04.

 魔女は屋敷の窓から夜空を見上げた。
 空高く、細い月が浮かんでいる。

 真夜中も過ぎた時間帯だ。
 街全体がすっかり寝静まった頃合いになって、魔女たちはついに動き出した。

 あらかじめ準備の進められていた部屋に全員が集まると、途端に窮屈に感じられる。
 それも無理はない。この小さな控えの間には、領主一家と国家魔術師の二人、そして魔女に黒猫が――何より、部屋の中央に大きな魔法陣が陣取っている。
 魔女の使い魔であるカラスは、屋敷の周りを警戒中だ。今から魔法陣で攻撃を仕掛ける上で、魔女たちの意識は完全に陣の中へ集中することになる。もし外部から何らかの干渉があった場合は、彼が異変を知らせてくれる手はずだった。今のところ、カラスからの連絡はない。

 蝋燭に灯された炎が、頼りなげに揺れている。
 魔術を使わず原始的な方法で明かりをとっているのは、とにかく目の前の魔方陣に集中するためだ。余計な魔力に気を取られることがないよう、徹底的に他の術を排除している。

「さて」

 魔女は魔法陣の脇に跪いた。
 懐から小さな包みを取り出すと、その中からディージアの毛髪を拾い上げ、口の中で呪文を唱える。手のひらに乗せた毛髪をふうっと一吹きすると、それは煽られて宙を舞い、やがて魔法陣の中に吸い込まれるようにして消えてしまった。
 ちらり、と横目で黒猫に視線を送る。
 黒猫は、分かっていると言うように、鷹揚な足取りで陣の中へと歩いていった。猫が陣の真ん中までやって来たのを見届けると、魔女は魔法陣の中で「核」となる文様に自分の右手を添えた。

 瞬間、陣がまばゆい光を放つ。
 魔女の後ろで、領主たちが息を呑む音が聞こえた。

 魔女は目を閉じ、全神経を集中させる。
 魔法陣が水面のように揺らめき始める。

(さあ、ディージアはどうしている?)

 魔女の意識は、漂う魔力の海に沈みこんでいく。

 とても静かな大海原だ。
 魔女と黒猫以外は、誰もいない。
 息遣いも聞こえない。
 ただただ暗く、一筋の光も届かない世界。

(――いた!)

 ちらり、とほんのわずかに瞬いた何者かの気配。
 間違いない、ディージアだ。

 魔女暮らしを捨てて領主に取り入っている現在、彼女も人並みの時間に眠っていたようだ。まずはそのことに安堵して、魔女は慎重に気配を手繰っていった。

 だがしかし、ディージアの「気」はとてもか細く頼りない。
 恐らく、彼女の眠りは非常に浅いのだろう。日に日に力を失っていく焦りで、深い眠りにつくことができないのか。それとも、魔女や国からの襲撃を警戒してのことなのかもしれない。

「……行けそうかい?」

 魔女が小さく囁いた。
 近くにあった黒猫の気配が微かに頷くのを感じる。
 次の瞬間には、深い海は深い暗闇へと姿を変え、そこに松明の明かりがともされた。ぼんやりとした灯りが暗闇に広がり、いつの間にか、地下へと続く石造りの階段を映し出している。

 その松明を掲げ、一歩一歩慎重に階段を下りているのは、オーレリーの母親の姿であった。

 無論、その正体は黒猫である。

 魔女自身は暗闇の中で気配を押し殺している。

 オーレリーの母親――もとい黒猫は、まるで地下牢に続くかのような陰鬱な廊下を、ひたすら真っ直ぐ進んでいく。長いスカートの裾をわずかに持ち上げて歩き続けているが、その足取りはひどく重い。今にも泣き出しそうな不安げな表情、それがまるきり黒猫の演技なのだとしたら、ますます末恐ろしい使い魔だと認めざるを得ない。

 やがて、長い廊下に突き当りがやってきた。
 その場に佇む小さな影は。

 ――ディージアである。

 ざわり、魔女の背中が粟立った。

「ああ、ああ。そうか、ついに来たか。ようやく、決心したのだね」

 しわがれた声が、薄暗い廊下に響く。
 オーレリーの母、もとい黒猫は、強張った表情で足を止めた。

 黒猫が松明を掲げた先にいたのは、くすんだ赤毛の女だった。髪は長いが全く手入れをされておらず、白髪も多く交じっている。やや俯いているために、その顔はよく見えない。だが、明らかに頬はこけ、首筋には隠しようのない深い皺が幾重にも刻まれていた。まるで、王都の裏路地でその日暮らしをしている家無しの老婆のようだ。しかしそれでいて、身にまとっているのは派手な黄色いドレスときている。ドレスの袖からのぞく痩せこけた皺だらけの腕が、何とも痛ましかった。

「待ちくたびれたよ。あまりに待ちくたびれて、こんな姿になってしまった」

 黒猫は、何とも応えなかった。
 きっと、応えたくとも応えられなかったのだろう。こうまで赤裸々な元主の姿を見るのは、彼にとっても初めてのことだったに違いない。

「早く、早く、早く。――早く私の力を返してくれ!」

 金切り声と共に、ディージアの枝のような腕が伸びてきた。
 黒猫はぎくりと身を強張らせて一歩退いたが、ディージアは、その見てくれからは想像もつかないほど俊敏に距離を詰め、相手の右手を掴んでくる。

「お前の全て喰らい尽くしてやる。そしてベリアメルを超える力を手に入れる!」
「は、放して!」

 黒猫は気丈にも、未だ変化を解かなかった。
 思い切りディージアの手をふり解くと、今来た廊下を一目散に駆け戻っていく。
 もちろん、ディージアは諦めない。すぐさま黒猫の背中を追いかけて走り出した。

 ――まだだ。

 魔女は注意深く二人を観察していた。

 あともう少し。
 もう少しで、その時がやって来る。

 逃げる黒猫と、追うディージア。
 二人の距離はほんの少しずつ縮まっていく。それでも、すぐさま目当ての女を捕えられない焦りと苛立ち故か、ディージアの方が再び仕掛けた。

 真っ直ぐ伸びた彼女の両手に、妖しい光が集中していく。
 ディージアは、魔術を使って相手を捕まえるつもりなのだ。
 手の中の光が大きくなるにつれて、彼女の腕に刻まれた皺がまた一段と深くなっていくのが分かる。
 すでにディージアの魔力は限界を超えていた。今となっては、彼女は自らの命を削って術を行使しているのだ。

 なんと憐れな。

 しかし魔女は容赦しなかった。

(――今だ!)

 魔女の一睨みで、ディージアの手の中の魔力が突然霧散した。
 はっ、とディージアが身構えるがもう遅い。今度は魔女の魔力が彼女を捕えにかかった。

 魔女が右手を突き出し呪文を唱える。直後、ディージアに異変が起こった。背中に巨岩でも乗せられたかのように、老婆の細い体が地面に崩れ落ち、そのままその場に突っ伏したのだ。うめき声と共にもがき暴れるディージアだが、その身は自由にならない。

「な、何事だ!? 女、お前、私に何をした!」
「アンタの相手は目の前のその女じゃない。――私だよ」

 魔女はそう言いながら、とうとうディージアの前に姿を現した。
 魔女の背に庇われた黒猫は、本来の姿に戻り、ひょいと魔女の肩に飛び乗る。

「お前は、ベリアメルの! それに黒猫――」

 ディージアは、わなわなと唇を震わせた。その視線だけで、相手を射殺すことができそうだった。

「お前たち、私を嵌めたのか!!」
「魔女ディージア。ようやく状況が理解できたか」
「何故だ、何故私の邪魔をする!? お前には関係のないことだろう!」
「私にとっては、面倒なくらいに関係が大アリなんでね。アンタの元師匠は私の現師匠であり、アンタが目を付けた一家は、良し悪しは別として、一応私の『お得意様』だ。それに何より、アンタは――あの晩、私に喧嘩をふっかけた」

 ディージアの顔が、より一層歪む。魔女のかけた圧が強まったからだ。

「や、やめてくれ!」
「やめろと言われてやめる馬鹿がどこにいる? 安心なさい、アンタの息の根を止めるような真似はしない。このまま、永遠に、この小さな箱庭で一人生き永らえるがいい」

 言って、魔女は右手を高く掲げた。
 そのまま手のひらを握り込むと、場の空気が一変する。

 ぴりぴりと肌を刺すような緊張感。
 心臓を鷲掴みにして身を持ち上げられるような、居心地の悪い浮遊感。
 天と地が近づき、彼方の景色が迫ってくる。
 何もかもがない交ぜになり――空間が、急速に収縮していく。

 魔女の肩に乗った黒猫が、「にゃあ」と頼りなげに鳴いた。
 そして次の瞬間、猫の声をかき消すほどの咆哮が、辺り一面に響き渡った。

「いやだ――、嫌だ! 私はまだ死にたくない! 力を失いたくない! あの女の力は私の物なんだ! 私の力を返せぇぇぇぇ!!」

 ディージアの魂の叫びだった。
 魔女は思わず一歩身を引いた。これほど禍々しい叫び声はついぞ聞いたことがない。

 ディージアは、地面に身を縫いとめられたまま、血走った目で魔女を睨みつけた。自由にならない四肢の代わりに、錆びた赤色の毛がうねり広がり出す。蛇のように俊敏に動きながら、赤毛はあっという間に魔女の足元にまで伸び、その右足首を絡めとった。

(しまった!)

 魔女は慌てて足を引こうとしたが、敵わない。これはただの髪の毛ではない。ディージアの怨嗟と、最後の魔力そのものだ。

 捕えられた右足から、急速に力が抜けていく。
 魔女は思わず片膝をついてしゃがみこんだ。その振動に、黒猫が肩から飛び降りる。途端、ディージアの赤毛は、かつての使い魔さえも容赦なく縛り上げ、その力を吸い取っていった。

「く……」

 ディージアがのそりと上体を起こした。魔女の術による拘束が緩んだためだ。
 このままでは本当にまずい。

「いい加減に、しなっ!」

 魔女は、自らの右足を切り捨てるイメージを頭の中に強く焼き付け、全神経を左手に集中させた。そのまま短く呪文を唱え、ディージアに向かって手のひらを勢いよく突き出す。
 瞬間、ディージアの体が棒切れのように吹き飛んだ。
 魔女と黒猫を襲っていた長い赤毛が嫌な音を立てて引きちぎれ、その場に汚らしく散乱する。魔女はすかさず立ち上り、なおもディージアに追撃を試みた。だがしかし、生き物のようにうねるディージアの赤毛に阻まれてしまい、本人を捉えることができない。

 このままでは埒が明かない。
 魔女は、この空間を維持するために魔力の大半を使ってしまっている。だから、ディージアを一撃で仕留められるような大技を繰り出すことができないのだ。

 ――それでも、もはや彼女に抗うほどの力など残っていないと思っていたのに。

 この憐れな女の、生と魔力への執着が、ここまでのものだったとは。

 どうする。
 何か。
 何か、決定打となるものは――。

 その時だった。

「魔女ディージア。もう、こんなことは止めなさい」

 魔女のものでもディージアのものでもない女の声が、緊迫した場に割って入った。

 はっとして振り返った魔女は、思わず目を見開く。
 いつの間にやら、すぐ側に佇んでいたのは、オーレリーの母親その人なのだった。


(5)

 一瞬、魔女は黒猫が再び化けたのかと思った。
 だが、当の黒猫は小さく縮こまり、魔女の足元にまとわりついている。

(本人!? ――だとしたら、どうやってこの空間に入った?)

 ディージアに狙われるほどの膨大な魔力の持ち主とはいえ、あくまで一般人であるオーレリーの母親が、自力でこの場へ入り込むことなどできるはずがない。
 ならば、国家魔術師の二人が彼女を送り込んだ? いや、まさか、保護対象をわざわざ敵前に放り出すような真似をするとも思えない。そもそも、魔女に気取られずに領域の入り口を開くこと自体、おいそれとやってのけられるような所業ではないのだ。声をかけられるまで魔女自身が気づかないなど、あり得るだろうか。

 混乱する魔女を尻目に、オーレリーの母親は淡々と言葉を続けた。

「私の力がそれほどにまで欲しいのならば、好きなだけ持っていけばいい。私はここにいます。逃げも隠れもしませんよ」

「ああそうだ。最初からそうすれば良かったんだ! 今すぐ、今すぐお前の力を全てよこせ!」

 金切り声と共に、再度ディージアの髪が伸びた。
 オーレリーの母親の右手首に巻き付き、強く束縛する。

「いけない!」
 魔女は我に返って彼女の側に駆け寄ろうとしたが、それを視線で押しとどめられた。
 オーレリーの母親は、手首に絡まったディージアの赤毛を払うどころか、逆にそれを強く握り込んだ。瞬間、閃光がはじけるような音と光がその場に響き渡る。――彼女の手からディージアへ、魔力がほとばしっているのだ。

 ディージアはぐんぐん魔力を吸い上げていった。
 錆びた赤毛に艶が戻り、枯れ木のような肢体に肉付きが増す。皺ひとつない瑞々しい肌に、少し朱の差した健康的な頬。彼女は時間を巻き戻すかのように若返っていき、ついに、血走っていた眼(まなこ)に瑞々しい輝きが宿った。

「ああ……!」

 思わずというように上がった感嘆の声も、先ほどまでのしわがれたものとはまるで違う。恍惚としたその表情には、どこか艶めいた色っぽささえ感じられた。

 魔女は、戦々恐々としながらその様を見つめていた。
 魔力を吸い上げる勢いが凄まじすぎる。普通に考えれば、吸い上げられているオーレリーの母親の方が干からびてしまってもおかしくない。
 しかし、当の本人はといえば、未だ涼しい顔をしてディージアに魔力を与え続けていた。もはや束縛の体(てい)をなしていないディージアの赤毛を握り込んでいるのは彼女の方だ。そう、彼女は、意図的に魔力を送り続けている。

 あまりにも常軌を逸したこの光景に、魔女は確信した。

 この女は、オーレリーの母親ではない、と。

 一方のディージアは、そんな違和感は露ほども感じていない様子で、自身の力が戻ったことを単純に喜んでいる様子だった。なんなら、そのまま相手の命が尽きるまで魔力を食らい尽くしてしまえとでも考えていたに違いない。
 しかしそれも束の間のこと。
 尋常ではない魔力が供給され続ける異様さに、遅ればせながらディージア自身も気づき始めた。
 次第にその表情が曇り始め、怪訝な様子で眉がひそめられる。
 そうするうちにも激流がごとく押し寄せる魔力に、体の方が先に悲鳴を上げたようだ。

「あ……頭が、痛いっ!」

 両手で頭を抱え込んで、ディージアはうずくまった。
 がくがくと全身を震わせながら、かろうじて顔を上げ、オーレリーの母親――いや、得体の知れぬ「女」を睨みつける。その顔からは、急速に血の気が引いていった。

 それでも、女はディージアの赤毛を離さない。

「も、もういい。もういい! 魔力を止めろ!」
「何を言うのです。私の力を『全て』よこせと言ったのはあなたでしょうに」
 女は白々とした声で答える。
「まだ、力の半分もお渡ししていませんよ」

 やはり、この女がオーレリーの母親であるはずがない。
 かといって、ただ魔力が有り余っている一般人のはずもない。

 これは「魔女」だ。しかも、相当高位の。

 ここまで圧倒的な力を持った存在を、魔女は知らなかった。
 ――ただ一人を除いては。

「頭が、割れる……! 頭が爆発する……!!」

 ディージアの眼窩から、目玉が零れ落ちそうだ。
 わなわなと震える唇の端からは、鮮血が一つの筋を作って零れ落ちていく。

 それでも、女は魔力を送るのを止めなかった。

 魔女はそっと目を逸らした。
 黒猫が、かがんだままの魔女の膝に飛び乗り、小さな頭を腹に埋めてくる。

「あ、あ、あ……、ぎゃあああああああ―――!!」

 ディージアの断末魔が響き渡った。

 その叫び声だけで呪われそうだと、魔女は思った。
 しかしそれも長くは続かない。ぱたりと声が止むと、そのあとには冷え冷えとした静寂だけが残された。

 もう一度魔女が視線を戻すと、ディージアはうつ伏せになってその場に倒れ込んでいるのだった。指一本、動く気配がない。
 魔女は黒猫を片手で抱えながら立ち上がると、同じくすぐ側で立ちつくしている「女」に声をかけた。

「……殺したんです?」
「嫌だわ、人聞きの悪いことを」

 彼女は、ゆっくりと振り返った。

「私は、私の魔力を分けてあげただけ。それだけで人を殺めることはできないわ。……殺めてはいない、という表現しかできないけれど」

 恐ろしい女だ。
 かつての弟子に、わずかたりともかける情けはないらしい。

「さあ、もう行きましょう。リシュール、お疲れ様」

 そして彼女は、うっすらと笑みを浮かべたのだった。



 魔女はゆるりとまぶたを開いた。

 大きな魔法陣の「核」に両手をついたまま項垂れている自分の姿に気が付いて、気だるげに上体を起こす。全身が鉛のように重かった。

 周囲を見渡せば、魔法陣の真ん中には黒猫、その陣の周りを囲むようにして領主一家と国家魔術師たちの姿がある。その中に兄弟の母の姿を認めて、魔女はわずかに目を細めた。――彼女は、正真正銘の本人だろう。
 固唾を呑んでこちらを見守っているのは、術を行使する前と変わらぬ顔ぶれだ。今しがたディージアを破滅へ追いやった女の姿はどこにも見えない。恐らくは、全く別の場所から、意識だけをあの空間にねじ込ませてきたのに違いない。あの人は本当に、あり得ないことを平然とやってのけるから敵わない。

「リシュー、大丈夫ですか。顔色が悪い」

 オーレリーが心配そうにこちらへ歩み寄ってきた。
 差し出された彼の手には頼らず、魔女は小さく頷くと、自分の足で立ち上がった。全くこの男ときたら、魔女の体調を気にするより先に、確認すべきことは山ほどあるだろうに。

「それで、邪悪な魔女はどうなったのだ?」
 領主が堪りかねたように口を挟んできた。
 そうとも、これこそが正しい反応だ。
 魔法陣から自分の足元に駆け寄ってきた黒猫を拾い上げてやりながら、魔女は冷ややかな目で陣の中心を見据えた。
「ディージアは、この魔法陣の中に。陣を消してしまえば、再び同じ陣を敷くまで、二度と現世には出てこられない」
 仮に出てこられたとしても、もはやディージアは廃人同然の身、彼女の意識が「正しく」現世に戻ることはないだろう。
 その言葉を聞いた領主は、隣で控えていた妻の両手をしっかりと握りしめ、飛び上がらんばかりに喜んだ。
「おお、神よ! 長い長い悪夢がようやく終わったのだ!」
 神どころか、始末をつけたのは日陰に生きるはぐれ魔女たちなのだが、領主にとってはそんなことはどうでもいいらしい。

「待ってくれ、いくつか確認したい」

 浮かれる父親とは反対に、こんな時でも冷静なユーベルが、慎重に言葉を紡いだ。
「この陣に誘い込めるのは『意識』だけという理解でいいな? ということは、ディージアの『体』は今もこの世に存在しているということになる。そちらはどうなる?」
「結論から言えば、どうにもならない。その『体』はもう空っぽだ。誰がどうあがいても、空っぽの『体』を目覚めさせることはできない。さっきも言った通り、この魔法陣から『意識』を解放してやらない限りはね」
「眠り続けた状態になるということか」
「しばらくは。……ただ、これまでディージアは魔術で若い肉体を維持してきたが、それもできなくなったからには、相当な速度で肉体が年老いていくことになるだろう。もちろん、意識がないままでね。そのうち肉体に限界が来れば、身体機能は停止する。つまり、『体』の死だ」
 だが、魔女にはその行く末までは興味がない。
「本人の『体』とこの魔法陣をどうするかは、国家魔術師どもに任せよう」
「ええ、我々が責任をもって管理いたします」
 サラシャがしっかりと頷いた。
「なら」
 ユーベルはなおも言葉を重ねる。
「この『夢繋ぎの術』とやらを、今回の件を与り知らぬ全くの他人が行使した場合は?」
「というと?」
「この術は、魔女の世界では一般的に知られた術なんだろう。魔法陣の術式が変わらないなら、他人が同じ陣を敷いてディージアの意識を解放する虞(おそれ)があるんじゃないか?」
「いや、それはない。ただ夢を繋ぐだけなら確かに術式は同じだが、今回は『檻』の役目を兼ねることも最初から分かっていたから、細部を独特の術式に変えている。一つの屋敷の中で、扉によって微妙に鍵の仕様が異なるとでも思ってもらえばいい」
「なるほど」
 ユーベルは神妙な顔で頷いた。
 全く、いかにもこの男らしい。あらゆる可能性を頭の中にずらりと並べて、懸念を一つ一つ潰し込もうというのだろう。
「ユーベル、今この場で魔女様を質問攻めにするのはお止しなさい」
 そんな彼を諫めたのは、騒動の渦中にあった兄弟の母である。
「魔女様は、私たちのために大変な大仕事をこなしてくださったのです。今夜はここまでにして、ゆっくり休んで頂きましょう。確認すべき事項については、また明日以降お話を伺えばいいのだわ。時間はいくらでもあるのですから」
 諭すような物言いを受けたユーベルは、意味深げな視線を魔女へと寄越す。
「……そうだといいんだがな」
 しっかりと魔女の耳に届いたその独り言を、あえて魔女は聞き流した。
「魔女様、大変失礼いたしました。すぐにお部屋をご用意しますから、今晩は、どうかそちらでお休みください」
 やれやれ、と魔女は心の中で肩をすくめる。
 さすがに、ここで解散というわけにはいかないか。
 しかしそれは想定の範囲内だ。はいそれじゃあさようならと、何事もなく解散になろうはずもないのは容易に想像がつくというものである。オーレリーの母は助かったが、魔女の身の振りについてはまだ何も決まっていないのだ。

 とは言え、真正面から額を突き合わせて彼らと話し合う気など、さらさら魔女にはありはしない。
 何者にも束縛されない。それが、魔女を魔女たらしめる全てである。

 しかし、そんなことをわざわざ力説もしない。
 魔女は曖昧に笑みを浮かべ、ただ黙って頷いた。