12.

「セッ……セルダン伯爵?」
「……フィーリア?」
 あっけにとられ、辛うじてその名前だけが口を突いて出た。だが向こうも私と同じくらいにぽかんとした表情をしている。よほど驚いたのだろうか。ぽかんとしていてもやっぱり様になる、なんてことが頭に浮かんだ私は、どうやら現実逃避に走っているらしい。
「どどどうしてここに……」
「私が、お誘いしたんですのよ」
 朗らかに微笑みながら、セルダン伯爵の隣に立っていたステラが一歩前に歩み出た。
「ええ?でも……」
 ベックフォード侯爵は、貸切にしてくれたと言っていたのに。
「入り口で門番に止められましたけど、無理に入れてもらって……。もしかしてご迷惑でしたか」
 ひどくすまなそうにステラは言った。……今日も絶好調らしい外面(そとづら)モード。
「そ、そんなことは……」
 ある。大いにある。よりによってセルダン伯爵を連れてくるなんて!でもまさか追い立てるわけにもいかない。――ああ、今日のこの格好、セルダン伯爵にだけは見られたくなかった。似合いもしないのに妙に気合入れたりして、どれだけ滑稽だと思われているだろう。想像するだけでいてもたってもいられなくなり、私はうつむいた。
「これはまた……驚いたな」
 感慨深げに、セルダン伯爵は口を開く。――お願い、何も言わないでよ。
「こんなところで君と会うとはね。昨日は少し具合が悪そうだったが、もう大丈夫なのかい?」
 すると予想外に、彼は私の格好についてはなにもふれず、実に当たり障りのない話題をふってきた。――こうして着飾った私を、褒めるでもなく、けなすでもなく。
「え……ええ。昨日はせっかくいらしてくださったのに、早々に追い返すようなことになってしまってごめんなさい」
 なんだか拍子抜けだ。
 てっきり何かしら言われるかと思ったのに。そりゃあ人前だし、さすがに女の子の服装をけなすようなことはしないかもしれないけれど。でも、「そのドレスどうしたの?」くらいは言ってくれてもいいんじゃ……。

 ――ん?んん?
 ち、ちょっと待って。なにそれ私、言ってることおかしいわよ?矛盾してるわよ?な、なんにも言われなかったんだから、それでいいじゃないの。それなのに私ってば……。
「それでフィーリア、隣の方は?」
「え、あ、こ、この人は……、わ、私の従兄なんです」
「エルバート・フランシスと言います。どうぞよろしく」
「キースレイ・セルダンです、はじめまして。彼女はステラ・エリソン」
「はじめまして、フランシス様」
 一人混乱しきった私をよそに、場は穏やかに流れていく。
「そういえば親類の方とお会いするのは初めてでした。フィーリアのお父上の血縁の方で?」
「ええ。四年ほど地方の大学へ通っておりまして、つい先日こちらに戻ってきたばかりなんです。田舎町でしたが、セルダン伯爵のお噂はお伺いしておりました」
「いやまいったな、あまりいい噂ではなさそうだ」
「――いえ、叔母のエレナとご婚約なさるというお話をお伺いして、驚いていた次第なのです。確か伯爵は二十四歳でいらっしゃいましたか。まさか私と同年代の方が、叔母の再婚相手となるとは――、と」
 ……前言撤回。全然穏やかじゃないかもしれない。お兄様!いきなり核心ですか!!
「……確かにあまり祝福される婚約にはならないでしょうね」
「申し訳ありません、伯爵を中傷しようというのではないのです。ただ、そのご本心をお聞きしたい。お二方が本気でしたらこのような質問は愚問なのでしょうが、……本当にご結婚なさるおつもりで?」
 うわああああ。なんてことだ。お兄様ってば、恐ろしいことに核心をグリグリつきまくっている。ここにはステラもいるのに!第一、単刀直入に聞いたところでご本心なんてモンさらけ出すワケないのよこの男が!
 先ほどまでとはまた違った混乱の渦に巻き込まれた私。だがしかし、その次に続いたセルダン伯爵のとんっでもないセリフのおかげ(というかせいというか)で、私の頭は一瞬にして白紙状態に戻ったのだった。

「――結婚、しませんよ」

「――はあっ!?」
 思い余ってすっとんきょうな声が口からもれてしまった。実際に声にまで出してしまったのは私だけだったけれど、隣のエルバートも向かいのステラも「はあっ?」の口をしたまま固まっている。……あまりにも衝撃の告白すぎる、今のは。
「今、なんて?」
 言質を取る、というわけでもないけれど、思わずもう一度聞き返さずにはいられなかった。
「だから、君の母親とは結婚しないと言ったんだよ」
 言っちゃった。ホントに言っちゃった。他人のいる前で、婚約サギ(?)を暴露しちゃった。
「ど、どういうことです」
 エルバートもあまりにあっけないセルダン伯爵の答えに、混乱したようだ。
 だが、一人セルダン伯爵だけは悠然と構え、落ち着いた声で質問に答える。
「私とエレナは本当に愛し合っているわけではないのだということに気がついたのですよ。彼女は――今でも亡くなったご主人を愛している。そのために、ご主人に向けていた愛情の行きどころを見失って、苦しんでいたのでしょうね。今の彼女は、ご主人に向けていた愛情を私に向けることで、偽りの癒しを得ているだけなのです。……私はそう、気がついてしまったのですよ」
「……」
 一同、沈黙。
 セルダン伯爵の本性を見知っている私ですら、彼のこの言葉が本心からのものなのではないかと錯覚を受けてしまうほど、彼は切ない顔をしていて。もちろん、本性を知らないステラや、そもそも彼と初対面のエルバートには、このセルダン伯爵の言動が作り物にすぎないなどと、夢にも思われやしなかっただろう。
 セルダン伯爵の独白はまだ続く。
「けれど私は私で、そうと気がついても、それ程のショックは受けなかった。ああそうだったのか、とむしろ心から納得できました。やっぱり、私が彼女に向けていたのも、本物の愛情ではなかったのです。同情、という言葉の方がより正しく私の感情を表現しているのでしょう」
「……そうと気付いても何故、まだ婚約を?」
 エルバートが心持ち優しい声で質問を投げかけた。素直なエルバートは、完全にセルダン伯爵の演技にだまされているのだ。
「エレナの方ではまだ純粋に、私を愛しているのだと信じ込んでいますからね。ですがその一方で、婚約の届けを出すことにためらう気持ちがあることにも気づいている。エレナは今、非常に不安定な状態なのですよ。……今、彼女を突き放すのは、彼女にとって残酷なことではないかと思います。もちろんいつまでもこうしているべきではないのでしょうが、今しばらくは彼女を支えてやりたいと思うのですよ。いずれ時を見計らって、婚約の話は取りやめようと思います。もちろん双方同意の上で」
 完璧だ。
 言い回しも、言ってる内容も、真摯な瞳も、厳粛な面持ちも。
 これが全て演技だなんて。とんでもない。やっぱりこの男はとんでもない男だ。私の手には余りまくる。
 私が一人顔を青くしているのにも気がつかず、エルバートは「そうですか……」などと感慨深げに頷くばかり。
 まってー!騙されないで!こいつはそんな優しい奴じゃないのよぉぉぉ!
 唯一の味方になってくれるはずだったエルバートまで、遠いところへ行かないで!
 ――でもだからって、言えるだろうか?こいつはホントのところ、あっさり母を落とせて拍子抜けだったから、男に不慣れな引きこもり娘もついでに落として遊んでみようとしてるだけなのよ、なんて。そのターゲットなる娘ってのが、私なのよ、助けてお兄様、――なんて。
 ……言えるわけがない。確かに私はかわいそうかもしれないけど、それと同じくらい滑稽(こっけい)でもあるじゃない。そんなこと、エルバートに。
 ……言えるわけがない、そもそも信じてもらえそうにない。こんな、馬鹿げた話。

 信じられないことに、結局その後、私たち四人は庭園のベンチに腰かけて談笑するはめになった。学者肌のエルバートは、知識の豊富で深遠なセルダン伯爵を、こともあろうか気に入ってしまったらしいのだ。 私はもう、あははと乾いた笑みを浮かべながら呆然とするしかなかった。
 私は……私は、完全に独りなのだわ。やっぱり自分の身は自分で守るほか、ないんだ。そう改めて実感してしまった、せつない初秋の昼下がり……。