08.

 訓練場は、本当に王宮入り口から目と鼻の先だった。

 私が巫女だった頃には、一度も足を踏み入れたことのない一角だ。
 思った以上に訓練場は広い。元の世界によくあった、少年野球用のグラウンドみたいだ。そこに数十人の兵士達がいて、複数のグループに分かれつつ訓練をしている様子だった。
 あれは結構きついだろうな、日光を遮るものもほとんどないし。
 かくいう私は、邪魔にならないよう、グラウンド脇の木陰にひっそりと佇んで、訓練がひと段落つくのを待っている。

 うう、それにしても、どうにも落ち着かない。
 ここは王宮の中なんだもんな。空気が街中とははっきりと違う。私にはとても懐かしい空気だ――けれど、同時に今は、居たたまれなくもある。
 誰か知り合いが通りがかったりしないよね。元巫女だってバレちゃったりしないよね。
 すっかり忘れていたお祭りナンパ男の「巫女様に似てるって言われない?」が、今更頭の中にリフレインする。似てない似てない、悲しいくらい、もはや別人だから。

「おう、ハルカ、本当に来たんだな!」

 一人でうだうだ考え込んでいるうちに、いつの間にやら訓練は終了したらしい。気づけば店の常連の兵士達が数人こちらへ手を振りながら歩いて来ところだった。

「こんにちは。本当に来ちゃいましたよ!」
「せっかくだ、どんなもんか一つ貰おうか」
「ありがとうございます!」
 私は大喜びで籠にかけてあった布を取り去った。そこには、規則正しく並んだ四角い弁当箱と、笹のような葉っぱでくるんだおにぎりが詰め込んである。試しに弁当箱のふたを開けてみせると、兵士達は「おお!」と明るい声を上げた。

「すごいなこれ、色々入ってる」
「彩りも綺麗だなあ。美味そうだ」
 そうだろう、そうだろう。おかみさん達が、栄養のこともしっかり考えて作ったとびっきりの献立弁当なのだ。
「こっちの葉で巻いてあるのは?」
「握り飯です。具入りで美味しいですよ」
「ああ、なるほどね。小腹が減った時にちょうどいいね」
「この入れ物、結構ちゃんとしてるな。食べ終わったら帰しに行った方がいいか」
「あ、いえ。今日はこの籠をここに置いて帰るので、食べ終わったものは籠の中に入れておいてください。明日また来た時に、今日の分の空き箱を持って帰るので。王宮の許可は取ってます」
 空いた弁当箱を店まで客に運ばせては、歩き売りの意味がない。本当は使い捨て出来る容器があれば良かったのだが、さすがにコンビニ弁当で使われているような便利な容器はこの世界にはなかった。
「そうか。じゃあ、全部売り切らなきゃなぁ。籠を置いて帰るなら」
「一応、売れ残りのお弁当を包むための風呂敷は持って来ましたけど……、でも、そうですね、できれば全部売って帰りたいですね」

 そんなやりとりをしているうちに、他の兵士達も何人か集まって来た。
 お、結構な若者たちだ。何だ何だ、兵士にもちゃんと初々しい若者がいるんじゃないか。
「テオさんたち、何してるんです?」
「ああ、馴染みの定食屋が、ここまで出張して来てくれたんだよ。お前達も一つどうだ?」
「へえ、面白そうですね。じゃあ一つ貰おうかな」
 まいどありがとうございます!

 さて、これで既に弁当が六つ、おにぎりも三つ売れた。
 ありがたいことに、出だしは絶好調だ。
 その後も、訓練場に戻って弁当を広げた彼らの様子を見て、他の兵士達が、一人、また一人と顔を出してくれた。中には弁当を気に入って、おにぎりを買いにもう一度足を運んでくれる人もいたほどだ。嬉しいことである。

 結局、店を広げて三十分も経たないうちに、全て売り切れた。
 これってかなりいい感じなのではなかろうか。弁当十五個は用意しすぎたかとも思ったけれど、逆に、明日はもっと数を増やしてもいいかもしれない。いや、初日だから売れたのかな。

「これって、毎日来てくれるんですか?」
 若い兵士のうちの一人が、空き箱を返却がてら尋ねてきた。
「はい、そのつもりです。試行錯誤しながらなので、いつまで続けるか分からないんですけど」
「それはぜひ続けてほしいなあ。俺、王宮の食堂あまり好きじゃないし、外出るのも面倒で、ちゃんと昼飯食ってなかったんで。弁当、すごく美味かったです。明日はまた別の隊がここで訓練する予定なので、宣伝しておきますよ」
「ありがとうございます!」
 なるほど、いくつかの隊が日ごとに交代で訓練場を使用するのか。それなら、何日かは同じメニューを続けても大丈夫かな。
「おぉい、セドル。さっそく娘さんを口説こうってか〜?」
 遠くから他の兵士達の軽口が飛んでくる。おっさん達、やめてくれ。せっかくの貴重な若者との触れ合いだっていうのに。

・   ・   ・   ・

「ただいまー」
 予定よりも随分早くに定食屋へ戻った私は、客達を押しのける勢いで飛び出してきたご主人とおかみさんの二人に、大仰に出迎えられた。
「おかえりハルちゃん、大丈夫だったかい!?」
「はい、見て下さい、手ぶらで帰って来たんですよ。全部売り切れました!」
「そりゃあ良かった」
 二人はほっとしたように顔を見合わせた。
「ハルカも、何か王宮で困ったことはなかったんだね? 本当に無事だね?」
 どうやらご主人達が気にしていたのは、弁当の売れ行きよりも、私自身のことだったらしい。そうか、男所帯の最たる場所とも言える訓練場へ乗り込んでいったんだもんね。優しいお二人なら私の身を案じもするか。でも大丈夫、兵士の皆さん、とても優しかったですから。

「何だかよく分からんが、祝杯といこうかね?」
 それまで黙って成り行きを見守っていた常連のおじいさんに声をかけられ、ようやくご主人達は、今がまだ営業中の店の中だと思いだしたらしい。騒がしくしたことを店内の皆に詫びながら、再び調理場へ戻っていった。

 おじいさんには、ご主人からお酒が一杯プレゼントされた。

・   ・   ・   ・

 弁当お届け作戦は、その後もとても好調に進んだ。
 そして日を経るうちに、面白い傾向も見えてくる。

 もともとの定食屋の常連さんは、変わらずお店の方へ足を運んでくれる人が多いようだ。
 そして弁当の方のお得意さんはというと、予想外なことに、もっぱら若い兵士達だった。
 王宮には、家元を離れて一人暮らしをしながら働いている若者が数多くいるらしい。そんな彼らにとって、手づくり感満載のうちの弁当が、家庭の味を思い起こさせてくれる大きな癒しになるのだという。なるほど、弁当にはそういう効能もあったのか。でも、何だか分かる気がするな。私もご主人やおかみさんがつくる食事が大好きだ。
 加えて、値段設定もお店よりは安めになっているし、若い人にも買いやすいのだろう。

 最近は訓練場に来ている兵士だけではなく、わざわざ別の仕事場から弁当を買いに来てくれる人もいる。しかし運び手がひ弱な私一人なので、持って来られる量にも限界があるのが悲しいところだ。いつもあっという間に売り切れてしまい、買えなかった人たちには申し訳ないことだった。

 弁当販売を始めてしばらくの間は、私がいない間の店内の仕事はご夫婦二人でこなしていたが、そちらも相当大変だったようだ。
 最近、新しいアルバイトさんを雇うことになった。
 なんとなんと、嬉しいことに、雇われたアルバイトさんは、女性! きびきびとした雰囲気の、姉御肌のお姉さんだ!
 こんなむさ苦しいお店に何故……と思いつつも、私としては大歓迎である。今後、彼女がお店に馴れてきたら、私と彼女――セナさんと、交代で店番と弁当売りを務めることになった。
 セナさん、どうぞよろしくお願いします。

 そしてもう一つ、大きな変化が。
 王宮より直々に、弁当の販売場所を拡大してほしいとのお声がかかった。

 新しい販売先は、魔術研究所である。