09.

 エルバートお兄様が帰って来る。
 あれだけ喜んでおきながらしばらくは半信半疑だった私だけれど、その数日後に実際にエルバートからその旨をしたためた手紙が届いたのだから、これはもう手放しで喜んでいいだろう。
「ああ、嬉しい!どうしよう!嬉しい!」
 相変わらずセルダン伯爵は来ないけれど、来たってまともに相手をできる自信はなかったので全然かまわない。どうせ、セルダン伯爵がいても頭の中はエルバートでいっぱいだっただろうから。
 だが伯爵が音沙汰無しの一方で、ベックフォード侯爵はいやに私にかまってくる。今日もこれから、ベックフォード侯爵と一緒に新しいドレスを買いに行くことになっているのだ。「男性の心をがっちり掴む最高のドレスを見立ててあげよう」なーんて言っているけど、どうやら私は暇つぶしにちょうどいいおもちゃのようだ。
 まあ、それもどうでもいい。なんといっても、エルバートが帰って来るんだから。

 まもなくベックフォード侯爵の馬車がやってきた。
 侯爵と出かけるのは別に嬉しくないけれど、エルバートに会うためのドレスを買いに行くんだと思うと自然と顔がほころんでしまう。
「ずいぶん楽しそうだな。そんなに私と出かけるのが嬉しいのか?」
「はいはい、なんでも結構ですわ。早く行きましょう!」
「……まったく、いい態度だ」
 肩をすくめたが別に気を悪くしたわけではないようだ。こんなことで怒るような人でないことは、短い付き合いながらもう分かっている。
「今日は、どんなドレスを見立ててくださるんですの?」
「エルバートが好みそうなドレスはといえば、やはり清楚な感じのドレスだろうな。あいつは派手なのを好まない」
 そうそう。そうに決まってる。彼自身、とっても慎ましやかな人だもの。
「君がよく着ている薄い水色なんてのは確かに好きそうだが、いつもと同じでは意味が無い。今日は薄いピンクのドレスにしよう。それで小物はシンプルだが品のいいものを揃えて…」
 ……ちょっとちょっとちょっと。
「わ、私、ピンクなんて似合いませんわ」
 そういうのはステラにならぴったりだろうけど。はっきり言って私はあんまり、そういうかわいらしい感じは似合わない。だからいつも寒色系のドレスや小物を身にまとっているのだ。一応、自分自身のことは自分で分かっているつもりである。
「似合うさ。フィーリアは何でも似合うタイプの娘だと思うぞ。こう、派手に主張する部分がないからな。色んなものに適応できる顔だ」
 ……それって何のとりえもない地味な顔ってことじゃなかろうか。
 微妙な顔をしていると、ベックフォード侯爵は豪快に笑い飛ばした。
「褒めているんだ、そんな顔をするな。――さあ、着いたぞ」
 馬車が止まった先は、立派な貴族の邸宅ともいえる建物だった。……もしかしなくとも、ここは、超一流貴族ご用達の超高級服飾店ではなかろうか。そう、特に、皇室の方々の衣装を扱っているとかいう。
「こ、ここ、ですか?」
「ああ」
「ここは……ちょっと……」
「なんだ?」
「……予算が……」
 恥ずかしいが、言うしかない。予算が足りません。そりゃ侯爵とお買い物っていうからにはそれなりには覚悟してましたが…この店は無理です。
 しかし、かすれた声で「予算が」と口にしただけで、ベックフォード侯爵は「まったく……」と首を振り、私を制した。
「一体何を気にしているんだ。まさか一緒に買い物に来て、君に払わせるとでも思っているのか、フィーリア?余計な心配はしなくていい」
「えっ?だ、だめですそんなの。私自分で払います」
「もちろん私が払う」
「だめですってば。払ってもらう義理はありませんし!」
 ベックフォード侯爵は珍しく渋面を作った。
「義理ってお前な……。色気も何もないことを言うんじゃない。フィーリアは女で、私は男だ。それだけで十分じゃないか」
 そういうものだろう?と、侯爵はごく当たり前のように言う。――しかし、色気とか何とかいっても、今日買おうというドレスはエルバートと会うときのためのものだ。他の男のためのドレスを買ってやる男なんて、そもそも変じゃないか。
「絶対だめです」
「本気で払うつもりで、来たのか」
 もちろん、と、私は厳粛な面持ちで頷いた。――本気に決まっている!
「私に恥をかかせる気か?」
「だって」
「だってじゃない」
「でも」
「でもじゃない」
「あのう」
「あのうじゃな……ん?」
 突然私たちの背後から別な声がかかった。振り向くと、一人の老紳士が遠慮がちに立っているのが目に入る。……しまった、店の前で喧嘩なんかして!よく見れば老紳士のほかにも数人の店員らしき人たちがいるではないか。聞いていませんというようにきっちりと入り口に立っているが、聞いていたのは火を見るよりも明らか。……最悪だ。
「いらっしゃいませ」
 だがしかし、老紳士はまったく何事もなかったかのように礼儀正しくお辞儀をした。
「お久しぶりですな、ベックフォード侯爵」
「そうだな、半年振りくらいか」
「ええ。女の方を連れていらっしゃったのは、二年ぶりでございますが」
「さっそくの毒舌とは手厳しい」
 おそらくこの老紳士は、店の支配人か何かだろう。このクラスの店の重役ともなると、侯爵相手にこの言いようが許されてしまうのか。……私の日ごろの言いようはどうなんだという疑問は置いておくとして。
「ですがお嬢様、ご安心ください。ベックフォード侯爵がこちらへ連れていらっしゃるのは、大切な女性(かた)だけでございますれば」
「は、はあ」
「そうだぞフィーリア」
 まったくよく言うものだ。私はネタとして連れてきているくせに。
「それで、本日はどのように」
「ああ、清楚な感じのする、薄いピンクのドレスがいいかと思っているんだが」
「なるほど、お嬢様にはぴったりでございますな」
「普段が見ての通り子供っぽいからな、今回はあまりふわふわとしすぎずにスレンダーな形で」
 むっ。
「そのように」
「あと、ドレスに合いそうな小物も数点見せてくれ」
「かしこまりました」
 老紳士は一礼して下がったかと思うと、すぐに布を手にして戻ってきた。
「こちらの布はいかがでしょう」
 きれいな薄づきのピンク色。触らずとも見ただけでその柔らかさが分かるような、素晴らしい布だ。思わず見とれていると、ささっと脇から店員たちがやってきて、その布を私に巻きつけ始めた。
 巧みに布を私に当て、大鏡にその姿を写す。……まるでもうドレスをまとっているかのように見える。
「うん、いいな」
 その様子を見て侯爵は満足げにうなずいた。……確かに布はこの上なくすばらしいが、それが私に似合っているかとなると……やっぱり違う気がする。
 しかしあまりにスムーズに話が進んでいくので、私は口を挟む暇さえなかった。そうこうしているうちに髪飾りやらネックレスまでが選ばれていく。
「どっ、ドレスだけで十分ですっ」
「靴はどうしようか。赤にするか、それとも…」
「足元の派手色は全体的に派手に見られる要因になります。清楚さを求めておられるならば、白がよろしいかと」
「赤も白もいりません!」
「そうだな、それじゃあ白でいこう。華奢な作りのピンヒールなんかがいい。そういうのをちょっと見てきてくれ」
「かしこまりました」
 一応口を挟んでみたが、やっぱりダメだ。ドレスを着る当の本人がこんなにも主張しているのに全て無視。すぐに用意された靴は、シンデレラのガラスの靴といい勝負になるであろう、華奢で美しいものだった。……これを私が履くって?
「侯爵、いいですか、私はただ従兄と会うだけですのよ。こんな、国王主催のダンスパーティーですら人目を引くような豪華な装備はおかしいです」
「大丈夫だ、ドレスのデザインは大人しめにしてもらうからな。十分普段使いができるぞ」
「私にはできませんわ!どの晴れ着よりも高価になりそうですもの」
「きっとエルバートは喜ぶぞ。かわいい妹だった娘が、久しぶりに会って立派なレディになっていたら」
 うっ。――ちょっと素敵なフレーズだ。でも。
「……ドレスだけで、私は変われませんわ。逆に浮いてしまうに決まってる」
「ドレスだけで十分女性は変われるさ」
「人によります!」
「まったく、どうして口だけはこんなに達者に育ったものかな」
 私を説得することを諦めたのか、ベックフォード侯爵は再び無視の姿勢をとり始めた。老紳士とああでもないこうでもないとドレスのデザインについて話し合っている。
「……ちょっと風に当たってきます」
 どうあがいても埒が明かないようなので、私も諦めてその場を離れた。もう好きにしてくれ。ベックフォード侯爵が払ってくれるっていうなら、なんでも好きなもの買ってください、ええ。

 かたん。
 バルコニーに出ると、一瞬風が私の身体にまとわりついた。しかしそれもその一瞬で、あとは穏やかで暖かい日差しが私を迎えてくれる。もう秋も中ごろだが、日中はまだまだ暖かい。
「うわぁ……」
 バルコニーから見える景色は、一面立派な庭園だった。そういえば話で聞いたことがあったが、ここの庭園は広くとても美しいので有名で、この店をご用達の貴族ならばいつでも気軽に遊びに来てもいいらしい。とはいえ、こんな高級店をご用達の貴族はさすがにあまりいないから、人気(ひとけ)はないといってよかった。
(なんだか変な感じ、私がこんなところにいるなんて……)
 苦笑交じりに、私は柵にもたれかかった。
 ぐるりと庭園を眺めていると――人が、いる。ああやっぱりいるものなんだなぁ、などと思いながら、庭園を散策している二人の男女を目で追っていた――ん?
 あれ?あの二人って?
 ――ステラと、セルダン伯爵!
 私は本の虫だが視力はいい。遠目ながらも、あの二人の顔が見えないでもなかった。間違いない。ステラとセルダン伯爵だ。
(……こんなところで、二人で、なにやってるんだろう?)
 セルダン伯爵は公爵の娘にダンスを教えるので忙しいんじゃなかっただろうか。それに、ステラは「伯爵が全然逢ってくれない」と泣いていたんじゃなかったか。
 ―――むかむかむか。
 もうヨリが戻ったということだろうか。男女の仲ってそんなもんなのか。(恋愛感情ではないけれど)四年間もエルバートを恋しがっていた私のほうがおかしいのだろうか?
 仲睦まじく歩く姿は、やはり絵になっている。それにどう見たって恋人同士だ。
(ステラ……本当にセルダン伯爵のところに乗り込んだのかな。それで、想いが報われたっていうことなのかしら)
 遠すぎて二人の表情ははっきりと見えない。でも、セルダン伯爵がとても柔らかな物腰でステラに接しているということは、雰囲気から見て取れる。ステラもステラで、可憐な美少女にしか見えない振る舞いだ。
(あれが正しい男女の交際の仕方だとするなら、私には無理だわ)
 お似合いすぎるカップルが、これまたぴったりの美しい庭園で優雅に散歩するさまを見ていたって、楽しくない。私はすぐに部屋へ戻ってしまった。