14.

 結局まるまる二日寝込んだ私は、三日目にしてようやくベッドを抜け出した。
 その三日目も、念のためにということでお休みをもらってしまい、私はほとほと罪悪感に打ちひしがれた。穀潰しという単語が頭の中を駆け巡る。もう風邪を引いたりしないよう、体調管理はしっかりとしなくては。

 そして、四日目。
 弁当の配達は今日もセナさんが引き受けてくれるということで、私は街へ買い出しに出かけることにした。数日部屋にこもりきりだったから、外の空気を吸って気分転換だ。

「あ、ハルカ!」

 大通りを下っていったところで、後ろから声をかけられた。
 振り返ると、ハーブ屋のミディさんがこちらに手を振っているのが目に入る。彼女の腕の中には、大きなパンが何本か入った紙袋。きっとミディさんも買い物の途中なのだろう。

「ミディさん、こんにちは」
「良かったわ、会えて。今日会えなかったら、あなたのお店に行こうかと思っていたのよ」

 挨拶もそこそこに、ミディさんは私の側まで駆け寄って来た。
 ミディさんのような可憐な少女が、うちのむさ苦しい定食屋に?

「何かあったの?」
「それなんだけど、この間、髪の毛を綺麗にまとめてくれてありがとね」
「ああ、あのこと。全然大したことじゃないよ」
 巷で流行りのアルディナ様ヘアにアレンジしてあげた件か。改まってお礼を言われなくても、本当に大したことじゃないんだけどな。それにあの時は私も花飾りを貰ったし、むしろ海老で鯛を釣ったようなものだ。

「あの日、何人か友人にも会ったんだけど、大好評だったのよ。皆に羨ましがられちゃったわ」
「そっかあ。それなら良かった」
「で、ね!」
 がし、とミディさんは私の手を強く握った。
「ハルカにお願いがあるのよ」
「お願い?」
 なるほど、本題はこちらか。
「明日のサルスの日の晩、若い子達で集まってちょっとしたダンスパーティーをすることになっているんだけど、その時にまたハルカに髪をまとめてほしいの」
 ダンスパーティー! 市民達の間でも、そんな素敵な催しがあるのか。
 そりゃあ、女の子達は気合いが入るよね。
「最初は髪結い屋に頼もうかと思ってたんだけど、結構料金も高いし。それにハルカの方が可愛く仕上げてくれそうで」
 そう言われると悪い気はしない。それに女の子の青春を応援したい気持ちもある。
 ちょうどサルスの日はうちの定食屋も定休日だし。うん、少し出かけるくらいなら構わないかな。
 軽い気持ちで頷くと、ミディさんは私の手を握ったままぴょんと跳び跳ねた。可愛い。
「きゃあ、ありがとう! 私を含めて友達四人なんだけど、よろしくね」
 ――四人。さらっと大事な情報を最後に持ってくるとは策士ですね。

 まあ、いいか。

 この時私は、本当に軽い気持ちでいたのだった。

・   ・   ・   ・

 翌日の夕方、私は約束通りミディさんの家を訪ねた。
 ハーブを買いに行くのではなく、友達との約束でお家にお邪魔する。ああ、こういうのって凄く久しぶり。密かに嬉しい。あんまりにやにやしないように、顔を引き締めなくては。

「こんにちはー」
「いらっしゃい、ハルカ」

 ハーブ店の裏手にある勝手口から顔を覗かせると、すぐにミディさんが迎えに出てくれた。
 ミディさんはすでにパーティー服に着替えていて、何だかいつもの彼女じゃないみたいだった。
 くるぶしまであるワンピースはゴールドに近い落ち着いた黄色で、赤髪のミディさんにはよく似合っている。首筋からデコルテの辺りまでが出るタイプのワンピースだ。これは、髪をきちんとアップにした方が、全体のシルエットが綺麗に出そうだな。普段は眠っている女子アンテナが久しぶりに動き出す。

「どうぞ上がって。友人達も私の部屋にいるわ」

 促されて、二階へと上がる。
 うちの定食屋と似たような造りの家だった。一般の日本の一軒家とも、そうそう広さも間取りも変わらない。ただ、天上はこちらの方がだいぶ高いようだけれど。

「みんな、ハルカが来てくれたわよ」

「まあ、いらっしゃい!」
「きゃあっ、あなたがハルカね!」
「待ってたわ!」

 ミディさんの部屋の扉が開かれると同時に、黄色い声が飛んできた。
 それほど広くない部屋の中に、色とりどりのワンピースを着た女子達が固まっている。そんな彼女達が一斉に立ち上がって、こちらへ突撃せんばかりの勢いで迎え入れてくれた。まさかこれほど熱烈に歓迎されるとは。巫女としてこちらへ召喚された時のことを、つい思い出してしまう。

「この間のミディの髪型、アルディナ様の髪型が完璧に再現されていたわ」
「すごいのね、ハルカって。どこかで髪結いの勉強をしたの?」
 いや、私も別に、プロレベルの技を持っているわけではないんですが。……大丈夫かな、ここまで期待されているなんて。本当に、単なる女子高生レベルのヘアアレンジしかできないのに。
 怖気づいた私に気がついたのか、ミディさんが彼女達を手で制してくれた。
「まあまあ、ハルカだって髪結い師じゃないんだから、あまり無茶な要望はしないように」
「はぁい。じゃあまずは私からお願いしてもいいかしら? 感じとしては、この間アルディナ様がされていた髪型みたいな……」
「待って、ずるいわよ、ルーシャ。私もアルディナ様っぽくしてもらおうと思っていたのに」
「二人もそうなの? 私もお願いしたら、三人で似たような髪型になっちゃうわ!」

 女子のテンションの高さというやつは、凄まじいものだ。

 日頃、すっかりおっさんのテンションに馴れきってしまっている私は、彼女達のパワーに圧倒され、言葉も出ずにその場に立ちつくしてしまった。
 私も日本で女子高生をやっていた時は、こんな感じで騒いでいたのかな。電車の中とかだと、確かに迷惑だよねコレ。元の世界に戻ったら、もう少し慎ましやかに過ごすよう心がけよう。

 でも、こういうノリも嫌いじゃない。
 私は少しずつ彼女達と馴染むことに成功し、うまく要望を聞き出して、何とか四人、それぞれの可愛らしさを活かした髪型を作り上げることができた。結局、アルディナ様ヘアは他の女の子達もしてくるに違いないということで、そこにはこだわらない流れになったのが救いだった。

 我ながらいい仕事をしたな! と、四人の娘さん達の姿を眺めていると、彼女達は顔を見合わせにんまりと笑みを深めた。

「さあて、それじゃあお次は、ハルカの番ね」

 ミディさんの言葉の意味が分からない。
 私? え、本当にどういう意味?

「ハルカ、あなたも私たちと一緒にパーティーに行くのよ」
「はあ!?」

 腹の底から声が出た。だって、聞いてない。聞いてないよ!

「ハルカってば、年頃の女の子なのに、全然浮いた話がないでしょう? というか、暑苦しいおじさん達が常連の定食屋で働いているんだから、浮いた話なんてなくて当然よね。でもそれじゃあダメよ。若さがもったいないわ!」
 ミディさんの目が使命感で燃えている。
「それで、ぜひ今回はハルカも誘おうっていう話になったのよ」
 いや、誘ってないよね? 決定事項の通知だよね? 強制的に連行される流れだよね?
「安心して。ハルカのためのドレスもちゃんと用意してあるの」
「髪結いも、ハルカちゃんほどうまくはできないけど、私たち三人でやってあげるし」
 じゃーん、とミディさんが出してきたのは、薄桃色のワンピースだ。ウエストが長いリボンでタイトに絞られていて、そこからふんわりとロングスカートが波打っている。おお、可愛い。派手過ぎず地味すぎず、日本人である私の感覚でも心惹かれるものがある。

 って、確かに可愛いけども! それを着て私がダンスパーティーなんて、それは別の話だ!

「平気よ、今回のパーティーでは、パートナーは現地で見つけるものだもの。私たちもそうよ。だから何も気にせず、ただ私たちについてくればいいわ」
 いや、だから、ここでそういう出会いは求めていなくてですね。
 それに、不特定多数の人間が集まるようなところへ出向くなんて、元巫女の身にとっては危険極まりないかも知れないのに。

 しかし、いくら拒否しようが、彼女達の魔の手からは逃れられないらしい。
 あまりしつこく嫌がっていると強制的に服をはぎ取られそうな勢いだったので、仕方なく私もピンクのワンピースに着替えることになった。その後、彼女達の髪結い人形となり果てた私は、観念して彼女達の言葉に従うことになったのだった。

・   ・   ・   ・

 そしてやって来ました、ダンスパーティー会場。

 街の中心から少し離れたところにある、屋外の多目的広場がそれである。普段から様々なイベント事で使われている広場らしく、今日はこうして若者達の交流会の場として賑やかに飾り立てられている。

 しかし、街の若者中心のイベントにしては、頑張っているなあ。

 例えば、広場を囲うようにして立っている街路樹には、様々な色のライトが巻き付けられている。まるでクリスマスツリーのように綺麗だが、このライトだけでもなかなか用意できるものではないと思う。なぜなら、この世界で照明の原動力となっているのは魔力なのである。つまりライトは、魔道具の一種だ。国から貸し出されるものであり、一般市民には贅沢に使えない。

 お陰で、思った以上に夜の広場は明るかった。
 くそう、暗闇に紛れていれば目立たず終われると思っていたのに。この明るさでは、何もせずただ棒立ちになっている人間など悪目立ちしてしまう。

 往生際も悪くうじうじしていると、さすがにミディさんが呆れた顔を見せた。
「何がそんなに嫌なの? そりゃあ、前もって知らせず連れてきたのは悪かったけど」
「……いや、その、何と言うか……」
 何とも答えようがなく、私はあやふやな言葉でお茶を濁した。

 見れば、たくさんの若者達が、わいわいと笑顔で楽しんでいる。
 確かに楽しそうだ。こういうの、全然嫌いじゃない。
 だけど、私はまだ“恋愛”というものに臆病になったままなのかも知れない。簡単に言えば、未だにノエルのことを引きずっているということだ。
 きっと、だから私はこういう出会いを連想させるイベントに及び腰になっている。

「ハルカがちょっと心配だけど、このまま皆でここにいても仕方がないわね。散りましょうか」
 唐突なミディさんの提案に、私は度肝を抜かれた。
「えっ、散るの!?」
「そりゃそうよ。女四人で固まっていたら、誰も声なんてかけてこないわ。女二人ならまだいいかもしれないけど。ハルカ、私と一緒に会場内を歩いてみる?」
 ミディさんが小首を傾げた。

 意外にも女性陣は積極的である。そこまでのやる気も気概も持てない私は、ミディさんにくっ付いていく道を選びたかった。――が、やる気のない私が一緒ではミディさんの足を引っ張ることになってしまう。私は泣く泣くミディさん達を送り出すことにした。

 ええい、こうなれば私は、食べ物の方に力を入れる!

 幸い会場にはバイキング形式の食べ物も種類豊富に取り揃えてあった。
 パーティーが始まってまだ間もない今の時間、いきなり食べ物に走っている若者は数少ない。それも、女性となるとほぼ姿はないと言ってよかった。

 こういうところ、ちょっと私の世界とは違うかも。日本では、バイキングときたらパーティーだろうとなんだろうと、結構皆食いつくものだと思うんだけどな。特に若い女性は、スイーツコーナーに固まったまま動かない人も多いというのに。

 かくいう私はスイーツよりも肉が食べたい。
 そんなわけで、鶏のから揚げ発見! 嬉々として皿に取ると、横から別の手もから揚げに伸びてきた。その手はひょいひょいと三つほど唐揚げを拾っていく。おお、がっつり行きますね。

「これ、美味しそうだよね」

 不意に話しかけてきた声に聞き覚えがある。
 隣の若者を仰ぎ見ると――。

「あっ」

 祝神祭の時の、お祭りナンパ男だ!