01.

「リシュー、どうかなにも言わずに、ただ一つ頷いてくださいませんか」

 さて、常々思うことだが、「一生に一度のお願い」だとか「これで最後のお願い」だとか、そうした類の頼み事が、言葉通りきっちりそれで収まる見込みはほとんどないのが人の世というもの。
 魔女はこれまでの魔女暮らしで、似たような台詞を飽き飽きするほど引き受けてきた。森の洞窟に住まう彼女を訪れるのは、やっかいな依頼事を携えた連中ばかり。誰もが己の願いを叶えてもらいたいものだから、まさになりふり構わずという体で、最後はたいていこの台詞を弾き飛ばしてくるわけである。
 そうすると、魔女はだいたい依頼を断る。八割がた引き受けてもいい方に心が傾いていた時でさえ、やっぱり止めたとすげなく断る。天の邪鬼だと言われようが構わない。なんせこちとら魔女なのだ。
 第一、そういう頼み方をしてくる輩にろくな人間がいないと昔から相場が決まっている。その後もしつこく付きまとわれて、骨までしゃぶりつくされるのが関の山だ。
 そんなわけだから、今回とて例外ではない。
 魔女はきっちり断った。
「絶っ対に頷かないね」
「そう言わずに」
「絶っ対いやだ」
「そう言わずに」
 しかし相手もなかなか手ごわい。全く堪えた様子を見せず、真剣な表情で喰らいついてくる。
「アンタねぇ……」
 魔女は深々と溜息をついた。目の前の若者、オーレリーが、恐ろしいほどに頑固な男であることは、これまでの付き合いで重々承知しているからである。恐らくこのままでは、一時間経っても同じやりとりを続けることになってしまう。
「そもそも頼み方がおかしいだろう。なんの件か一言も説明なしに、誰が頷けるってんだい」
「だってあなた、説明したらますます頷いてくれないでしょう。先に頷いてもらわないと」
「その理屈はおかしい。絶対おかしい」
 魔女は苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。年輪よろしく顔に刻み込まれた深い皺が、ぎゅっと寄って束になる。
 目の前にいるオーレリーは、この地方一帯を治める領主の三男坊だ。類稀なる美貌を持ちつつ、その対価とでも言うように、一般常識をごっそり落として生まれついたかわいそうな男である。なんの因果か、自分のばあさんよりも年上であろうこの魔女に、盲目的に恋をしている。名誉のために断っておくが、魔女は決して彼にその種の術を施したわけではない。むしろ、縁切りの術をしかけてやろうかと画策したことならば、両手で数え切れぬほどあるのだが。
 とにかく彼は、なにせめげない。
 どれだけ邪険に扱われようとも、ほとんど毎日のようにこの洞窟へ足を運ぶ。そして魔女の側で過ごす時間が一番の幸せだと言わんばかりに、甘い笑顔を浮かべているのだ。なんとも厄介、なんとも面倒、なんとも面妖……。魔女はほとほと、彼の扱いに困り果てている。
 そんな中で、この意味不明な「頼み事」だ。もちろん頷けるはずがない。常識外れのオーレリーでさえ、打ち明けるのを躊躇している頼みごとときたものだ。相当アレに違いないと、魔女は密かに戦慄を覚えた。
「とにかく。具体的に聞いてみないことには返事のしようがない。聞いてやるから、言ってみな」
「……それは」
「いいから話してごらん。アンタから折り入っての頼み事なんて、どうせぶっ飛んだ内容に決まってるんだ。その辺はもう覚悟できているから、遠慮は無用だよ。いや、受ける受けないは全く別の話だがね。というか聞いてやっても受けないと思うけどね」
「……リシュー」
 オーレリーは何故かその場で居ずまいをきっちりと正した。こほん、と小さく咳払いなどしてみせながら、真剣な視線を惜しげもなく魔女へと向ける。熱を孕み、それでいて憂いを帯びたそのまなざしに、不本意ながらも魔女はうろたえた。うら若き乙女であれば、完全に腰砕けというところであろう。
「な、なんだい、勿体ぶったりして」
「――どうか、僕の両親に会って頂けませんか」
 ぶはっ、と。魔女はちょうど口に含んだ茶を拭きだした。
 妙な沈黙に居心地の悪さを覚え、このタイミングで茶など飲んだのが間違いだった。いや、そもそもどこからなにが間違っているのか。
「冗談だろう! どうしてそんな話になるんだい!」
「冗談でもなんでもありません。できれば、なるべく早急に、我が家へ来て頂きたいのです」
 我が家って、つまるところは領主の館ということでないか。とんでもない、死んでもご免である。
「寝言は寝て言うもんだよ、オーレリー。どうして私が領主の館なんかに出向かなきゃなんないんだい。私は、森の奥深くにひっそり住まう魔女なんだよ。いい加減、魔女ってのがどういう存在なのか、欠片でいいからアンタにも理解してもらいたいもんだね」
「分かっています。無理強いをして僕の両親に会わせるなんて、本当は僕も不本意なんです。ちゃんとお互いの気持ちが通じ合ってからでないと、意味がない。未来へ向けた第一歩として、僕の両親にあなたを紹介したいと思っていたんですから」
 オーレリーはどこまでも真面目にそう言いきった。
「……アンタと話してると、時折寒気がするよ」
 魔女は深いため息を一つついた。
「ああもう、この話はこれで仕舞いだ。ほうら、帰った帰った。アンタに居座られると、他の人間が気後れして近寄らなくて、こっちも商売あがったりなんだよ」
 しっしっと追い払う仕草を見せると、オーレリーは心底傷ついたというように首を振った。
「リシュー、聞いてくれると言ったじゃないですか」
「聞いてやったろ。出だしだけでもう十分」
「いえ、全くもって不十分です。両親に会ってほしいと言ったのには、事情があるんです。先日、僕の母が倒れました。どうやらよくない病にかかったようなのです。このままでは、母は死んでしまうかもしれません」
 一気にたたみかけたオーレリーの言葉に、魔女はそらした視線をちらりと戻した。オーレリーは雨に濡れた子犬のように不安げな瞳で魔女を見つめている。全く、天然のくせに自分の武器の使いどころはしっかり心得ているからタチが悪い。
「……私だって万能の神じゃないんだ。なんでもかんでも私に頼めばどうにかなると思ってるんなら、お門違いもいいところだよ」
「国王に仕えたことがあるという名医に、母を見て頂きました。彼の話では、母の病状にとびきりよく効く特効薬があるというのです。それは、メディスの林檎だと」
 メディスの林檎。懐かしい単語に、魔女は思わず目まいを覚えた。
 魔女のはしくれとして、知らぬはずがない単語だ。甘い甘い、真っ赤な果実。この世のものとは思えぬ瑞々しい味わいに、この世のものではなくなるに容易い猛毒を孕むその実は、魔に通じる者にしか扱うことはできないと言われている。
 魔力をもって、その毒を制する。そうして取り出した林檎の果汁は、とりわけある種の病によく効くという。
「どうか母に、メディスの林檎を食べさせてやってくれませんか。頼めるのは、あなたしかいない」
「あのね」
「特別な方法で取り出した果汁は、数刻も持たないと聞いています。どうしてもあなたに我が家へ来て頂くしかないのです」
「けどね」
「お願いします、リシュー」
 オーレリーはどさくさにまぎれて魔女の両手を強く握りしめた。
 一方の魔女は、目まぐるしく考えを巡らせている。
 全くこれは、どうしたものか。これまでの基準に当てはめて考えれば、即刻却下だ。本来、魔女はこの洞窟を出て依頼をこなすことは一切しない主義である。加えて、オーレリーのなりふり構わぬ依頼の仕方も気に食わない。そしてなにより、メディスの林檎から果汁を取り出すのは、いかな魔女といえどなかなかに難しい作業なのだ。少しでも魔力の扱いを誤れば、林檎の毒はそのまま残る。当然、それを口にした者の死は免れないだろう。
 断りたい。全力で断りたい。なのに、躊躇してしまうのはなぜなのか。オーレリーが魔女にとって特別だから? ――いやいやいや、なんてことだ、とんでもない! 恐ろしき森の魔女たる自分にとって、どう特別だというのだ、この若造が。ひな鳥よろしく、ぴいぴい魔女を慕って日々姦(かしま)しくしているだけの子供ではないか。
「……」
 だがしかし、よくよく考えてみたならば。頼りなげな小さなひな鳥に懸命に懐かれて、それを無情に蹴散らす真似のできる人間が、どれほどいるというのだろうか。鬼の目にも涙。魔女の心にも罪悪感。――ううむ、いやはや全く、進退窮まる場面である。
「リシュー、どうか」
「……もし引き受けてやったとしたら、報酬は出るんだろうね?」
 その一言で、オーレリーの表情がぱっと明るくなった。
「もちろんです! 僕にできることでしたら、なんでもします」
 無駄にきらきらと煌めく眼差しが、不意に魔女の癪に障った。
「そうかい? じゃあ、これを最後にもうこの洞窟には足を踏み入れないってのを条件にしようかねえ」
「そ、それは……いや、それだけは」
 百面相のように、こんどは泣き出しそうな顔。とことん素直な男である。うざったいことこの上ない。軽い悪戯心でそんな条件を口にしたことを、魔女は若干後悔した。
 だがそれにしても、自分の親の生死と老魔女との逢瀬を天秤にかけるだなんて。
「本当に馬鹿だ。大馬鹿だ」
「えっ?」
「アンタはこの上なく親不孝な息子だって言ってるんだよ」
「そ、それはどういうことでしょう」
「ああもう、いいから」
 魔女は深いため息を一つついて、ひらひらと皺だらけの手を遊ばせた。
「報酬はまた考えておく。ちなみに、メディスの林檎はもう用意できてるんだろうね?」
「――はい、それはもちろん!」
 オーレリーは勢いよく立ちあがった。ガタの来ている古びた椅子が嫌な音を立てて倒れたが、それに気づいた素振りもない。彼は魔女に抱きつかんばかりに大はしゃぎした。
「ありがとうございます! 本当に、ありがとうございます! ああ、今からでも一緒に……いや、あなたを森の中歩かせるわけにはいかないな、改めて馬車を用意して……そうだ、父にも連絡を入れておかなければ。屋敷でとびきり日当たりのいい部屋を用意させます。それから」
「ああああもう、アンタは本当に! 私がなんのためにアンタの屋敷を訪れるのか、もう一回思い直してみたらどうだい! というかそもそも、アンタの母親が倒れたって話のはずだろう。浮かれ騒ぐ要素がどこにある」
 オーレリーはぐっと唇を噛み、今度こそは押し黙った。それにせいせいし、魔女はふんぞり返って言葉を続ける。
「アンタの母親が倒れたのは?」
「二日前です」
「意識はあるのかい」
「はい、倒れた晩に一度意識が戻りました。ですが、それからは寝たり起きたりを繰り返している状態で、容態はあまりよくありません」
「ふん、ならまだ猶予はあるね。明日の昼前、私が勝手にアンタの屋敷を訪れるから、せいぜい準備を整えておくことだ。こっちに迎えはいらないよ」
「しかし、こちらがお願いしていることですし」
「私は仰々しいのが嫌いなんだ。屋敷についたらすぐにメディスの林檎を調理して、そのまま帰る。もちろん、泊まるために部屋の準備なんか要らないからね」
「……分かりました」
 あともう一つ、と魔女は人差し指を立てた。
「メディスの林檎は、魔術に長けたものでも扱うのは難しい。失敗する可能性もある。その辺の覚悟は決めて置いてもらおうか」
「失敗? あなたほどの方でも?」
「そうさ。私じゃ心配だってんなら、他の魔術師なりなんなりを探してくることだ」
「……いえ。僕はあなたを信じていますから。では、どうか、明日はよろしくお願いします」
 しっかりとした口調でそう言い切ったオーレリーに、魔女は内心気後れした。そんな魔女の心の内など知る由もないのだろう、オーレリーは一つ頭を下げると、落ち着いた足取りで洞窟を後にしたのだった。
「なんだい、あいつは」
 一人残された魔女は、ぶつぶつと口の中で文句を垂れる。全く、去り際だけを見てみれば、どちらが動揺しているのか分かったものではない。いやしかし、だ。普通、肉親が死の淵に立たされたとなれば、もう少し慌てた様子を見せるのが常人というものではないだろうか。変人のオーレリーには通用しない理屈なのか。
(でも、おかしいだろう、やっぱり)
 魔女が仕事を引き受けたから、それで安心だと本当に考えているのだろうか? だとしたら、とんでもない楽天家である。なにせ相手は、ものの善悪を知らぬ魔女なのだ。
(そうだよ、私がちゃんと仕事をこなすとは限らない。わざと毒を残して人殺しを楽しむかもしれないし、……わざとじゃなくても、毒は残ってしまうかもしれないのに)
 不安なのは誰だろう。オーレリーなのか、魔女自身なのか。
「カァ」
 なんとも嫌なタイミングでカラスが鳴いた。人ならば、ふんと鼻を鳴らしてせせら笑っているというところだろう。業腹だ、全くもって不愉快だ。
「お黙り、晩飯を抜きにするよ!」
 苛立ちに任せ、止まり木で羽を休めるカラスに、手元にあった腐りかけのミコの実を投げつけてやった。もちろん命中などするはずがなく、実は艶やかなカラスの黒い羽を大きく外れて弧を描いた。そのまま怪しげな具材の煮詰まった鍋の中へぽちゃりと落ちる。これでますます正体不明の鍋となったわけだが、もはや構わないだろう。
 カラスの今夜のメニューは、この闇鍋だ。


 翌日、魔女は不本意ながらも約束通りに領主の館へと繰り出した。
 町中の雑踏の中を、不機嫌な面持ちのまま歩いてゆく。薄汚い外套を頭から被った小柄な老婆が道行く若者を追い越しながらさっさか歩く様は、それなりに人目を引いてしまっているようだ。が、構うものか。つまらない仕事は素早く片付けて帰るに限る。
 そうして辿り着いた領主の館は、思った通り非常に立派な門構えであった。
 魔女の住処(すみか)が十……いや、五十……いや、正直に言えば、ゆうに百は入ってしまうほどの広さがあるようだ。建物をぐるりと囲う背の高い白塗りの塀は、無言の重圧をもって魔女を睨みつけてくる。やたら細かい模様が絡まり合う門の隙間から伺い見た敷地内には、手入れの生き届いた芝生が遠くまで続いていた。その向こうに、豪奢な建物がどっかりと腰を下ろしている。普通の老婆ならば、館の玄関に辿り着く前に力尽きてしまいそうな距離感だ。
「帰りたいねぇ……」
 魔女は独り言ちた。こんなところ、場違いにも程がある。
 いっそ無理にでもカラスを共に連れるべきだった。実際連れて行こうとしたのだが、彼から執拗な抵抗を受け、それは叶わなかったのである。昨日の晩に出した食事がよほど気に食わなかったものと見える。手加減なく顔面を足蹴にされ、カラスの足形がいくつも刻まれてしまったが、もとより皺だらけのこの顔ならば、大した違いはないだろう。
 観念して、老婆は門に手をかけた。
 大きさの割にするりと開き、すんなり魔女を受け入れたこの門が憎たらしい。できることならば、扉が重くて敷地に立ち入ることができなかったと(いうことにして)洞窟へ帰ってしまいたかったのに。……観念したと言いつつ、心中は複雑な魔女である。
 広い庭に、ちらほらと明るい色の花々が咲いている。あれはルシエン、あれはシシャ、魔女は頭の中で花の名前を確認しながら歩いていく。美しい配置で植えられた木々には、小鳥が止まっているらしい。どこかからか可憐な歌声を披露しているのが魔女の耳に入った。
 さて、玄関だ。乱暴な手つきでノッカーをならし、使用人が現れるのを憮然と待つ。ここで使用人が不審な魔女を追い返してくれれば万々歳なのだが、果たして。
「お待ちしていました! ああ、本当にようこそいらっしゃった!」
 嬉々とした言葉と笑顔で出迎えたのは、やはりというかなんというか、オーレリーであった。館の主一家の一員が、使用人すら押しのける勢いで、自ら小汚い老婆を迎え入れるとは。今更これしきのことで驚く魔女ではないが、心底げんなりしてしまう。
「遠路はるばる、ありがとうございます。すぐに温かいお茶をご用意しますので、こちらへどうぞ。あ、よければ外套はお預かりしましょうか」
 まさに使用人よろしく立ち回るオーレリーの姿に、側で立ちつくしていた本物の使用人たちは顎を落としそうな勢いでぽかんと口を開いている。それを横目で見ながら、魔女はますます居たたまれない気持ちになった。
「ローブはこのまま着ておく。茶もいらないから、さっさと本題に入ってもらいたいね」
「でも、お疲れでしょう? 今は母の容態もかなり落ち着いています。すこし休まれてからでも」
「この屋敷内にいるうちは、疲れが溜まっていく一方だよ。さっさと用件を済ませたいんだ」
 いつも以上に刺々しい言い方になってしまうが、魔女がやって来たことでいつも以上に興奮しているオーレリーには、その棘も刺さっていないようだ。
「失礼しました、装いは魔術を操る方にとって大事な要素の一つでしたっけ。でも、せめてお茶くらいはご用意させてもらってもいいでしょう? まずはあなたがいらっしゃったことを、父にも知らせてこなくては。それをお待ちいただく少しの間のことですから」
 そう言われてしまえば、突っぱねるわけにもいかなくなる。仕方なしに魔女は口を閉ざした。
 だが、しかし。

「茶など出す必要はない。その魔女にはこの場でお引き取り願うのだからな」

 移動しかけたオーレリーと魔女を、突如振り落ちた冷たい声が、その場にしっかと縫い止めた。
 言葉の内容よりも、芯の通った強い声に引き寄せられ、魔女は無意識に視線を上げる。
 屋敷の二階の階段から規則正しい足取りで降りてきたのは、オーレリーとよく似た顔立ちの、しかし甘さを微塵も感じさせない青年であった。