04.

 魔女はサラシャと名乗った女魔術師を忌々しげに睨(ね)めつけた。
 魔術師の方はと言えば、お世辞にも友好的とは言えない魔女の視線を涼し気な顔で受け止めている。なかなか肝の据わった女らしい。

「どうしてあなたがこんなところに」
 戸惑いを隠しもせずに、オーレリーがサラシャへと問いかけた。
 ひたと魔女を見据えていたサラシャの視線が、不意に彼の方へと向けられる。
「お兄様からお話を伺いました。オーレリー様が足繁くこちらの洞窟へ通っていらっしゃると。それで、少し心配になりまして。魔女の蠱惑の術に惑わされていたのなら一大事ですから」

「とんでもない!」
 オーレリーと魔女の声が重なった。

「ええ、分かっております。今こうしてお二方と向かい合い、そうした術が施された形跡のないことは、よく理解できました」
 続いて寄越されたサラシャの意外な言葉に、魔女は思わず目を瞬かせる。
「万が一の時は、国家魔術師として対応せねばならないと思い参りましたが。杞憂に終わって何よりです」
「何より、ってアンタ」
 魔女はつい気の抜けた声を出してしまった。
 領主のところへ派遣された若い女魔術師。オーレリーも彼女と面識がある様子。となれば、彼女こそが噂の婚約者に違いない。
「自分の婚約者になろうって男が得体の知れない魔女の棲家に連日通っているっていうのに、随分と寛大なことだね」
「ああ、確かに」
 サラシャは今更思い出したと言うように頷いた。
「言われてみれば、喜ばしいことではありませんね。申し訳ありません、まだ実感がわかないもので」

「それは僕も同じです」
 オーレリーが真剣な表情でずいと一歩足を踏み出した。

「実感がわかないというよりも、はっきり言ってしまえば、僕は納得していません。あなたも同じお気持ちなのでは? 仕事で連れて行かれた先の男と突然結婚しろと言われて、素直に受け入れられるものではない」

「……そうですね」
 サラシャは逡巡する様子を見せた。しかし視線を落としたのはほんの一瞬のことだ。
「納得されていないというご本人を前に申し上げるのも何ですが、私の方は全く問題ございません」
 さも当然と言うようにさらりと答えたサラシャに、多大なる衝撃を受けたのはオーレリーの方だったようだ。
「な、何故ですか。僕たちの意思はまるきり無視され、家の都合で『結婚』という重大な話を進められているのですよ」
「それは確かにそうなのですが。しかし私としましては、年齢的にもつり合いが取れ、物腰柔らかで知的なご様子、その上これ程見目麗しい男性がお相手と知り、両親に感謝しているくらいです」

 オーレリーは二の句が継げないままに固まった。
 しかし、隣で聞いていた魔女にとっては全く何の不思議もない応えだ。一体どれほどの若い娘たちが、この兄弟とお近づきになりたいと日頃願っていることか。このサラシャという女は、ごくごく正直に思ったところを述べているに過ぎない。その忌憚のない言い回しには、多少魔女も面食らったところではあるが。

「実は私は、女だてらに国家魔術師として身を立てることを許してもらう代わりに、良い縁談が持ち上がった際には必ず受けると父と約束をしておりました。このような職に就いておりますとなかなか嫁の貰い手もないもので、てっきり父と同年代の中年男性の後妻にでも収まるものだと思っていたくらいなのです」
「アンタ、それで納得してたってのか」
「国家魔術師を続けられるのなら」
 思わず口をはさんだ魔女に、サラシャは淡々と頷いて見せた。

 魔女がこの世で最も嫌いなものの一つが、国家魔術師だ。
 魔女の棲家にそれを迎え入れることになってしまっただけで腹立たしいのに、国家魔術師が人生を捧げるに値する職であると何の曇りもなく断言してしまえるこの女の感性が、また一段と忌々しい。
 だがしかし、だ。魔女にとっても意外なことに、彼女の一風変わった人間性については、なかなかに興味深いものがあるのも事実だった。

「それで? 未来の夫が別の女に現(うつつ)を抜かしている現場を抑えに来たのでないのなら、アンタは一体どうするつもりだい。言っておくが、茶は出てこないよ」
「おもてなしは結構です。オーレリー様のことも、術で操っているのでなければひとまず良しといたしましょう。それよりも、私はあなた自身に興味がわいて参りました」
 ここへ来て、サラシャの顔に初めて笑みが浮かんだ。場の空気が変わるような、美しい笑みだった。
「町で聞いた森の魔女とは、百余年を生きる老婆のはずでした。それが、実際はこれほどまでに若く美しい娘さんだったとは驚きです。それに、」
 サラシャは、一つゆっくりと瞬きをした。

「――あなた、普通の出自ではありませんね」

 愚問である。
 世間に顔向けできないもぐりの魔女として生計を立てているような女が、そもそも普通の出自であるはずがない。
 だが、この国家魔術師がそういう意味で「普通でない」と言ったわけではないことは、魔女自身にもすぐに分かった。

「サラシャさん。僕たちの問題については、当事者同士、これからじっくり話し合いましょう。森の魔女殿は関係ありません」
 オーレリーは魔女を気遣ったのだろうが、その言い回しはどこか面白くない。
「ああ、その通りだ。私には関係ない。全く何の関係もないさ。そこのお嬢さんが、この男の婚約者として洞窟へ乗り込んできたのならね」
 だが、と魔女は鋭い眼差しでサラシャを射抜いた。

「アンタが『魔術師』として、『魔女』の私に物を言うなら話は別だ」

「と、仰いますと?」
「これ以上、私について詮索しようとするならば、アンタの平穏な生活を差し出す覚悟が必要だよ」
「なるほど。――しかしそれは、どうやらお互い様のようですね」
 サラシャはひるむ様子もなく、一層笑みを深めた。

「突然押しかけ申し訳ありませんでした。今日は、これで失礼いたしましょう」

 またすぐに、見(まみ)えることになるのでしょうから――。
 言葉は多くなくとも、その微笑みが雄弁に物語っていた。

 魔女は応えを返さなかった。
 その沈黙もまた、多くを語っていたことだろう。



 望まぬ客が両名とも立ち去ってしばらくした後、魔女はようやく次の行動を開始した。

 手近にあった粘土にガレの実を粉にしたものを混ぜ、いびつながらも思う形に仕立て上げる。慎重に呪文を紡いで一撫ですれば、それは黄色い羽根を持つ華奢な小鳥へと変貌した。
 泉の水を救うように、両手でそっと小鳥を持ち上げる。小鳥は嫌がるそぶりも見せず、ご機嫌な様子でかん高い鳴き声を上げた。魔女はそのまま洞窟の入口までやってくると、既にとっぷり日の沈んだ宵闇の空へと小鳥を放った。魔女の目当ての方角へ正しく小鳥が飛んでいくのを確認して、再び魔女は洞窟の奥へと戻っていく。

 いつの間にやら、カラスと黒猫が遠巻きに魔女の様子を伺っていた。昼間の慌ただしい最中、全く姿を見せなかった薄情者たちだ。今更興味本位で顔を覗かせたって相手をしてなんぞやるものか。魔女はまるきり無視を決め込んで、いつもの自分の定位置に腰を下ろすと、目の前の水晶に手をかざした。

 水晶が淡い光を放つ。
 間もなく、深い闇が映り込んだ。
 飛び立った小鳥が見ている風景だ。細い三日月の下に広がる暗がりの森。しばらく単調な景色が続いたが、やがて夜空の星々に負けないくらいの明かりが地上を覆い始めた。

 ひときわ明るい光をはらむ大きな屋敷。小鳥はそのうちの窓の一つをめがけて緩やかに降下していく。窓からは、橙(だいだい)の柔らかな明かりが漏れ出していた。

 小鳥は窓際にて羽を休めると、その小さなくちばしで窓の枠組みをコンコンと突いた。
 そのままおとなしく待っていれば、部屋の中で人の動く気配がする。警戒するようにカーテンを持ち上げた先に見えたのは、おぼろな明かりの中に浮かぶ美しい青年――ユーベルの姿であった。

 ユーベルは、突然の来訪者に一瞬怪訝な表情を見せたが、じっとしている小鳥の様子に何かを察したらしい。すぐに窓を開け、小鳥を招き入れてくれた。

「魔女の使いか」
 明け透けな問いかけに、小鳥は一言ピイと鳴いた。

「こんな夜更けに、何をしに来た?」
「何をしに来たとは、つれない言いようじゃないか」
 部屋の中をぐるりと一周羽ばたいた小鳥は、最後に窓際近くの机の縁へちょこんと降り立った。次いで紡がれた言葉は、魔女の老婆たるしゃがれ声に変わっている。
「この私を貰い受けようと名乗りを上げてくれた男の言葉にしては、随分と薄情だ」
「……もう知っているのか。まあそうだな、オーレリーが黙っているはずがない」
 ユーベルは、唇の端をわずかに歪めた。

 彼は、やれやれとでも言いたげに肩をすくめると、覚悟を決めたかのように机の側の椅子へ腰かけ、小鳥と真正面から向き合う形になった。魔女はと言えば、小鳥の目を借りて辺りを見渡し、殺風景な部屋がいかにもこの男の私室らしいと納得をしたところだ。

「さて、今日は散々な一日だったよ。アンタにその辺りを愚痴ってもバチは当たらないと思うが、どうかね」
「愚痴を聞かなくてもだいたいの見当はつく。実のない話で無駄に時間を潰すのはあんたの最も嫌うところだと思うが、どうだ」
「ふん。アンタを道連れにできるのなら、いくらでも時間を浪費してやりたい気分なんだよ、今夜はね」
「なるほど、それは光栄だ」
 ユーベルは机の上に置かれていたグラスを手に取り、ほんのり甘い香りのする酒を口に含んだ。

「……それで?」
 ユーベルの問いかけに、魔女は鼻を鳴らした。

「一体どうしてまた、私を相手に身を固めようなんざ頓珍漢なことを言い出したのか。それを教えてもらいたくてね」
「本当に、一から話をさせるつもりだな」
「当たり前だろう。魔女は、憶測で物を片付けたりはしない」

 ユーベルは小さくため息をついた。
 彼にしては珍しく口が重い様子を見ると、単に面倒なのか、わずかでも罪悪感が胸をかすめているのか。

「国からわが家に派遣された、若い女の魔術師を知っているか」
「サラシャと名乗る国家魔術師だね。今日、わざわざ洞窟まで私を訪ねてきてくれたよ」
「そうか、もう会ったのか」
 ならば本当に話が早い、とユーベルは頷いた。
「父の意向で、彼女とオーレリーが婚約をする運びになった。もちろん、オーレリーは納得していないが」
 魔女も頷き返す。二人のやり取りを目の前で見せつけられたのだ、嫌が応にも状況は理解した。
「彼女の方はどうかと言えば、特に異論はないようだ。だが逆に、オーレリーでなければ嫌だというわけでもないらしい」
「そのようだね。年齢的につり合いが取れ、穏やかで知的で、見目麗しい相手と婚約できてありがたいと言っていた」
 あきれ声で魔女が続きを引き受ける。
 さらにその先に続く結論は、明らかだ。

「その条件で言えば、ユーベル、アンタが相手でも全く問題がなさそうだねえ」

「……」
「オーレリーが断固としてこの婚約に抵抗すれば、最悪、話はアンタのもとに流れ込んでくるかもしれないね。その時に、サラシャ側に特に異論がなければ、アンタにとっては面倒なことになる」

 サラシャ自身に、兄弟のどちらかを選り好みするような様子は見られなかった。妻を亡くした中年オヤジの後妻に収まる覚悟を決めたほどの豪胆な娘なのだ。
 だが、彼女の親がごく一般的な感性を持っているのだとすれば、三兄弟の中でも一番と名高いユーベルを、そもそも娘の結婚相手にしたいと考えて当然なのではなかろうか。自惚れでもなんでもなく、事実としてその可能性を懸念したからこそ、ユーベルが先に動いて見せただけのこと。

「その通りだ。兄弟そろって森のはぐれ魔女に懸想している絶望的な一家と知れれば、国家魔術師を擁する件(くだん)の家が縁を結びたがるはずがないからな」

 おそらく領主は、オーレリーが魔女に心酔していることだけは、相手側にどうにか伏せておこうとしていたはずである。オーレリーとてあの性格だ、わざわざ魔女を面倒ごとに巻き込むまいと、想う相手が魔女であることまでは相手に知らせるつもりはなかったのではなかろうか。事を面倒な方向へなぎ倒したのは、他でもない、目の前のこの男だ。

「そんなことをして、一族の顔に泥を塗ったとは思わないのかい」
「どのみち、母が過去に魔女(ディージア)と縁を持っていたことで、既に国からは目をつけられているんだ。泥の上に泥を塗ったところでさほど変わりはしない」
 だから、逆にその「泥」を有効活用してやろう、というわけか。
「そこまでするくらいなら、アンタが腹をくくった方が話が早いんじゃないかい」
「他人事だと思って言ってくれるな」
「とんでもない、他人事なんかじゃないさ。どこかの誰かさんが、人をダシに立ち回ってくれたおかげでね」
「それについては謝る。だが、あんたにとっては特に何が変わったわけでもないだろう」
「変わったさ。大きく状況が変わった」
 魔女の声音が一層低くくぐもったことで、ユーベルはぴくりと片眉を吊り上げた。

「アンタが私を引き合いに出したのには、もっと他に理由があるね?」

「……何を」
「しらばっくれなくていい。単に縁談を断りたいだけなら、アンタだったら他にいくらでも手が打てたはずだ。……今日一日、ずっと考えていたよ。何故アンタが、こんな危険な真似をしでかしたのか」

 ユーベルは口元を引き締め、無言のまま魔女に続きを促した。

「もちろん、さっき指摘した通り、アンタ自身の保身の意味合いもあったんだろう。だが、それだけのために『はぐれ魔女』との縁を引き合いに出すのは、あまりに分が悪すぎる」

 先ほど、ユーベルは「泥に泥を重ねても大して変わらない」と言った。が、魔女と関わりがあると白状することは、国に対して顔向けできないことをしていると宣言するようなものだ。泥で済めばいいが、致命傷を与える劇薬にもなりかねない。

「そうまでして、どうして私を引き合いに出したのか? 考えられるのは――縁談を断るためのエサが私なのではなく、私を表舞台に引っ張り出すのに、縁談話の方をエサにしたということだ」

 魔女はすうと息を吸い込み、それから吐いた。

「森の奥で引きこもっていた私を、白日のもとに引っ張り出す。それこそが、アンタの本当の目的だった。違うかい?」

 ユーベルは、じっと小鳥を見つめたまま口を開かない。

「もともと、私が歓迎された存在でないのは重々承知さ。一族の領土にはぐれ魔女が棲みついているというのは、領主側にとっては本来体裁の悪い話だろうからね。できることなら追い出したいと、アンタは常々そう考えていたはずだ」

 それでも、何事もなく魔女が森の奥に引っ込んでいる限りは、まだ素知らぬふりをしていられたかもしれない。魔術とは縁のない領主一族が、一介の魔女の存在を取りこぼしていていたというのはよくある話だからだ。表向きは、どこの領土でもそういうことになっている。その実、裏の世界では、権力者たちが密に魔女を抱え込んでいたりするのだが。

 しかし、彼ら一族は、いささか他とは事情が違った。

「アンタの母親が、あくどい魔女と過去に繋がりがあったと国に露見したことが特に良くなかったね。その上、また別の魔女とも付き合いがあるようだと後々見咎められようものなら――その時こそ、アンタたち一族は終わりだろう」
「……」
「だから、いっそのこと、国から指摘される前に自ら暴露することにした。そして明るい日のもとで全てを清算しようと考えたんだ。密かに私を領土から追い出してもよかったが、それだと後々どんな形でしっぺ返しを食らうことになるか分からない――今の、アンタの母と魔女ディージアのようにね」

 それはとても、とても危険な賭けではあるが。
 しかし、その賭けに「勝算あり」とこの男が見込んだ理由があるはずだ。

「――ユーベル。アンタ、私が本当は何者なのかを、知っているね?」

 この話を持ちだすのは、魔女にとっての賭けでもあった。

「私を領地で泳がせている間に調べ上げたか。流石だね、アンタだけは敵に回すもんじゃない。まあ、とにかくアンタは、それでこの危険な橋を渡りきれると判断したんだろう。うまく行けば、魔女を森から追い出せて、望まない結婚話を退(しりぞ)けられて、国からは感謝すらされるかもしれない。いいことづくめじゃないか」
「……」
 
 ユーベルは真面目な表情を崩さない。

 否定はしない。それが何よりの答えだった。

「……さて。さっきからだんまりを決め込んでいるが、何か言いたいことは?」

「ない」
 ユーベルは短くそう答えた。

「もう、あんたは『森の魔女』ではいられない――それだけ分かってもらえれば、十分だ」