02.

 さて、セルダン伯爵と本格的に対決するとなれば、キチンと戦略を練らなくてはならない。
 あの人がこんなに世の中をうまーく渡っていけるのは、外面がいいというだけでなく、頭もいいからなのだと思う。ということは、作戦もなくあの人の相手をしていても埒(らち)が明かないだろう。なにかこう、あいつをへこませることができる、完璧な作戦。それが必要なのだ。
「……なにが効くかしら」

 私はその晩、さっそくセルダン伯爵のプライドをへし折るための作戦を練り始めた。こういう時間だけはたっぷりあるのが、嬉しいような悲しいような。
 セルダン伯爵が、私を落とす前に、ここへ来るのが苦痛で苦痛でついに諦めたとなれば、私の勝ち。いっこうに私がなびかないと悟って諦めたとしても、私の勝ち。……どっちにしろ、簡単なことだ。相手は手の内を見せてしまってるわけだし――。とにかく私がセルダン伯爵に惚れなければ、私の負けは絶対にないのだから。幸い、惚れない自信だけは揺るぎない鉄壁のように分厚くそびえたっている。あんなに嫌いな人間は、今までにいないというくらい、セルダン伯爵が嫌いなのだ。それがどう転んだら惚れることになるというのだろう?
 そう。私には余裕がある。時間もある。だから、なにも急ぐ必要はないのだ。
 それならば、と、ステキな作戦が私の頭の中に浮かんだ。
「……よし。ここへ来るのが拷問に感じられるような“歓待”をしてあげるわ」

「それで、今年はフリルが大変流行するようですの。襟元や袖口に、たっぷりとフリルをあしらうのが人気なんですのよ。特に、……えーと……フレードリンという仕立て屋がデザインしたモチーフが大人気で、新作はいつも品切れ状態。上流貴族の家庭でも、二ヶ月は待たなければ手に入れることができないとか」
 いつもと変わらない、ティータイム。
 現在、偉大なる作戦『セルダン伯爵が全く興味のない話ばかりをする』を実行中である。
 誰でも興味のない話をただ聞き続けるというのはツライもの。特にこの場合は一対一なのだから、ぼうっとしたり何か他のことをしたりは、できない。それならばなおさら苦痛を感じるだろう。
 それが一日や二日なら耐えられる。人によっては一ヶ月くらい耐えてしまうかもしれない。でも、長くてもそれくらいで嫌気がさしてしまうはずだ。しかもセルダン伯爵の場合、別にここへ来ることを強制されているわけでもないのだし。
 そんなわけで、先ほどから延々と最近流行のファッションについて語っている私である。
 私自身、ファッションの流行にはそれほど興味がないのが少し痛いけれど。でもまあ、セルダン伯爵をへこませるためならこれくらいなんでもない。昨日、夜更けまでファッションの勉強をして今日という日に挑んだのだ。もう勝負はついたも同然、そんな気がする。
「バッチがデザインしているフリルも同じく人気がありますのよ。私は、こちらの方が好きですわ。少し控えめな感じがして」
「そうだね、私も同感だよ。フレード“ラ”ンのデザインは、少し仰々しすぎる。最近は黄色や緑といった派手な色が流行っているからね。黄色いドレスにフレードランのフリルをあしらっているのなんて、最悪だよ。品性が感じられない。流行をむやみに取り入れるだけというのは実に不恰好だ」
「……」
 な、なにコイツ。
 どうして男のクセにこんなに女性のファッションに詳しいのだろうか。しかも私の言い間違いまでちゃっかり正してくれているし。
「ステラ=エリソン嬢を知っているかい?」
 私はこくりと頷いた。今の社交界で一番の華だ。可憐な容姿に、柔らかい女神の微笑。私の母とは全く違ったタイプの美少女である。私は直接の面識はないが、一度遠くから見かけたことはあるし、その噂はよく知っている。
「彼女のファッションは見習うべきだよ、フィーリア。全体の印象は清楚だが、きちんとポイントを抑えているんだ。自分に合う格好というものを知っている。前に私が、ロンディーのデザインしたレースをプレゼントしたんだけどね」
「……ロンディー?」
 しまった。カバーしてない人名が出てきてしまった。誰だロンディー。
「フレードランより更に派手なデザインをする仕立て屋だよ。ステラ嬢はあまり興味がないような、ね。あえてそのレースをプレゼントしたんだ。そうしたら次に会ったとき、そのレースを服に使わず髪飾りのポイントに使っていてね。実によく似合っていたよ。さすがの私も、そう来るとは思わなかった。フィーリア、君もそういう機知に富んだセンスのいい女性になりなさい」
「……」
 興味ない話をしてへこませるつもりが、逆にへこまされてしまうとは。
 しかもノロケ話つき。結局、社交界の現役トップ美少女とも仲がいいっていう自慢だったのではないだろうか?……楽しくない。
 ダメだ。女ったらしのセルダン伯爵だからこそ、こういう話題にも興味があるのだ。どうして最初に気づかなかったのだろう。もっと……もっと何か別の話題を探してこなければ……。

 と、いうことで次の日に。
 やはりセルダン伯爵はやって来た。今日こそリベンジを果たさなければ。
「……セルダン伯爵も、今度ご自分のお庭をようく観察なさるといいですわ。そもそもアリというものは、自分の何百倍もの体積のある物体を運んでしまう力を持っているわけで……。人間よりずっと偉大な生き物なのかもしれませんわ。女王アリという筆頭がいて、それに従事する働きアリ、それに巣を守るための見張りアリがいるというのも面白いですわね」
「……ねぇフィーリア」
 不意に、セルダン伯爵が話を遮った。――よし!どうやら効果が現れてきたようだ。こんな話、つまらないに違いない。というかつまらなくて当然だ。私も昨日、書庫から文献を引っ張り出して読んでいるとき、なんだか泣けてきたのだから。
「アリが人間よりずっと偉大な生き物だというけれど、アリには本能しか存在しない。音楽や美術を生み出すような崇高な感情が備わっている人間の方が、私は偉大だと思うね。例えばローディスクなんかどうだい?彼の書く戯曲はすばらしいよ。三文役者達で演じてもクライマックスでは感動してしまうほどだ。……そうそう、今度ローディスクの処女作の舞台を、私の知り合いの屋敷で上演するんだ。フィーリアも来ないかい?」
「……ローディスク!?」
 思わず私は食いついてしまった。――何を隠そう、私はローディスクの大ファンなのだ。
 食いついてから、しまったと思ってももう後の祭り。セルダン伯爵は勝ち誇ったようににっこりと笑みを浮かべた。……なんでこの人、私がローディスクのファンだということを知っているのだろう……?
 とにもかくにも、この作戦は失敗だ。
 セルダン伯爵は、相当口の回る男らしい。女との会話なんてお手のもの。スススーッとうまい具合に話を進めるわ逸らすわ変えてしまうわで、一向に勝機が見えてこないのだ。
 他に何か、手を考えなければならない。
 ……でもその前に、ローディクスの舞台……。ちょっと楽しみだったりして。