15.

 驚きに固まっている私とは対照的に、目の前の若者はにっこりと私に笑いかけてきた。
 どうやら彼は、私に気づいてわざわざ声をかけてきたようだ。

「奇遇だね、また会うなんて」

 早速きたよ。ナンパ男のいかにも言いそうなセリフだ。
 いや、でも実際、奇遇なのは間違いないか。まさか私の後をつけて来たわけでもあるまいし、この再会は偶然以外の何物でもない。……はずだよね? 一瞬、元巫女の私へ向けた刺客ではなかろうかと思ったりもしたが、それならば、前回会った時に捕まっていたはずだし。

「あ、俺のこと憶えてる? 祝神祭の時に……」
「はい、憶えてます」
 まさかいきなり赤の他人に元巫女だとあっさり見抜かれるとは思っていなかったから、そりゃあインパクトは大きかった。……うーん、そういう点も含めて考えてみると、やっぱりこの人、怪しいだろうか。

「嬉しいなあ。ハルカちゃん、だよね。これもきっと何かの縁だね」

 何故私の名前を!? 一気に警戒度数が上がる。
 私の表情がこわばったことに、この暗がりの中でも気がついたらしい。彼は慌てたように手を振った。から揚げが皿から落ちそうですけど大丈夫ですか。
「ほら、あの時、出店のおじさんが君の名前呼んでただろ?」
 そうだっけ。そうだとしても、普通今日まで憶えてないって。怖いわ。
「俺、あの時一応名乗ったんだけど、憶えてないよね。アルスっていうんだ、改めてよろしく」
「……どうも」

 とりあえず愛想笑いは返しておいて、私は再びバイキングの吟味に戻ることにした。
 あ、あっちのハムも美味しそう。ロールキャベツみたいなのもある。

 それとなく場所を移動した私だったが、その後ろをアルスという若者もついて来たようだ。

「今日は一人で来たの?」
「……いえ、友達と一緒に。皆、散らばってしまいましたけど」
「へえ、こっちで友達ができたんだ! 良かったね」
 そういえば、この街へ来て日が浅いから友達がいないって、あの時は言ったんだっけ。この人、本当によく覚えているなあ。ナンパ師の鏡だな。

「……アルスさんは、お一人で?」
 あまり無碍に扱うのも悪いかと思い、こちらからも話を振ってみた。
「そう、一人。来てみれば何人か友達もいるかなと思ったんだけど、誰も見つからなくてさ。ちょっと心細かったから、ハルカちゃんの姿見つけてほっとしたよ」
 私は既に彼の中で友達の範疇に収まっているのか。
 人見知りの「ひ」の字もないようなこの人が、一人で心細いなんてあり得ないだろう。
 やっぱり怪しい。警戒するに越したことはなさそうだ。

「あ、あそこに椅子があるみたいだな。よかったら座って食べない?」
 アルスさんが指した先には、確かに休憩用の椅子がいくつか並べられていた。当然ながら、まだパーティーが始まって間もないこの時間帯、座っている人の数はまばらである。
 一人であそこに座って肉に食いついても良かったのだが、さすがに若干人目が気になるところだ。それくらいならば、多少怪しくてもアルスさんが隣にいる方がいいかもしれない。人が多いし、例えアルスさんが曲者でも、ここで変な行動には出られないはずだ。そんな打算が働いて、私は頷くことにした。

 広場には軽快な音楽が鳴り響いていて、若者達は皆、楽しそうに踊っている。
 普段、この街の人々は、割と堅実というか、質素な暮らしぶりをしている。服装なども、流行り廃りこそあれ、あまり華美なものは好まれていないようだ。だからこそ、今夜のこの色鮮やかな衣装に身を包んだ男女の楽しげな様子は、とても印象的だった。やっぱり皆、若者たちだよね。

 しかし、私も同年代のはずなんだけどな。
 やはりどうも気分が盛り上がらない。失恋の痛手は相当な重症だったようだ。

「どうしたの? 遠い眼しちゃって」
 隣に腰掛けたアルスさんが、不思議そうな表情で私の顔を覗きこんだ。
「いえ、皆、楽しそうだなーと思って」
「俺たちもこれから楽しもうよ。これ食べ終わったら、一緒に踊らない?」
「いやいやいや、私踊れませんから」
「ちゃんと踊ってる奴なんて誰もいないよ。ただ音楽に合わせて楽しめばいいだけ」
 それも無理。日本人でもクラブで楽しむ人たちはたくさんいるけれど、私はそういうの、ダメだ。そんな私がどうしてダンスパーティーなんかに来てしまったのだろう。やっぱり恨むよ、ミディさんとその仲間達。

「私は踊り、苦手ですから。私のことは気にせず、他の女の子誘ってあげて下さい」
 見渡せば、女の子同士で固まっているグループや、単身で会場内を歩いている子もちらほら見える。特に、一人の子は総じてレベルが高めである。勝算なく一人で乗り込んできたりはしないのだろう、誰かに声をかけられるのを確信している様子だ。ミディさん達も、可愛いもんな。

 かくいうこのアルスさんも、爽やかな顔立ちの好青年だ。普通に女性に声をかければまず嫌がられはしない、むしろ喜ばれるレベルである。その上、こんなパーティーならばそもそもお互いパートナーを探しに来ているのだろうし、女性陣の警戒レベルは最低値、きっとアルスさんが本腰を入れてナンパを始めれば、いい女性がみつかるだろう。
 そうしてさっさと私から離れていけばいいですよ。
 と、いう思いを込めて提案してみた。

「じゃあまあ、そのうち誰か誘ってみるよ」
 そう言って笑って、アルスさんは取ってきた唐揚げを口に放り込んだ。
「ハルカちゃんは、この辺に住んでるんだよね? 一人暮らし?」
「いえ、住み込みで働いてます」
「へえ、どんな仕事?」
「それは、ご想像にお任せします」
 この場限りの世間話程度なら付き合うけれど、怪しげなナンパ男に定食屋の事は教えられない。
「えー、食べ物関連のお店とか?」
「ご想像にお任せします」
「ひどいなぁ、完全に俺のこと警戒してるよね?」
「そんなことはないです」
 そうかなぁ、とアルスさんは納得のいかない様子だ。
 しかし彼はめげない男だった。
「せっかくだしさ、ハルカちゃんも敬語はナシにしようよ。友達になれたんだし」
 やっぱり私達、友達ということになったんですね。まあ、別にいいけども。
「……うん、分かった。敬語はやめる」
「踊らないなら、食べ物取りに行かない? 俺まだ腹減ってるんだ」
「あ、行く!」
 奇遇だな。私もから揚げとハムだけじゃ中途半端に食欲が刺激されて困っていたところだ。さっきのロールキャベツもどきも食べてないし。

・   ・   ・   ・

 結局私たちは、その後も飲み食いし続けた。
 ウエストのリボンがあまりにきつくなったので、胸下で絞る形に切り替える。これならお腹がぽっこり出ていることも誤魔化せよう。ふう、苦しい苦しい。

 途中何度か、ミディさんを見かけた。
 しっかりと素敵な男の人をゲットしているあたり、さすがである。他の三人も、姿こそ見えないが、恐らく首尾よく行っていることだろう。帰りはきっと、それぞれパートナーに送ってもらうはずだ。ならば、私が一足お先に退散したところで問題はない。

「あの、アルスさん。私、もうそろそろ帰るね」
「そう? じゃあ送っていくよ」
「ううん、平気。家までそんなに遠くないし」
「別に下心とかはないからさ、送らせてよ」
 男女的な意味での下心については心配していないけれども、巫女的な意味では、もしかしたらということもある。用心するに越したことはない。うかつな行動はとらず、自分の身は自分で守ると決めたのだ。
「ごめん。住み込み先の人に、男の人と帰るところを見られるとちょっと困るから」
「でも、夜道に女の子の一人歩きは危ないし」
「大丈夫、人通りの多い明るい道しか通らないよ」
「どうしても?」
「うん、どうしても」
 頑なに拒否していると、アルスさんは降参したと言うように苦笑を浮かべた。
「いや〜、ハルカちゃん、しっかりしてるね。うん。そうだね、昨日今日知り合ったばかりのナンパ男に送らせちゃあいけないよ」
 おや。
「ということで、今日は諦めておくけど。次に会った時は、今度こそ本当にもう友達だよ。その時は仲良くしてね」
 ひらひらと、アルスさんは手を振った。
 勝手に警戒度数を高めていたことが申し訳なるくらいに、いい人だ。
 ごめんねアルスさん。それでも引き続き警戒させて頂きます。

 でも、今日はお陰さまで寂しくなかったよ。

・   ・   ・   ・

 数日後、借りたワンピースを洗濯し、ミディさんのところに返しに行った。

 分かってはいたが、やはりミディさんの興味はアルスさん一色だ。
 店先でワンピースだけ返せばいいかと思っていた私は、ミディさんの部屋に引っ張り上げられ、まるで刑事の尋問を受ける容疑者のごとく矢継ぎ早に質問を浴びせられた。

「ハルカ、やるじゃない! あんなに素敵な人をつかまえるなんて」
「ミディさんもかっこいい人と一緒だったね」
「駄目よ、全然駄目。あんなの、盛ったサルみたいな奴だったわ。パーティーの後で人気のない場所に無理やり連れ出そうとしたから、蹴っ飛ばして逃げ帰ってきちゃった」
 げ、そんな危険な目に遭っていたのか。
 無事でよかった。危なすぎる。
「あの人は、そんな軽薄な感じはなかったわね。何ていう人なの?」
 当のミディさんは、大したことではないとでも言うように、あっさりと話題を戻す。
「ええと、アルスさん、っていうらしいよ」
「年はいくつ?」
「さあ、そう言えば聞いてないや」
「職業は?」
「……なんだろう。あ、そう言えば、王宮の下働き、みたいなことは言ってた気がするけど」
「住まいはどこ?」
「分からない」
 考えてみれば、アルスさんのことを何一つ知らない状況だな。いくら疑ってかかっていたとはいえ、ちょっとガードしすぎてしまっただろうか。
 私が自分に呆れていると、それ以上にミディさんは私に呆れかえっていた。
「ハルカねえ、なーんにも知らないって、あなた何をしていたのよ」
「あー、何だろうね、ホント」
「……」
 ミディさんが胡乱な眼で私を見すえる。
「まあいいわ。で、次に会う約束はしたのよね?」
「……」
 今度は私が沈黙する番だった。

「……ハルカ。あなたの春が来るのは、相当先になりそうね」
 諦観の表情を浮かべ、ミディさんは溜め息をついた。

 でも、うん、そうだね。私もそう思う。