85.

 翌朝、カーテン越しにも明るい陽射しを受けながら、ユーナはベッドの中でぱっちりと目を開いた。
 ――結局、昨晩はほとんど眠れなかった。
 そっと溜息を落としながら、カーテンを一気に引いて窓の外を覗き込む。すでに町は目覚めていて、道端で話し込む主婦たちの姿や、市場へ運ぶ野菜を荷台に積み込む男たちの姿が見えた。時折、彼らの陽気な笑い声がユーナの元まで飛んでくる。
 寝不足の頭にもかかわらず、ユーナの意識は雲ひとつない今朝の空のように冴えわたっていた。
(起きよう)
 ユーナは跳ねるようにしてベッドから飛び降りた。昨夜のように足音を気にする必要などない。むしろ今は元気な足音を響かせた方が、きっと両親も安心してくれることだろう。
「お母さん、おはよう」
「あらユーナ、おはよう。早いのね」
 階下に下りると、スープのいい香りがユーナを包み込んだ。朝食の準備に勤しんでいる母マデラが、その手を止めて笑顔で振り返る。
「うん、せっかく天気がいいし、寝てたらもったいないなと思って」
「ちょうどよかったわ。もうすぐ朝食ができるから、食器を並べるの手伝ってちょうだい」
「はぁい。お父さんは?」
「裏庭に、サラダ用のハーブを摘みに行ってもらってるわ」
「そっか」
 夜更けの会話などなかったかのように、全てがいつも通りの朝。マデラのいかにも母らしい心遣いに、ユーナは心の中で感謝の言葉を述べた。
「今日の予定は? ユーナ」
 食器棚から真っ白な皿を取り出しながら、ユーナは顔を向けずにそのまま答える。
「薬草摘みに行ってくる。昨日言ってた、ラモーネの葉と。あと、せっかくだから他にも良さそうなのがあれば一緒に」
「大丈夫なの?」
「もちろん大丈夫だよ。なんで? そんなに心配しないでってば」
「そうだけど……」
 マデラの心配の種は、ユーナの体力のことばかりではないのだろう。分かってはいたが、ユーナもあえて苦笑を浮かべ軽く流す。
「なにか他に買ってくるものがあれば言って。ついでにお店も回ってくるよ」
「そうねえ、考えておくわ」
「早めに決めちゃってね。なるべく早めに出るつもりだから」
 そんなやりとりの間に、父レンドも戻ってきた。三人で食卓を囲み、和やかな朝食の始まりだ。話題は、もっぱら町中で起こった他愛もない出来事についてだった。王宮での事件については、あえて誰も触れはしない。
「ごちそうさまでした」
 一番に食べ終えたユーナは、自分の食器を洗い終えた後、すぐに薬草の調合にとりかかった。以前からの常連客に、やけどに効く塗り薬を作るよう頼まれていたからだ。朝のこの時間は、いつも一仕事こなすことに決めていた。
 薬草と向き合っているその間は、他になにも考えずにいられる。
 王宮のこと、そこで出会った人々のこと、彼らの未来、そして――自分自身のこれからについて。
 たっぷりの薬草を、特製の植物油に浸して湯煎する。独特の匂いが立ち上り、それがユーナをますます集中させてくれた。丁寧な手つきでそれを濾(こ)して、蜜ろうを加えて再び湯煎。ゆっくりとかき混ぜながら、火を止める頃合いを見計らう。あら熱を取って、容器へ流し込み――あとは完全に冷めるのを待つだけだ。
(よし)
 ユーナは手際よく作業をこなし、同じくらい素早く道具を片づけてしまうと、そのまま出かける準備に入った。――大丈夫、気分はとても落ち着いている。
 事故に遭う前から愛用していた鞄に薬草採取の道具を放り込み、それを肩から掛ける。歩きやすい靴に履き替えて、身なりを確認。
「お父さん、お母さん、それじゃ行ってくるね」
「えっ、もう?」
 食後のお茶を飲んでいた両親が、揃って目を瞬かせる。
「うん、日差しが強くなる前に出たいし。帰りになにか買ってくるもの、ある?」
「いいえ、それは大丈夫だけど……」
「分かった。じゃあ、行ってきます!」
 あっけにとられたままの両親を背に、ユーナは家を飛び出した。

 こうして町の中を歩くのは、実に一年ぶりになるのか。
 ユーナは感動的な思いで、ゆっくり周囲を見渡しながら歩みを進めた。
 王都ほど整備のされていないでこぼこの舗装道、その両脇に佇む石造りの家々も、合間合間に顔を覗かせる伸び放題の草木も、全てが愛おしい。生まれてきてからずっと、ユーナと共にあったものばかりだ。
 少し歩けば、小さな町の中心まではすぐだった。
 目覚めてからの三週間、毎日窓から眺めていた町の穏やかな喧騒のただ中を、今自分は歩いている。それだけのことなのに、特別な喜びを感じずにはいられなかった。
「やあ、ユーナじゃないか!」
 八百屋の軒下から、立派なひげを蓄えた店主が顔をのぞかせた。
「もう具合はいいのかい?」
「あ、おはようございます。お陰様で、もうすっかり」
「そうか、それはよかったなぁ。今日は買い物でも?」
「いえ。ちょっと薬草を摘みに行こうかと思って」
「そうかそうか、それはいい!」
 彼は心底嬉しそうに何度も頷いた。その会話を聞きつけたらしい彼の妻も、店の奥から姿を現す。
「よかったわ、ユーナちゃんの元気そうな姿を見ることができて。ねえユーナちゃん、ぜひ帰りにもう一度寄ってちょうだいな。新鮮な野菜をたっぷり持たせてあげるからね」
「うわあ、楽しみ。ありがとうございます」
 にっこり笑い、手を振って店を通り過ぎる。その後も同じように声をかけてくれる知人は次から次へと現れた。それほど大きな町でもないから、今回のユーナの件を知っている者も多いと聞いている。
 何人もの顔見知りと言葉を交わしながら、ユーナはようやく町一番の大通りへ辿り着いた。
 一度、目の前の大通りをぐるりと見渡す。遠くから荷馬車が一台やって来て、ユーナの前を走り抜けていった。町で集荷した農作物を王宮へ納めに行くのだろう。この大通りには、そうした王宮行きの大型馬車がわずかながらも走っている。
 ユーナは、通りのずっと先に目を凝らしながら注意深く歩みを再開した。
(来るかな)
 恐らく、大丈夫なはずだ。ほとんど利用したことがないから、若干不安ではあるが――。
(あ、来た、かも)
 遠方から少しずつ近づいてくる新たな馬車。心臓が一つ、大きく跳ねる。
 ユーナは右手を挙げて、ぐるりと円を描くように何度か回した。それを合図と見た御者が、少しずつ速度を落としてユーナの方へ馬車を寄せてくれる。
 完全に馬車が止まったところで、ユーナは御者を見上げ声をかけた。
「あの、この馬車は王宮へ行きますか?」
「ああ、王宮前行きだよ。乗るのかい?」
「はい、乗ります!」
 朝、昼、夕方の三回、この町から出ている王宮前までの乗合馬車だ。記憶通りにやって来てくれたことに安堵しつつ、急いで馬車に乗り込んだ。こんなところを知り合いに見られでもしたら面倒だ。先客はほんの数名程度。だが、その中に知っている顔があって、ユーナは思わず頭を抱えそうになってしまった。
「あらまあ、ユーナちゃんじゃないの」
 この町で唯一の診療所を営む医者夫人だ。よく薬を納品していたため、お互い家族ぐるみで付き合いのある相手である。まさか王宮へ向かう馬車ではち合わせになろうとは。
「あ、こんにちは、おばさま。……お久しぶりです」
 気まずい思いを隠すようにほほ笑み、ユーナは彼女の向かいに腰を下ろした。そんなユーナの心の内に気づかない夫人は、さも感動したように相好を崩す。
「よかったわあ、もう外へ出られるくらい元気になったのねえ」
「はい、お陰様で」
「それにしても、ユーナちゃんが王宮へ?」
「あ、いえ、その。王都で少し買い物をしたいなと思って」
「そうなの」
 頷いてはくれたが、まだどこか不思議がっているような表情だ。このままではユーナの両親に今日のことを話してしまうかもしれない。
「……実は、両親に内緒で出てきてしまったんです。怪我で家から出れなかった間に、父が王都で流行っているお菓子の話をしてくれて。それを、どうしても食べてみたいなあって」
「まあ、そうなのね。ああ、分かったわ、ポロイアのお菓子でしょう。おばさんも前に食べてみたことがあるんだけど、癖になってしまう美味しさなのよ! 特にねえ、砂糖でできた薔薇を散りばめたカカズのケーキが最高なの。あまり甘すぎなくて……」
 彼女の興味をうまく突きすぎたのか、思いもよらぬ勢いで話が進んでいく。ユーナは相槌を打つ暇さえ与えられず、曖昧な笑みを浮かべたまま固まる他なかった。乗り合わせた他の乗客たちも、やや引いた様子でユーナたち二人を眺めている。結局、夫人のお薦め砂糖菓子話は、その後も王都へ入るまで延々と続く羽目になった。

「それじゃあユーナちゃん、帰りの馬車の時間には気をつけてね」
 王都のど真ん中、ポロイアの菓子屋前で馬車は止められた。本来、王都に入れば後は王宮前まで停まらないはずなのだが、夫人が気を利かせて御者に頼んでくれたのだ。ユーナとしては予定通りの王宮前で降りられれば一番よかったのだが、こうなっては仕方がない。
「はい、おばさま。色々どうもありがとうございました」
 礼を言って馬車を見送り、ユーナはやっと一息つく。
 振り返ると、小奇麗な店構えの菓子屋がそびえ立っていた。ユーナには少々敷居が高い。お洒落な店の扉から出入りしているのも、良家のお嬢様と見える若い娘たちや家族連ればかりだ。
(そういえば)
 ぼんやりと建物を見上げながら、ユーナは思う。
(ナシャと、美味しいお菓子の食べ比べしようって、約束したなあ)
 彼女が侍女になって間もない頃。まだユーナに対して怯えるナシャに、そんなことを言ったっけ。その約束は果たせないまま今日まで来てしまったけれど。
(ナシャ、私、ここにいるよ。王宮のすぐ近くの、美味しいって評判のお菓子屋さんの前に。……ねえ、今なら一緒に食べられるよ。色んなお菓子、お腹いっぱい、食べたいよね)
 そんなことを思うだけで、涙が滲みそうになる。
 この王都は、“シェリア”であった頃の空気そのものに包まれていて――とても、切なかった。ユーナがシェリアでなくなってから、もう一月。それとも、まだ一月?
 菓子屋から顔を逸らし、馬車の走り去った大通りを真っ直ぐ見据える。
 ここからでも伺うことのできる、王宮西門の佇まい。
 活気に満ちあふれ、そして人々の熱気にも満ちあふれた街だ。聖女が衝撃の告白をしたあとも、皆それぞれがたくましく生活している。彼らの暮らしはなんら変わっていないのだ。もちろん、ユーナがこの一年間懸命に紡いできた時間さえ、彼らの知るところではない。
(私って、ちっぽけな存在だな)
 最初から今まで、自分が大それた人物だと思ったことはないけれど。それでも、自分の無力ぶりが今ほど心細く感じることはない。
(シェリアだった時から、私はちっぽけだった。でも今は、それよりもっとちっぽけだ。……それなのに、私は今、王宮に乗り込もうとしている)
 ユーナは王宮へ向かって歩き出した。
 綺麗に整備された石畳の道はとても歩きやすい。均等間隔で植えられた街路樹を、何本も通り過ぎていく。服飾店、オルゴール店、本屋に、靴屋。ユーナの暮らす町ではなかなかお目にかかれないような店構えを横目にどんどん進む。気を抜けば通りすがりの人々と肩が触れてしまいそうなほど、大通りは混み合っていた。それも、かつての記憶通り。
(私なんかになにができるか分からないけど)
 でも、それでも。
(やっぱり納得できないよ。シェリアスティーナがこのまま一生神官塔から出てこないなんて。絶対、伝えなくちゃ。どうか考え直してって)
 本当は今すぐ踵を返して帰路へ着きたい。足が震えそうになってまで王宮へ向かっている自分は一体何者なのだろう。西門に辿り着いたところで、簡単に王宮内へ入れるわけがないと分かっている。でも、動かずにはいられなかった。最後の最後に、諦めたりはしたくなかった。
 やがてユーナは西門の手前にやって来た。
 息を飲んで目の前の壮麗な建物を見上げる。
 ――ああ、確かに、王宮だ。懐かしさと恐れを同時に感じずにはいられない。ユーナは一度身震いをすると、改めて門の方へ向き直った。
 門番は二人だった。ユーナの知っている顔ではない。例え知っていたとしても、相手はユーナのことなど赤の他人としか思わないであろうが。
(どうしよう)
 まずは門番に、なんと声をかければいい。
 シェリアスティーナまで話を通してもらおうとするなら、その前にユーナのことを知っている誰かを呼んでもらわねばならないだろう。ただの一平民であるユーナが呼び出せる知人といえば、ナシャがどうにかぎりぎりというところだろうか。
(ナシャが来てくれたら、私がシェリアだったってこと話して。……なんとか信じてもらって。そしたらライナスを呼んでもらおうかな。……そうなったら、やっぱりアシュートとも会わないとだめかな)
 会いたいという気持ちがないとは言わない。いいや、本音を言えば、目を覚ましてからずっと彼に会いたかった。けれど、今の自分がアシュートと向き合うところを想像することは難しかった。彼とは向き合えない。並べない。その資格が自分にはない。
(でも、今だけは)
 恥じている場合ではないのだ。ユーナである自分自身を。
 これが最後になっても構わない。彼と会うのも、シェリアスティーナと会うのも、これが最後で。
「――あのっ」
 ユーナは思い切って門番に声をかけた。どこか気だるげな様子の門番は、ちらとユーナを一瞥する。
「なに、騎士の誰かに手紙でも持ってきた? 悪いけどそういうのは預かれないよ〜。この間、反聖女派の騒ぎがあってから、余計厳しくなったからねえ、その辺り」
「えっ? ……あ、その、そんなに大変だったんですか。反聖女派の……」
「まあねえ。国王様までお出ましになる事態になったからね。ま、死者が出ることもなく鎮圧できたのは、国王様や第一神聖騎士様のお力があってこそだけど」
「第一神聖騎士様。……アシュート様は、お元気なんですか?」
「えええ? もしかして君、アシュート様に手紙持ってきたの?」
 心底驚いたという表情で、門番がまじまじとユーナの顔を覗き込む。
「ち、違いますっ、そうじゃないですけど!」
「ふうん、まあ相手が誰でも駄目なものは駄目なんだけどさ。アシュート様は、お変わりないと聞いているよ。確かに妹君があんなことになったし、衝撃は大きいんだろうけど」
「アシュートの妹さんは」
「君、知らないの? 今王都では吟遊詩人が歌にしまくって、大流行のはずけどなあ。悲劇の姫君の半生を」
「う、歌?」
「そう。ここで歌ってあげられないのが残念だけどね。歌の最後では、兄妹少しずつ歩み寄り、互いに新たな道を歩み出すんだ。現実も同じ。妹君は、とりあえず王宮の監視下で新たな仕事を始めているらしい。診療所の助手だったかなあ。ちょっとそこ行ってみたいよね」
 ミリファーレも、ひとまずは無事だったのか。それが分かっただけでも、ユーナにとってはここまで来た甲斐があった。
「アシュート様は、以前にも増してバリバリ仕事をこなされていると聞くよ。色んなものがふっきれたのかもね。シェリアスティーナ様との婚約もご破談になったし」
「……」
 アシュートがたった一人、誰に頼ることもなく、ひたすら仕事に打ち込む姿が容易に想像できた。そんな風にアシュートを追いこみたかったわけじゃない。
 私がこれまで頑張ってきたのは――。
(皆の幸せを、願っていたから。そのつもりだった)
 独りよがりの、偽善的な考えなのかもしれない。それも、分かっているけれど。
「おい、お前。べらべらと話し過ぎだぞ」
 もう一人の門番が、呆れたように口を挟んだ。それを受けて、今までユーナの相手をしてくれていた門番は軽く肩をすくめる。
「君。こいつが言った通り、王宮の人間への差し入れ関連は受け付けられない決まりなんだ。誰かしらの親族だというのなら、ここではなくはす向かいの建物へ。面会の約束があるのなら、本人がそちらに来ているはずだから」
「あ、いえ。面会とか差し入れじゃなくて……」
 途端に追い返されそうな流れになったため、ユーナは慌てて食い下がる。
「ああ〜、分かった。君、情報通だね。聖女様の花びら貰いにきたんだろ」
 ぽん、と気のいい門番が手を叩いた。なんのことだか分からないが、ユーナは肯定も否定もせず、彼に顔を向ける。
「聖女様は、毎日神官塔で祈りを捧げ、夕暮れ時に塔の窓から祝福の花びらを撒かれる。その花びらを貰いにきたってわけだよね?」
 意外な門番の言葉に驚きながらも、ユーナは頷いていた。
 シェリアスティーナが撒く祝福の花びら――。
「まだ昨日の分残ってたっけ?」
「ああ、確かあと二人分だ。持ってくる」
「おっ! お嬢さん、ついてるね。翌日まで残ってることなんて滅多にないのにさ。でも、このことはあんまり公にして欲しくないんだ、王宮としてはね。頼むよ〜」
 まもなく門番の一人が小さな包みを持って戻ってきた。手渡され、ユーナはそれをそっと受け取る。壊れものに触れるかのように、ゆっくりと、丁寧に包みを開いていき。
 包みから現れたのは――薄桃色の、小さな花びらたち。
「ティカスラの花だ」
 呟いた。
 その途端、唐突に涙が浮かび上がった。止める間もなく、そのまままばたきと共にあふれ出す。そして、頬を伝う。唇がわななき、震える吐息が漏れ、嗚咽となる。
「ど、どうしたの、君」
 ぽた、ぽた。
 涙の雫がティカスラの花びらを濡らす。
 苦しいほどに強い想いが、ユーナの胸に真っ直ぐ届いた。

 もう、他になにもいらないくらい、本当に本当に幸せなの――。

 シェリアスティーナの声が聞こえる。
 優しい、包み込むような笑顔を浮かべる彼女の姿が見える。
(シェリアスティーナ)
 彼女の名前を呼んだ。それに応える声も聞こえる。
 ――ユーナ。
 聞こえるよ、聞こえる。シェリアスティーナ。

 やっと、理解することができた。
 母マデラの言葉が。彼女が伝えようとした、本当の気持ちが。
 心から。

 ユーナ。
 ユーナ、私のために、ありがとう。
 でも、救いは、すでに私の心の中にある。
 あなたが与えてくれた、どんな喜びや楽しみよりも、かけがえのない救い――。
 だから私はもう、幸せなの。
 幸せなのよ、ユーナ。

(シェリアスティーナ……。ありがとう。本当に、ありがとう)
 涙はいつまでも尽き果てなかった。
 彼女の選んだ孤独な道。けれどそこには、救いと希望と、そして喜びが溢れている。
(やっと分かった、私)
 花びらを、強く握りしめた。
 シェリアスティーナの温もりが、花びらを通してユーナの両手にじんわりと広がっていく。
(私も同じように、救われた。だからこれから、前を向いて歩いて行ける)
 ユーナは顔を上げ、今一度王宮を見上げた。

 私も一生懸命、生きていく。
 きっと。