13.
何だ。何やってるんだノエル。
私は沈み込んだベッドの中で途方に暮れつつ呆れかえった。
訓練場って、あの訓練場だよね? いつも弁当を売りに行っている、あの、一般兵向けの訓練場。
どうしてそこに花形騎士のノエルが姿を現すの。たまたま立ち寄ったとか、そんな訳がない。
廊下でのニアミスの時に、私だとバレていたのだろうか。
もしくは、やはりオルディスさんが私のことを話したのかもしれない。それで、私の姿を確認しに、弁当の販売時間を見計らって訓練場へ足を運んだとか。そう考えるのが自然な気がするけど……自意識過剰かな。いや、だけどやっぱり、そうとしか考えられない。
突然無言で倒れ込んだ私に、セナさんは大慌てだった。
そりゃあハルカが会いたかったよね! よりによって今日だもん、ごめんね! とセナさんは平謝りしてくれたが、大丈夫、そういうのじゃないんです。むしろ、セーフ。ぎりぎりセーフだ。
詳しく話を聞いたところ、今日、ノエルは一般兵の訓練の視察という名目で訓練場へやって来たそうだ。
事前に通達はあったようで、兵士達は慌てるでもなく、随分かしこまって彼を迎えていたのだとか。しかしノエルが来るなどとは全く知らされていなかったセナさんの方は、驚きと興奮のあまりその場で腰を抜かしてしまったらしい。分かる、分かるよ。そりゃあ腰も抜ける。
それだけでも天と地がひっくり返るほどの大ハプニングだったというのに、ノエルはセナさんのところまで歩み寄り、話しかけてくれたそうである。君が最近評判の、弁当売りの女性なんだな、と。
「それでね、もうあんまりビックリしすぎちゃって、全然言葉が出てこなかったのよ。私ったら、バカみたいに首をこくこく振るばっかり。ひどい顔してたんだろうなあ」
「でも、凄い経験しましたね」
「ほんとに! あ、でもね、ちゃんとハルカのことも伝えといたからね」
「わ、私のこと?」
「ええ。ノエル様が『毎日王宮まで弁当を運ぶのは大変だろう』って仰ったから、ここはハルカの頑張りを伝えておかないと! と思ってさ。いつもは別の子が運んでいるんです、お弁当の販売を思いついたのもその子なんですよ、って」
「そ、そうなんですか」
うーむ。そのままセナさんが弁当売りの娘さんってことで良かったのに。まさかノエルってば、また様子を見に訓練場に来たりしないだろうな。そこまで暇じゃないよね、騎士様ともあろうお方が。だけど昨日の今日でこの行動力だもんなあ……。
「ノエル様って、そんなにしょっちゅう訓練場に来られるんですか?」
「兵士達の話では、今回が初めてだったっていうことらしいよ。そりゃあ、騎士様と一般兵じゃ住む世界が違うしね。どうして今日はわざわざ部下まで引きつれてノエル様が視察なんかに来たんだろうって、皆も不思議がってたみたい」
「へえ〜」
それなら、そうそう頻繁には立ち寄れないか。
なんてことを考えていたら、セナさんが私に布団をかけ直してくれた。
「ごめんごめん、どうでもいい話しちゃって悪かったね。もうちょっと横になってた方がいいよ。おかみさんが胃に優しいもの作ってくれるだろうから、またそれを持ってくるね」
そして、ひらひらと手を振りながら部屋を出ていってしまう。
再び一人に戻った私は、ゆっくりと目をつぶった。
・ ・ ・ ・
なんだかんだでよく眠れている私。
次に目が覚めたのは、鼻をくすぐる何とも言えない美味しそうな匂いに刺激されたからだった。
くんくんと鼻を利かせると、ちょうどおかみさんが部屋に入って来た。手には、小さな鍋を乗せたトレイがある。
「ハルちゃん、体調はどう? 少しは落ち着いたかい?」
「おかみさん! 忙しいのにわざわざすみません」
跳ね起きようとした私を制して、おかみさんは食事の準備を進めてくれた。
「昼間に様子を見に来た時よりは、少し顔色も良くなったみたいだね。良かったよ」
私は眠っていて気がつかなかったけれど、ちょこちょここの部屋まで顔を出してくれていたようだ。おかみさんの優しい笑顔を見ていると、何だか泣いてしまいそうだった。私は母親の愛情を知らない人間だけど、きっとお母さんがいたらこんな感じなんだろうな。
おかみさんが持ってきてくれたのは、ほかほかのお粥だった。
この世界でお粥を目にするのは初めてだ。何種類かの薬草が入っているようだけれど、見た目も匂いも私の知っているお粥とよく似ている。この、一見そっけないような食べ物が、心身ともに弱った身には沁み入るんだよなあ。
「ハルちゃん、食べられそうかい?」
「はい、すごく美味しそう。ありがとうございます」
頂きます、と両手を合わせて、スプーンを手に取った。
ゆっくりと一すくい。ふうふうと熱を冷まして、口へ運ぶ。途端、ほんのり効いた塩味が、口の中に広がった。熱い、だけど、すごく美味しい。
静かに感激していると、そんな私の様子を見守っていたおかみさんが、椅子をベッドの側に寄せて腰を下ろした。
「今朝から水だけだったし、しょっぱいものが美味しく感じるでしょう?」
「はい、とっても」
「店のことは気にしなくていいからね。明日も明後日も、良くなるまでゆっくり寝ていればいいよ」
そんなわけには、と言いかけて、私は黙り込んだ。
良くなるまでゆっくり……。ああ、それもいいな。もうこのままずっと、ここで寝込んでいるのも悪くない気がする。だって、もしかしたら私は王宮へ行かなくてはいけなくなるかもしれないんだ。この居心地のいい“我が家”にいられるのは、あと少しだけなのかも――。
「考えてみれば、ハルちゃんが家で働き始めてから、ずっと頼りにしっぱなしだったねえ」
「え、そんな。私なんて全然役に立ててないです」
「そうやって自分を落とすもんじゃないよ。ハルちゃんはいつも一生懸命やってくれてるし、そのおかげで私たちは凄く助かってる。それにさ、セナちゃんを雇ったのも、ハルちゃんに出会えて、また誰かと一緒に働くのもいいもんだって思えたからなんだよ。そのセナちゃんもすごくいい子で、私たち夫婦は本当に幸せ者だよ」
そっか、前に働いていた人とはトラブルがあったんだっけ。
その人でもうこりごりって思っていたのに困っていた私を助けてくれたおかみさん達ご夫婦こそ、神様みたいに優しいと思う。幸せ者は私の方だ。
「今日は、セナちゃんがノエル様にお会いしたそうだよ。聞いたかい?」
「はい。セナさん、大喜びしてましたね」
「私は見たことがないけど、大層な男前だそうだからねえ。若い娘さん達なら、そりゃあワクワクしちゃうだろうね。でも、私も嬉しいよ。うちの弁当のことを知っていて下すったんだから」
「どうせなら、お弁当買ってくれればよかったのに」
二言三言話をしてすぐに彼がその場を離れてしまったことは、セナさんから聞いている。
「まさか騎士様が、うちの弁当なんて口にされやしないよ! わざわざ労わって下さっただけでも、もったいないほどにありがたいことだよ」
「でも、食べてみたら絶対驚いたと思います。うちのお弁当の美味しさに」
味については私が保証する。なんと言っても、王宮ではノエルよりもいいものを食べさせてもらっていた身なのだ。その時の食事と比べても、ここのご飯は本当においしい。
「それじゃあ、もしまたノエル様がお見えになったら、その時は買ってもらってちょうだいな」
おかみさんは笑いながら私の頭をぽんと叩いた。
そろそろお店に戻らないと、と立ち上がったおかみさんを引きとめるわけにはいかない。
私は素直に頷いて、おかみさんを見送った。
お粥を食べながら、考える。
私、ノエルに会いたくないんだなあ。
合わせる顔がない、今更頼るわけにはいかない、だから会えない。そう思っていたのは確かなんだけども。でも、いざ面と向き合って再会っていう場面になって、そこから本気で逃げ出してしまうとは自分でも思わなかった。
ノエルはどんなつもりで今日訓練場に来たのだろう。
私が本当にこの世界へ戻ってきているって確認できたら、どうするつもりだったのかな。
もはや巫女ではないといえ、私のことを蔑ろに扱ったりはしない気がする。あのオルディスさんですら、私がかつて巫女だったからっていう理由で動いてくれようとしているんだし。ノエルは責任感が強いから、元護衛という意識もあって、きっと私に手を貸してくれることだろう。
だけどその手を取っちゃだめなんだ。
ノエルは今の巫女の護衛になった。元巫女の私とは極力関わらない方がいい。
彼が難しい立場に立たされるのは、私が嫌だ。
一度、覚悟を決めて、きちんと彼に会って伝えるべきなのかな。
私の存在を知られてしまったのなら、闇雲に逃げ回るよりは、その方がいいのかも。
(どうしようかなあ〜)
熱のある頭では、いつも以上に考えがまとまらない。
それでも、このままではいけないようだという予感は、のっそりと私の中に影を落としたのだった。