07.
その翌日、ティータイムにやってきたのはセルダン伯爵ではなかった。彼の使者が一人、軽く会釈をしてぎこちなく部屋に入ってくる。
彼が言うには、
「主人はこれからしばらくの間、来られないと」
なんとも申し訳なさそうな顔。そんな顔しなくても、別に私は残念でも何でもないんですけど。まるで私の毎日の喜びは、セルダン伯爵の訪問であったのだろうとでも思い込んでいる様子だ。
「そう。……理由を、伺ってもよろしいのかしら?」
「さる公爵のご令嬢に、ダンスを指導することになりまして……」
「セルダン伯爵が?」
思わず眉を寄せてしまう。
「はい。近々、国王御自ら主催なさる舞踏会がありまして、公爵のご令嬢は、そちらに出席されることになっており、主人にご指導を、依頼なさったと……」
しどろもどろの弁解が続く。なんだかこちらが悪いことをしているような気分になるではないか。
「あの、別に私はなんとも思っていませんから、そんなに後ろめたく思わないでください。ただ少し、驚いただけですわ」
「は、はい……」
同情心でいっぱいだった瞳を、軽く伏せる使者。
……これはつまり、新しい火種に火がついた、と考えていいのだろうか。――つまり、新たな女性との出会いで、セルダン伯爵の関心はそちらに移ったと。私にはもう用はなく、ここを訪れることはもうない……。だからそれを知らせる役目をおったこの使者は、こんなにも縮こまっている。
そういうことだろう。
「わざわざお知らせくださってありがとう。事情はよく分かりましたから、私のことはどうぞ気にせずにとセルダン伯爵に伝えてください」
使者は深々と一礼すると、慌てたように部屋を後にした。
(……ふう)
ぼす、と私はソファーに体を預けた。……もう、セルダン伯爵は、来ない。
突然の決別の言葉。
……なんだか、肩の荷が一気に取り払われた気分だわ……。――でも、言葉をかえれば、なんだか胸にぽっかりと穴が開いたような気分と言えるのではないだろうか……?
―――いやいやいや。
私は首をブルブルと横に振った。
やっと変な来客がなくなって、今までのたのし〜いティータイムが戻ってくることになったのだから。すがすがしい気持ちでいっぱいのはずだ。
……でも、すがすがしいとは程遠いところにいる自分が、ここに。
―――いやいやいや。
私は首をブルブルと以下略。
そんなふうにしばらく一人で怪しい行動をとっていると、いきなり乱暴にドアがノックされた。……いったい誰だというのだ、――セルダン伯爵はもう来ないんだから。
「失礼しますわ」
意外も意外なことに、乱暴にドアを開けて入ってきたのは、ステラ=エリソン嬢だった。召使が続かないところを見ると、どうやら振り切って単身乗り込んできたらしい。繊細で可憐な彼女の顔には赤みが差し、興奮した……というより憤慨した様子で、いきなり私に詰め寄る。
「本当に、今日はキースレイ様いらしてないのね」
「いきなりなんですの?」
「お聞きにならなかった?キースレイ様が、今度はドラモンド公爵家の一人娘に目をつけてらっしゃるという話!」
一応敬語ではあるが、なかなかあけすけな物の言いようである。
「目を……、というか、公爵家のほうからダンスの指導の依頼があったと聞きましたけど」
「そうですわよ、公爵家の娘の方がキースレイ様と近づきたいと思って、そのような話を持ち出したのですわ。それを受けたということは、……そういうことですわよ」
うっ、とむせいで言葉につまり、ステラはうつむいた。
あんまり騒がれて、召使たちがいぶかしんでここに来ると面倒だ。私は部屋のドアを閉め、とりあえずステラに席をすすめた。
うながされるままに席についた彼女は、しばらく黙って気持ちを落ち着かせていたけれど、不意にこちらをぎらりと睨む。……美女がすごむと迫力があるものだが、彼女の場合可憐でかわいらしいという類の美女だったので、あまり怖くはない。
「……どうして、もっとちゃんとキースレイ様をひきつけておかないのよ!」
「はあ?」
ついこの間、セルダン伯爵が私ばかりをかまっていると怒っていたくせに、一体どういう発想の転換だ。
「あなた程度の人なら、敵でもないと思っていたのに。公爵家の娘が相手じゃ、敵わないかもしれない……」
うるうると、瞬く間に涙が浮かび上がる。――どうしてここまであんな男を想うことができるのか、私には一生理解できそうにもない。
「そんなにキレイな方なの?ドラモンド公爵家のご令嬢は」
私は社交界とはほぼ無縁の生活を送っているので、公爵レベルの娘とはいえ顔を知らないのだ。
「普通よ。でも、ただ美人なだけなら、キースレイ様も遊びで付き合っていると思えるけど。公爵の娘よ?公爵よ?王族に継ぐ高位なのよ。今度こそ、キースレイ様は結婚を考えているのかもしれないわ」
「まあ、落ち着いてちょうだい。セルダン伯爵だって、十分立派な家系の方じゃない。財産目当てで結婚する必要なんてないはずよ?」
「分からないわ。確かにお金は必要ないかもしれない。でも、ドラモンド公爵家を吸収すれば巨大な権力も手に入るわ。王政に口を出せるほどの」
そう言われてみると、そういう野心のない男だとは言い切れない。
私の沈黙で、ますます自分の考えに確信を持ったのか、ステラはわぁっとテーブルに突っ伏した。……ああもう、私にどうしろというのだ。
「仮にそうだとして、それが許せないのなら、セルダン伯爵に会いに行って、直接話し合えばいいじゃないの。私のところへ来たって、何も変わらないわよ」
「あなたは平気なの?セルダン伯爵、きっともうあなたのところへは来ないわよ?」
「だって、私たち別に特別な付き合いがあったわけじゃないし」
「嘘よ。じゃあなんで毎日毎日逢っていたのよ」
「……なんて言えばいいのかしら。……まぁ、賭けをしていた、ってところかしらね」
「賭け?」
「詳しく話すのもばからしいから言わないけど、とにかく、好いたとか好かれたとかは全然関係ないの」
賭けの内容を考えると、全然関係ないとは言い切れないかもしれないが。
コンコン
またしてもノック。――最近、変な来客が多すぎる。
「お嬢様、お手紙でございますが」
「どなたから?」
「ベックフォード侯爵からでございます」
またあの人か……。私の大好きなローディスクの全集をくれたりと、いい人であるような気もするが、セルダン伯爵と同類の彼は、やっぱり苦手だ。
「……あなた、ベックフォード侯爵まで」
「彼もそういうんじゃないの!」
じとりとしたステラの視線を振り払うように、私は立ち上がってドアを開いた。召使から手紙を受け取って、その場で封を切る。本当はステラが帰った後に開けるべきなのだろうが、この手紙が話題を変える種になってくれるかもしれないと思ったのだ。……これ以上、セルダン伯爵がらみで彼女の相手をするのは疲れる。
「……あら、お茶のお誘いだわ」
なんでも、面白い絵を手に入れたから、見に来ないかということだった。
「やっぱり」
「だから、違うってば。私もベックフォード侯爵も、芸術に深い興味を持っていて、そういう点では気が合うの。だから、今回も絵を鑑賞しようというお誘いですわ」
「そういうのをデートのお誘いというんじゃないの」
「誓ってそういうのではないの。……考えてみれば分かるでしょ?彼ほどの人が、私を相手にするはずがないじゃない」
ベックフォード侯爵も、セルダン伯爵と並ぶほどに浮名を流している人物だと聞いた。実際、若いながらに自信のある、威厳に満ちた雰囲気が、彼の端正な顔立ちに精悍さまでを加えている。……まあつまり、かっこよくてモテモテだろうということだ。
「……」
まだ赤い目をしたステラが、無言でじっとこちらを見つめていた。
「なに?」
「意外だわ。そんなふうに自分を見下した言い方をするなんて。この間会ったときは、もっと自信たっぷりでイヤ〜な感じの人だと思ったのに」
「……それは、売り言葉に買い言葉というか。あなたがけんか腰で話しかけてきたから」
「本性は、自信のない根暗女というわけね」
「なっ……」
嫌味な傲慢女よりはマシだと思うけど!と、喉まで出かかったセリフをなんとか押し込める。ステラの泣きはらした瞳を見ていると、なんだか傷ついた白ウサギを見ているようで、とてもなじる気にはなれなかったのである。……やっぱり美人って、絶対絶対得だ。
「いつまでもそんなのじゃ、恋なんてできないわよ。……見目なんて、問題にならないときがあるの。今だって、そんなふうに自分を卑下する気持ちを捨ててベックフォード侯爵に接すれば、愛してもらえるかもしれないのに」
「まさか」
私はせせら笑った。別に愛してもらいたくもないし。
「見た目がどんなに良くたって、それだけで本当の愛は手に入れられない……」
ぽつり、と呟いた彼女は、どこか遠いところを見つめていた。……美女は美女なりに、思うところがあるのかもしれない。
「やっぱり、諦めたりしないわ。キースレイ様のこと……。会いに、行くわ!」
すっくと立ち上がり、彼女はこぶしを握り締めた。その瞳は、今はメラメラと燃えている。
一体何しにここへ来たのだか私にはさっぱりわからないが、 これ以上つっこむのも面倒なので放っておいた。――私は、どうしようか。せっかくだからベックフォード侯爵のところへでも遊びに行こうか。
私は召使を呼んで、一週間後に伺いたいという旨を伝えるよう頼んだ。……でもこれって、セルダン伯爵の穴埋めをしようとしていることになるのだろうか?セルダン伯爵が、いつものようにここへ来ていたとしたら……この誘いを受けていたであろうか。
「複雑な表情ね」
ずいぶん元気になったステラが、ちくりと一言、刺すように言った。
「あなたもキースレイ様のところへ行って、私はどうなるのとすがってみない?」
「やめとくわ」
もう、これで決着はついたんだから。私を落とす前にセルダン伯爵の方がここへ来なくなったということは、私の勝ちよ。思ったよりも早く終わったけど……それこそ万々歳ではないか。
めでたしめでたし。
これで、おしまい。