから止めておくれ。そんなモン捜し求めて歩き回ってたら、アンタ本当の意味での変人だと思われちまうよ」
 このオーレリーという青年は、いつもこの調子でマーレに迫っていたのだろうか。それならはっきり断っても無駄と悟って全てを無視することにしたマーレの選択は非常に賢明だったと認めざるを得ない。
「アンタやっぱり、一晩頭冷やしたくらいじゃまるで目が覚めてないようだね」
「時が過ぎる程にあなたへの想いは強固なものに変わっていきます」
「ようく私の顔を見てご覧。皺だらけの婆さんだよ。こんなのを相手に、アンタほど若い男が恋愛感情を抱くはずがないだろう?」
「人を愛することに、見た目も年齢も関係ありません」
 評判の花屋小町に一目惚れした男の台詞ではない。が、今はそんなことに突っ込んでいる場合でもないのだった。
「確かにあたしはアンタの面倒を見てやったよ。それであたしを好きになったと思ってるんなら、それは多分、自分の祖母さんに向ける親愛の情みたいなものを、アンタは持ってくれたんだろうよ」
「それは違います。祖母は今でも健在ですが、祖母を大切に思う気持ちとあなたを大切に思う気持ちとはまるで違います。祖母とは結婚できないが、あなたとは結婚したいと思っています」
「けっこん!」
 魔女は不覚にも失神しそうになった。
「ア、アンタ……、どっかの誰かに変なモンでも飲まされたんじゃないだろうね」
「まさか。僕は至って正気です」
 これだから変人の正気というやつは……ああもう、本当にどうしろというのだ!

 オーレリーはやはり毎日のように洞窟へと通い続けたが、これまでとは全くその意味の異なる訪問となった。
 一度、彼が洞窟に辿り着けなくなる魔法を周囲に張り巡らせておいたことがあったが、その時のオーレリーの取り乱した哀れな様子は、観察していた魔女にとっても見るに耐えないものであった。なので今日もひたすら向かい合って説得するという実に地道なボランティアを続けている。
 しかし、これ以上領主の息子が怪しげな洞窟に単身通い続けていれば、彼の周りの人間が黙ってはいまい。最後の手段として、魔女のことを嫌いになる超強力な「縁切り薬」も調合済みであるが、これを用いることになる日も近いかもしれない。
 そんなある日、オーレリーとは全く別の人物が洞窟へとやって来た。花でいっぱいの籠を手に提げた、長い黒髪が美しく波打つ魅惑的な美少女である。その少女を見るのは初めてであるはずだったが、魔女としての直感がすぐにその人物の本性を見抜いていた。
「――ベリアメル先生!!」
 驚いて名を呼ぶと、少女はにっこりと微笑み、
「久しぶりね、リシュール」
 と、こちらも事もなげに魔女の本名を呼んでみせた。
「先生……、確か以前お会いした時は、銀色の髪にルビー色の瞳の、妙齢の美女だったように記憶していますが」
「そうだったかしらねー。頻繁に姿を変えてるから、自分でもよく覚えてないんだけど」
 言いながら、少女は手にしていた花籠を差し出した。
「はい、お土産よ」
 それを受け取った瞬間、魔女はパッと頭にひらめくものがあった。
「……先生、もしかして最近、俗世の花屋で働いてません?」
「ええ、半年ほど前からね。なかなか面白いわよー、ただ花を売って皆にちやほやされる毎日って。今ではちょっと評判の看板娘なの。これ、うちの花屋で扱ってる花。遠縁の親戚に会いに行くって言ったら持たせてくれたのよ」
 魔女は全身の力が抜けていくのを感じた。そうか、そういうことだったのか。
「ねえちょっと、せっかく久しぶりに可愛い弟子のもとを師匠が訪れてきたんだから、お茶の一つくらい出してちょうだいよ。それにしても、相変わらずくっらいところに住んでるのねえ」
 勧めてもいないのにちゃっかり椅子に腰掛けて、洞窟を見回しては変な感心をしている。魔女は力の抜けた手で茶を差し出すと、溜息を一つついて自らも着席した。
「これが魔女暮らしというものでしょう。先生の方こそ、いい加減腰を落ち着けてくださいよ。私よりもずーっとずっと長生きされているっていうのに、そんな十六、七の娘に姿を変えたりして。それでまだ物も分からぬ若者を引っ掛けて、一体何が楽しいんですか?」
「オーレリーのことね」
 くすり、と少女は薄く笑った。何もかもを承知している顔である。
 全く以って、自分も愚かな真似をしていたものだ。魔女は天を仰いだ。目の前に座っているこの一見純真無垢な少女、実はベリアメルという名の百余年を生きる不老不死の大魔女である。類い稀なる魔力を発揮して、かつては国を牛耳るほどの権力を誇っていたという。それがある時を境に俗世から姿を消し、深い森の奥で隠居生活を送っていたのだ。――そう、それがこの洞窟。それまで独学で魔術を学んできた女――こちらの本名はリシュールという――が、彼女の元について弟子となったのがまだほんの五年ほど前のこと。大魔女ベリアメルは、弟子に魔法を教える傍ら、頻繁にその姿を変えては町へ繰り出していた。ついに洞窟へ帰ってこなくなったのは、三年ほど前であっただろうか。その日から、弟子であるリシュールは「森の魔女」としての地位と名声と役割を引き継ぐことになったのだった。
 ベリアメルが一体どこで何をしているのか、弟子である魔女は知る由もなかったが、いつの間にやら花屋の看板娘に収まって、魔法の魔の字も関係しない気ままな生活を送っていたようだ。そんな彼女を見かけたオーレリーは一目でその美しさに心奪われ……。
 なるほど、初めから勝ち目のない勝負を挑んでいたようなものだった。
 百年以上もの時を生きてきた大魔女が、年端もいかぬ青年にまるで興味を示さぬのも当たり前の話。「彼女は僕の何が駄目なのか」とオーレリーは悩んでいたが、それが分からずとも仕方あるまい。そもそも二人の住まう次元からして違っていたのだから。
「彼があなたに振り回されるのを見て、こっそり楽しんでいたというわけですか」
「まあね。まあ、相手にするつもりは全然なかったんだけど、あれだけ熱心に口説いてくれる子も久しぶりだったからね。ちょっと面白くなっちゃって、のらくらした態度で遊んであげてたの」
「オーレリーは、本当に本気で悩んで……」
 魔女は反論しようとしたが、言ったところで無駄なことは分かっていたので口をつぐんだ。
「でも最近、なんだかますます面白いことになったみたいじゃない?」
 はっ、と魔女は息を呑んだ。
「先生、まさか先生がアレに薬でも盛ったんじゃあ……」
「いやね、私は何もしてないわよ。だから面白いんじゃない。あの子、相当変わった子よねー。本気であなたを気に入ちゃったみたいじゃない? 婆さんに惚れさせる薬なんて、そうそう簡単には作れなさそうなものなのに、あの『想い』は自前なんだもんね。流石の私もビックリだわ」
 ベリアメルは実に面白そうにクスクスと笑っている。しかし当の被害者である魔女にはとても笑える話ではなかった。
「いいじゃない、別に。もういいわよ、この洞窟を守ってくれなくても。私も多分もうここへは戻ってこないわ。あなたもここを出て好きなようになさいな」
「私はこの魔女暮らしが気に入っているんです」
 仏頂面で答えると、ベリアメルは笑いながら帰っていった。

 翌日、また性懲りもせずオーレリーは洞窟を訪れた。
「今日はあなたにこんなプレゼントを」
 包みを開くと、そこから姿を現したのは七色に輝く見事な――ローブであった。
「アンタ!これをあたしに、着ろってのかい!?」
「光に当たるたびにキラキラと輝くんです。とても美しいと思ったんですが……」
「こんな浮かれたローブ着た魔女だなんて、見たことも聞いたこともないよ! 持ってくるなら花束の方がいくらもマシだったね!」
「では、このプレゼントはどうですか?」
 微かに緊張をにじませて、オーレリーは小さな箱を取り出した。その繊細な手でゆっくりと開かれた箱の中に入っていたのは――
 美しい宝石の輝く、見事なエンゲージリング。
 魔女はまたしても失神しそうになった。
「受け取っていただけませんか」
「受け取っていただけるわけないじゃないか!!」
 一体全体、この男はどこまで奇妙に捻じ曲がった思考を持っているのか。見るからに肩を落としたその姿を見て、肩を落としたいのはどう見てもこっちだと魔女は喚きたくなった。
 全く以って、この男には唖然とさせられっぱなし。たまにはこちらから反撃でもしてやりたいところである。師匠ベリアメルの言葉が不意に頭をよぎる。――あなたもここを出て好きなようになさいな。
「そうだねえ、オーレリー」
「なんでしょう?」
「あの花屋で働く器量良しの看板娘が、実は少女に変身した百歳越えの老魔女だったとしたら、どうするかい?」
「……はあ、別にどうとも……。マーレのことは、もう気持ちの整理がついていますから」
「それじゃあ、――この陰鬱な森の洞窟に住まう老魔女が、実は老婆に変身した十八歳の娘だったとしたら……どうする?」
 オーレリーは固まった。
「……え? それは、その……本当に?」
 たっぷり一分ほど後、隠し切れぬほどの期待と喜びをにじませて、オーレリーは小さく尋ねた。その様子を見て、魔女もまたたっぷり一分考える。そして、たるんだ皺を持ち上げるように、ふっと小さく笑みを浮かべた。
「――嘘だよ、嘘」
「そんな! ああ、それこそ嘘でしょう!?」
「ああ、だから嘘だと言ってるじゃないか」
「いや、そうではなくて!」
 慌てるオーレリーと、一人楽しげに笑う魔女。
 止まり木で二人の様子を伺っていたカラスが、魔女に不満をぶつけるかのように、低い声で「カア」と鳴いた。