16.
その翌日、久しぶりに私が弁当配達を担当することになった。
ノエルは、視察という名目で突然訓練場に現れて以来、一度も姿を見せていないという。
うむ、読み通り。そんなホイホイ王宮内をうろつける立場じゃないことは分かっている。もし今日はち合わせてしまったとしたら……その時は観念して、きちんと彼と話をするしかないか。
今日向かったのは訓練場の方だ。
いつもの売り場位置に辿り着くと、すでに弁当を待っている兵士達の姿がちらほらと見受けられる。
うわ、凄い。まさか到着待ちをされているなんて、うちの弁当も有名になったものだ。
最近では、他の飲食店もうちと同じく王宮に進出しようとし始めているらしい。そりゃあ、そうなるよね。しかし、複数の業者が出入りして販売合戦になられても困るし、品質の安全管理もままならなくなるということで、他のお店は一切許可をもらえていないそうだ。
うちも、あまり調子に乗って王宮で大きな顔をしないように気をつけよう。王宮の秩序を乱すような行動に出れば、すぐにでも業者を入れ変えられてしまうに違いない。
もしかしたらアルスさんの姿もあるだろうか。
祭で初めて会った時に「王宮で働いている」と言っていたのを思い出し、ぐるりと訓練場を眺めてみたが、彼のこげ茶の頭は見当たらなかった。
今日の隊の所属ではないのか、そもそも兵士ですらないのか。王宮の下働きって、一体何の仕事なのだろう? ミディさんに焚きつけられたからではないけれど、せっかくだし、もし万が一今度会う機会があったとしたら聞いてみようか。
・ ・ ・ ・
そして更にその翌日。
魔術研究所への弁当配達。
前回オルディスさんと話をしてから、一週間と一日ぶりである。
近いうちに私の身の振りを考えると言っていたから、ちょうどいい頃合いかもしれない。
どうか、引き続き定食屋でお世話になれますように。
しかし、今日、そもそもオルディスさんと会えるのだろうか。
考えてみたら、オルディスさんはこの研究所に常駐している人間ではない。むしろ普通ならば全く足を向けないような身分のある魔術師だ。もし今日は研究所に立ち寄っていなかったらどうしようかと、今更ながら心配になった。その時は、対応に出てくれた魔術師に何かしらの言伝を頼むしか仕方がないか。
重い弁当籠を抱え、研究所に繋がる扉をノックする。
すると、今か今かと弁当の来訪を待ちわびていたかのように、すぐさま扉が開かれた。
あまりの素早さに、私は驚いてその場から飛びのいてしまった。
「こんにちは! ――って、あれ?」
顔を出したのは、前回と同じ、人のよさげなあの魔術師さんであった。
相変わらず癖の強い髪の毛だけど、何だか前よりもきっちりセットされている? そしてどことなく紅潮した頬、きらきらした瞳……。しかしそれらは、私の顔を見るなり一気に消え去ってしまった。そして、もの凄く分かりやすく、しょんぼりと頭こうべを垂れてくれたのである。
「どうも。いつも配達ご苦労さま」
先程とは打って変わって元気のない声で、おざなりな礼を言われてしまった。
なんなのだ、一体。
「今日は、セナさんはお休みなの?」
彼のその問いかけに、やっと私は状況を飲みこんだ。
なるほど、ああ、なるほどねー。セナさんってば隅に置けないな。
「すみません。セナと私が交代でこちらにお邪魔することになったもので」
「あ、そうなんだ。何度かセナさんが来ていたのが特別っていうわけではないんだね?」
「はい。彼女もうちで働いていますから、また近いうちにこちらへお邪魔すると思いますよ」
「そっかそっか。――あ、突然ごめんね。僕はコリーって言うんだ。前回君が来てくれた時には自己紹介をしていなかったよね。今更だけど、どうぞよろしく」
早々に立ち直ったらしいコリーさんは、ほんわりとした笑顔を向けてくれた。
「私はハルカと言います。よろしくお願いします」
分かりやすい人だなあ。これで魔術師だなんて大丈夫かな。などと、失礼な感想を抱きつつ、私も名乗り返した。
二度目の顔合わせにしてようやく自己紹介をした私たちは、前回と同じ廊下をゆっくりと歩いた。この棟が古い建物であることには違いないが、どうやら以前とは少し様子が違う。塵一つ見当たらないと言うか、何と言うか。明らかに清潔感が増しているのである。
「……大掃除でも、されたんですか?」
「えっ?」
「何だかすごく、綺麗になっているから」
「あ、分かる? そっか、分かってくれるんだ」
コリーさんは嬉しそうに頭をかいた。
「ほら、最近はお弁当を頼むようになったから、君やセナさんみたいな女性が来てくれるでしょ。あまり汚いところへ来てもらうのも申し訳ないなって思って」
平たく言えば、セナさんのために掃除したんですね。
「そうだ、君にはちょっと面白いかもね。見せてあげる」
そう言ってコリーさんはビー玉のようなものを懐から取り出し、何やら呪文を紡ぎ始めた。大した長さではない。その呪文が終わると、どこからかほうきが単独でとび跳ねながらやってきた。――無論、魔術による効果である。
コリーさんが、ビー玉を握った手をさっと振る。すると、ほうきは廊下を丹念に掃き始めた。
「すごい!」
巫女時代に、いかにも魔術らしい魔術は色々と見せられたが、こうした実用的な場面で使われる術を見ることはあまりなかった。庶民が使うとなればせいぜいが魔道具だから、術自体を目にする機会はめったにないのだ。いいなあ、この魔術、憶えたい。そしてうちの定食屋でも使いたい。
というか、こんな魔術を使えるのなら、日頃から研究所を綺麗にしておけばいいのに。
「おい、何をやっている」
不意に声をかけられ、ほうきのセルフ掃除を見守っていた私とコリーさんは振り返った。
声の主は、オルディスさんだ。
今日は研究所に顔を出していたんだな。よかった。
(オルディス様、ここ最近は毎日研究所に顔を出しているんだよ。君、気に入られたね)
ひそひそ、とコリーさん。
「聞こえているぞ」
オルディスさんは、不機嫌極まりない声で釘を刺した。
竦み上がったコリーさんは、あたふたと私に代金を支払うと、そのまま「時間がないから」とか何とか言いながら立ち去って――逃げ去ってしまった。あの慌てよう、オルディスさんてば、やっぱり誰にでも厳しくておっかない人なんだなあ。
「お前もお前だ。油を売っていないで真っ直ぐ来ないか」
「す、すみません」
一週間ぶりに会ったというのに、いきなり怒られてしまった。
愛想の欠片もないオルディスさんの背中を追って、前回と同じ部屋へ向かう。こちらの部屋のごちゃごちゃっぷりは変わらないようだ。私としてはこの雑多な感じの方が好きだから嬉しい。まあ、私の好みなんざコリーさんには知ったことではないだろうが。
弁当を下ろした私は、オルディスさんに促されるまま椅子に腰掛けた。
「風邪を引いて寝込んでいたようだな。もう体調はいいのか」
「あ、はい。お陰さまでもう大丈夫です」
「相変わらずの軟弱ぶりだ」
心配をしているのか、単に文句をつけたいだけなのか。
私が頬を引きつらせていると、オルディスさんは自分にだけお茶を入れて(しかも魔術を使った)、口をつけた。あのー、私の分はないんですか、そうですか。
「お前としては、あの後のことが気になってしかたがなかっただろう」
いきなりの本題。
そりゃあ、そうだ。
ものすっっごく、気になっていたいましたとも。
ノエルとはち合わせしそうになったあの後、オルディスさんとノエルは何を話したのか。
「私からは、お前のことをウッドグレイ殿に話してはいない」
「――そうなんですか? 一言も?」
「ああ。だが、向こうではあの一瞬でお前に気がついたようだったがな。今のはハルーティアではないのかと、散々詰め寄られたさ」
あああ、やっぱり。気付いていたんだ。
私は頭を抱えたくなった。
「あれは弁当売りの娘だ、気になるのならば自分で確認するがいいと、投げておいたが」
「ノエルってば、それでわざわざ訓練場まで確かめに来たみたいなんですよ」
「ほう? お前が帰って一年半が経つというのに、殊勝なことだな」
オルディスさんはどこか面白がっているようだ。
殊勝というか……保護者気分が抜けていないのだと思う。
「この間廊下ではち合わせた時はつい逃げ出してしまったんですけど。よく考えたら、ノエルに一度きちんと会った方がいいのかなという気がしてきました」
「会って何を話す?」
「私は確かにこの世界にいるけど、ノエルの手を煩わせるつもりはないって」
「それであの男が納得するものか」
「そりゃあ、あの人の責任感が人一倍強いのは知ってますけど。立場的に、私に構っている場合じゃないことはノエルが一番よく分かっているはずです」
「立場的に、か」
オルディスさんは何かを逡巡するような様子を見せた。
怪訝な表情を隠さず、私は彼を見つめて先を促す。
「意外にお前も、ものが分かっているようだ」
……お褒めに預かり光栄でございます。
「お前の言う通り、これはお前とウッドグレイ殿の個人的な問題では済まされん。お前はかつて巫女だったのだ。その事実は、今のお前がどうであれ、いつまでもお前の周囲に何らかの作用をもたらすだろう」
「私には、もう神力が全然ないみたいですけど」
「神力の問題ではない。政治的、宗教的な力の話だ」
「……」
「先日ウッドグレイ殿が私のところへやってきたのも、そうした件に絡む話だった」
ノエルとオルディスさんが交わす、政治的、宗教的な問題に絡む話。
どんな件かは、大体想像がついた。
「現巫女に関する、神力の問題だ」