03.
ローディスクの舞台を楽しみにしている、とは言ったものの、実をいうと本気で期待はしていなかった。 多分、つまらない話題を変えるためのネタだったのだろう、と思っていたから。
だから、正式に招待状が届けられたときは少なからず驚いた。
「全然関係ない私が行ってもいいんですの?」
と聞くと、
「女性同伴はめずらしくないからね。私と知り合いというだけで、資格は十分だよ」
とセルダン伯爵は言っていたけれど。ついでに、その女性が私でも構わないのか、と尋ねてみたら、ニヤリと笑っただけで答えはなかった。……ちょっとむかつく。
「うわぁ……すごい」
セルダン伯爵の馬車に乗って、たどり着いたベックフォード侯爵邸。大きくてキラキラと華やかな、文句のないお屋敷だ。うちは人も少なく静かだから、この雰囲気には圧倒されてしまう。
門をくぐった所でたむろしている馬車の数にも、また驚く私。思っていたよりずっとたくさんの馬車が止まっていて、降りて談笑している人たちのほとんどが位の高そうな貴族たちだ。
「人が、多いわ」
思わず呟くと、セルダン伯爵はこともなげにさらりとこう答えた。
「まだまだ増えるよ。ベックフォード侯爵は交友関係の広い人だからね」
「……内輪向けの舞台鑑賞じゃなかったんですの?」
「そう、これでも内輪向けだよ」
―――はぁ……。信じられない。てっきり全部で十人に満たないくらいだと思っていたのに。ざっとみて、二十人近くはいるみたいだ。
私がこっそりため息をついて馬車を降りると、少し離れた所に立っていた男の人が片手を挙げてこちらに近づいてきた。年頃は、セルダン伯爵とそう変わらないようだ。しかしそれでいて、自信に溢れどこか威厳ある人物だった。
「キース!久しぶりだな。元気そうじゃないか」
その人はセルダン伯爵を愛称で呼んで、親しげに話しかけた。
「ああ、お前こそ」
どうやらセルダン伯爵とは相当仲がいいようだ。
「フィーリア、この人がベックフォード侯爵。今回のホストだよ」
えっ?こんなに若い人が?
「はっ、はじめまして。フィーリア=アーヴィングと申します」
「君がフィーリア嬢か。はじめまして。今日はゆっくりとくつろいでいってくれ」
もっと歳のいった人だと思いこんでいたから、驚きのあまり声が上ずってしまった。そんな私をさらりと交わして笑顔で対応する様子は、セルダン伯爵と似ていなくもない。類は友を呼ぶ、というところだろうか。
「キース、フィーリア嬢、すまないがちょっと失礼するよ。またあとでゆっくり話そう」
「案内もないのか?」
笑いながらセルダン伯爵は皮肉を言った。対するベックフォード侯爵は、むっとする様子もなく、
「すぐに案内の者が来るさ。あいにく私は君の案内係じゃないんでね」
と笑顔で返す。そしてそのまま去っていった。
……仲がいいのは、分かったけれど。……でも。
私はまじまじとセルダン伯爵を見た。
「なに?」
「いや、だって……。いくら仲がいいとはいえ、相手は侯爵なのに。あんな砕けた言葉遣い……」
伯爵と侯爵の位は、一つしか違わない。しかしその一つの差が大きいのだ。
「そうはいっても、あいつもこの間まで伯爵位だったし。私も、やがては侯爵だからね」
「えっっ?」
「……どっちに驚いてるんだ?」
「あああなたが、ここ侯爵って……」
「まさか知らなかったのか?――我がセルダン家は代々侯爵の家系だよ。今は、父が侯爵の位を継いでいるから、私は伯爵しか名乗れないけど」
そ、そうだったんだ……。そういえば爵位継承のことを何にも考えていなかった。もしかして私はとんでもない高貴な人間に喧嘩をふっかけているのでは……。
……たとえ伯爵どまりでも、私には雲の上の人間だということは、忘れておこう。
「セルダン伯爵!」
「お久しぶりです!」
私が衝撃(?)の事実に驚いていると、先ほどから遠巻きにこちらを見ていた人たちの何人かが、駆けるようにして近づいてきた。
「ああ、君たちも来ていたのか。意外だな、芝居に興味があるとは」
「私は芝居、好きですよ」
「実を言うと私は少々疎いんですがね。しかしせっかくベックフォード侯爵にお招きいただいたんですし、付け焼刃ながら勉強してまいりました」
「そうか。これをきっかけに興味を持てるような、いい舞台だといいね」
「ええ!」
わいわいと、話が盛り上がっている。……どうやらセルダン伯爵は、同性にもけっこう慕われているらしい。なんとなく、彼のような男は同性に嫌われると思っていたけれど。
「ところで、こちらの方は?」
不意に、みなの視線が私に集まった。隠そうともせず、怪訝(けげん)な表情をしている。セルダン伯爵が連れている女にしてはレベルが低すぎるとでも思っているのだろう。
「フィーリア=アーヴィングと申します」
「へえ!じゃああなたがあのエレナ=アーヴィング殿のご息女!」
エレナとは、私の母のことだ。
「これはこれは、はじめまして。まさかこんな所でお目にかかるとは思わなかったな」
「ローディスクに興味がありますもので」
「そうか、それでセルダン伯爵がご一緒なんですね。さっそくご息女思いの父君になってらっしゃるわけだ」
ははは、と笑いが起こった。
でも私は全然面白くない。とはいえ、そんなこといっていても仕方がないから愛想笑いは浮かべておく。
「あなたも鼻が高いでしょうね。美しい母君に加えて、このように若く立派な父君ができたんだ」
冗談じゃない。泣きっ面にハチもいいところだ。
それにしても、嫌な人たち。私にはちゃんとわかっているんだから。大方、「でもあなたはそんな美男美女の夫婦の子供としてはふさわしくない娘だけど」というセリフが後に続いていたんでしょう?
「私、案内の方が来るまで馬車に戻っていますわ。セルダン伯爵も、久しぶりに会われた方々とは積もるお話もありますでしょうし」
「フィーリア」
セルダン伯爵がたしなめたが、私は軽く会釈をして馬車の中に戻ってしまった。
それから案内係に連れられて屋敷の中に入るまでの15分間、私は貝となったのだった。
「……はあ」
またしても大きなため息が、一つ。
今はお屋敷の化粧室の中だ。
申し分のない舞台が終わって、一段落着いたのでここへ避難しに来たのである。
……さすが侯爵が呼んだ劇団だけあって、舞台のレベルはとても高かった。わざわざ赤の他人の家へ押しかけて見るだけの価値は十分にある。本当に来てよかったと、心から思える。……はずだったんだけれど。
セルダン伯爵の隣にいるということがどれだけ大変なことかを思い知った一日でもあった。芝居の間ですら、人々の視線は私の方を追っていたりするのだ。男の人は「どうしてセルダン伯爵ともあろう人があんな娘を連れているのだろう」とか「あれがあのエレナ=アーヴィングの娘らしいぞ」などといった好奇の目で私を見る。女の人は女の人で、「なんであんなのがあのセルダン伯爵にエスコートされてるのよ!」という敵意に満ちた目線を送って――いや、ガンをとばしてくる。そういった視線を感じずにすんだのは、感動のクライマックスの間くらいだ。
そして幕が降り、しばらく皆で談笑したあと、セルダン伯爵は私に同年代の女の子一人を紹介し、自分はベックフォード侯爵と消えてしまった。どうやらベックフォード侯爵の部屋で談笑でもしているらしい。
しかしこの女の子というのが、私に敵意むき出しの一人だったのだから、こちらは談笑できるはずもなかった。それですっかり疲れてしまって、こうして化粧室に避難してきたのだが、いつまでも篭城しているわけにもいかない。ベックフォード侯爵たちもさすがにそろそろ戻ってくるだろうし、そうすれば今日はもうお開きになりそうだ。だから、もうほんの少し辛抱しよう。
――そう言い聞かせて化粧室を出ることは出たのだが、一人でホールに戻って、みなの視線にさらされるのだけは本当に勘弁してほしい。
(となると)
セルダン伯爵の所へ行くしかない。せっかく侯爵と二人水入らずで話しているところに割り込むのは気が進まないが、連れてきた女の子をいつまでも放っておく男が悪いのだ。
そうと決まって廊下を戻っていると、どこかから声がしてきた。どうやら休憩室があるらしく、そこで数人が談笑しているようだった。
「……だよな」
「そうそう!かわいそうに、生まれてくるときに母親からいいところを一つももらえなかったらしい」
……ぴくり。
身に覚えのある単語が耳に入って、私は思わず足を止めた。
「今十六だっけ?その割には色気ゼロだよな。セルダン伯爵がエスコートしてても、マジに娘みたいに見えるぜ」
「ほんとだよ!どう見たって恋人ではないもんな」
「それにしても珍しいもん見たよ。なかなかパーティーとかに顔出さないじゃん?そこいらの美女よりずっと“ご対面”する価値があるぜ、――違う意味で!」
「ああ。もうそろそろ修道院とか入りそうだもんなぁ?」
「はっははは、そうそう、そんなかんじ!」
……絶対に、私のことだ。
私はぐっとこぶしを握りしめた。こんなふうに悪く言われることは、別に珍しくもない。母とはよく比べられて、こんなふうに心無いことをしょっちゅう言われてきたんだ。最近は公の場にあまり出なくなったから、久しぶりではあるけれど……。
そりゃあ、五、六歳の頃までは、かわいいかわいいとみんなにかわいがってもらえた。でも子供から大人の女性へと変わりゆく年頃に近づくと、「本当にあの母親のお腹から生まれたのか」とけなされることが多くなってきたのだ。はじめは自分の部屋で一晩中泣いたこともあったけど、今ではもう慣れてしまった……。
――イヤだな。なんだかいろんなことを思い出してしまう。
私は無言でその場を立ち去った。
たどり着いたベックフォード侯爵の部屋のドアは、他のものと違ってとても立派だったので、すぐにそれと分かった。人払いをしているのか、まわりには控えのメイドもいやしない。前にセルダン伯爵が「いろいろと他人に世話を焼かれるのは好きじゃない」というようなことを言っていたが、友人であるベックフォード侯爵もそういう人なのだろうか。
ドアは少し開いていた。柔らかい照明の灯かりが、そのドアから洩れている。
……ここまで来たものの、やっぱり厚かましすぎるだろうか。そんな考えが頭に浮かんで、なかなかノックが出来ずにいた。
「それにしても、最近は女遊びが前ほど激しくなくなったみたいだな。そんなに入れこんでいるのか?エレナ=アーヴィングに」
「どうかな?」
「……それとも、フィーリア=アーヴィングのほうなのか?」
「……そうかもね」
うっ。なんだか入りづらい話題になってしまったようだ。いけないことと思いつつも、私はその場から動けずに立ちすくんでしまった。
「はは、よく言うなキース。お前はすぐそうやって人を煙にまこうとする。でも俺には分かるぞ。『そんなわけないだろう、冗談じゃない』。……こんなところだろう、翻訳すれば」
「よく分かってるじゃないか」
「ただからかって遊んでいるだけか」
「その通り。……でも、あの子をからかうのは実に面白いよ。そういう意味では、今一番“入れこんでいる”といえなくもない」
「でもすぐ飽きるんだろう?」
「だろうな。いつフィーリアを訪れても、同じような格好をして同じようなことをしてる。ティータイム以外の時間は何をしているのか、見当もつかないよ」
「今日の舞台も人一倍熱心に見ていたからな。大方戯曲でも読みあさってるんじゃないのか」
「まあ、そんなところだろうな」
「どちらにしろ貴族の娘らしくない。態度もいたって普通だ。どこが面白いんだ?」
「あの子は、自分が興味のない人間に対しては無難で平凡な受け答えしかしないよ。私に勝るとも劣らない浮名を流す君も、彼女には十把一絡げの中の一人でしかないみたいだな」
「おい、笑うなよ。なんだか私がフラれたみたいだ。そういうお前には、それなりの態度をとるっていうのか?」
「もちろん。私は大いに嫌われているからね。私が何か言えば、どうにかへこまそうといろんな反応を返してくれるよ」
「そんな反応を見て楽しんでるというわけか。その子もかわいそうに、こんな男に目をつけられて。……だがそれももうしばらくの辛抱だろう。どうせ、オモチャとしての魅力しかないんだろ?」
「ああ。――女としての魅力は、全くない」
ダッ
私は知らず、その場から駆け出していた。別に、セルダン伯爵に女として見てもらいたいなんてこれっぽっちも思っていない。これは、本当。だって私は彼が大嫌いだ。……でも、今のやりとりにすごくショックを受けたのも、本当だ。さっきの男達の単刀直入な悪口なんかよりも、ずっと。
セルダン伯爵は、女たらしだし私には嫌味だし大嫌いな男だけど、一人をターゲットにして陰でワインのあてにするような人ではないと思っていた。……思っていたのに……。
私は廊下の突き当たりにあった扉を開けて、バルコニーに出た。涼しい風が頬をくすぐる。夜空を見上げると、満天の星が美しかった。いつも変わらないまなざしで私のことを見守り続けてくれたのは、この広い空だけだ。こんなにも、遠く、遠い、遥か彼方の空だけ。でもお願い、それでもいい、だからどうかこの果てしない大空だけは、私にとって永遠に美しいものでありますよう。いつかこの空さえも無情なものに思われたなら、きっと私はもう耐えられないから。