09.

 魔術研究所。

 怪しげな響きに違わず、実際本当に怪しい場所である。
 王宮内でも異色のミステリースポットと言ってもいい。まず一般人は、近寄らない。
 かくいう私も、巫女時代に一度挨拶に訪れたきりだ。

 何をしているところかと言えば、文字通り、魔術の研究をしているところである。
 王宮本体とは渡り廊下で繋がってはいるものの、ほぼ独立した一つの棟を、まるまる魔術研究所で所持している。王宮内には他にもいくつか機関があったと記憶しているが、建物を個別に与えられているのは、ここと教会くらいのものであろう。

 この世界では、魔術はほとんど流通していない。

 今私が過ごしている定食屋での毎日にも、魔術はほとんど使われていなかった。
唯一、照明と台所の火力、そして冷蔵庫代わりの冷却箱に、魔術の欠片が使用されているくらいか。これだって、誰もが自由に扱うことのできる代物ではない。然るべき申請をし、許可を得て、初めて使うことが許される魔道具なのである。

 それは偏に、国が魔術を“囲い込んでいる”せいだった。

 本当は、それこそファンタジー映画のように、嵐を呼び雷を落とし炎を弾き飛ばすようなことも、魔術を使えば出来てしまうらしい。もっと身近なところでは、重いものを運んだりする、いかにも便利そうで素敵な魔術もあるらしいんだけども。
 国は、一般人に対して、そうした魔術の使用を厳しく禁じている。
 それだけ、魔術というものは厄介であり脅威であるらしい。

 そんなものを日夜問わず研究している所だ。
 王宮としては、適当に扱うわけにはいかないけれど、大っぴらに厚遇することもできない。そういう、微妙な距離感の場所なのである。

 そこへ弁当を売りに行けとは、一体何事なのだろう。

 詳しく聞けば、ここの研究所の職員達は、あまりに研究熱心なせいで、ロクに食事もとらず仕事に没頭しがちなのだという。放っておけば倒れるまで水も飲まない人間もいる、だから、食事を届けてくれる業者がいるならちょうどいい、ということだった。
うーん、研究者というやつは、世界を問わずマニアックかつストイックな人種が多いらしい。

 弁当販売業が拡大するのはありがたい話なのだが、いかんせん、作り手がご主人とおかみさんの二人だけであるために、今以上の数を作ることは不可能だ。そのため、隔日で、訓練場と魔術研究所を訪れることになった。
 そんな事情なので、王宮側も随分優遇してくれて、弁当の空箱は王宮の使用人が全て集めて毎日定食屋まで返却してくれるのだそうだ。

 とにもかくにも、事業拡大。

 ……うん。
 ……よし。よっしゃあああ!!!

 この知らせを初めに聞いた時、私は思わず一人でガッツポーズを作ってしまった。

 定食屋と訓練場を行き来する毎日では元の世界に戻るための足がかりをまるで作れなくて、どうしたものかと、密かに悩んでいたところだったのだ。

 でもやったよ、ようやく一歩前進だ。

 魔術研究所は、王宮の中でもかなり中核に近い場所にある施設である。うまくいけば、更なるステップアップが見込めるではないか!

 実を言うと、私は個人的に魔術師というやつが苦手なのだが、今は好き嫌いを言っている場合ではない。それに、悪印象を植え付けてくれた当の本人である“魔術師”は、それこそ王宮の最奥にいるようなメンバーの一人だから、普通にしていれば会うこともないだろう。

 うん、明日からも、頑張るぞ。

 弁当を売って売って売りまくって、定食屋に恩返しを。
 そして帰還のためのチャンスも掴んでみせる。

・   ・   ・   ・

「ハルカ、明日は魔術研究所へ弁当を届けに行くんだって?」
「そうなんです。ちょっと怖い気もするけど、楽しみですよ」
「え〜、本当に大丈夫? 私、心配だなあ」

 夜。
 私の部屋で、新しいアルバイトのセナさんと女子会の真っ最中。
 女子会といっても、ただお茶を淹れて飲んでいるだけだけれど。セナさんは私と違って自宅からお店に通っているから、仕事終わりにはすぐに帰っていく。でも、時々は今夜みたいにちょっとだけ話に付き合ってもらうことがある。

 セナさんはとても優秀な人で、店の仕事をあっという間に憶えてしまったスーパーウーマンだ。
 キリッとした美人さんで気風きっぷもよく、店のお客さん達の評判は上々である。彼女自身、おっさん率の高いこの定食屋でも、嫌がることなく皆と打ち解けてくれている。
 ほんの数日一緒に仕事をしただけで、私はすっかりセナさんのことを好きになってしまった。

「魔術師って、変わった人が多いらしいじゃない。訓練場での販売だけで十分だと、私は思うんだけどなあ」
「まあ、取って食われたりはしませんよ」
 私は苦笑しながらそう答えた。でも、セナさんの気持ちもよく分かる。
 魔術師に怖いイメージを抱いているのは、この国では誰も同じだ。

「あ、でも少し、羨ましいかな」
「羨ましい?」
「王宮に出入りするってことは、ノエル様にも会える可能性があるってことじゃない?」
 途端、セナさんは目をきらきらと輝かせた。

 見た目も中身も、どちらかというと男勝りでドライなイメージのセナさんなのだが、実は結構ミーハーで乙女チックなところがある。ノエルのことも、以前の祝神祭のパレードで見かけて以来、すっかりファンになってしまったらしかった。

 ノエル……、ノエルねえ……。

「いやあ〜、絶対無理だと思いますよ。だって、雲の上の人ですもん。そもそも、魔術研究所とは関係もないだろうし」
「そうかもしれないけど、でも、王宮内でちょっと迷子になってみるとかさ」
「そんなことしても、ノエル様に出会う前に、衛兵とはち合わせてつまみ出されるだけですって」
「あー、一目でいいから、もう一度ノエル様を見てみたいわあ」
 私が口に出したくても絶対口に出せないセリフを、いとも簡単に口に出して下さる。

 そうですね、心の中だけでこっそりと同意しておきながら、私はお茶を飲みほした。