17.
私が巫女としてこの世界に召喚されたのは、世界の『気脈』を正すためであった。
この世界には、目には見えない『気』の流れがある。
それは縦横無尽に走っているようようでいて、実は、ただ一つの正しい“流れ方”が存在するのだそうだ。しかし『気脈』は、長い年月をかけて少しずつ歪んでゆくもの。その歪みが大きくなりすぎると、この世界のバランスが崩壊してしまう。草木は枯れ、水は干からび、地は揺れ、太陽が隠れる。
だから、定期的に『気脈』を正さねばならない。
異界からの巫女は、唯一『気脈』を操ることのできる存在だった。
そんな風に言われると、例えばモーセのように凄まじい術を使って世界を救うのだろうかと思いきや、そうではない。
この世界では、正しい『気』の通り道となる場所に、教会を建てていた。
巫女はそこへ出向き、祈るのである。
そうやって『気』を引き寄せる。祈りが成功すれば、引き寄せられた『気』はその場に定着し、正しい流れが作られるのだ。
私の役目は、それら全ての教会を巡り、祈りを捧げること。
幸い万事はうまく行った。
私が祈った跡には『気』が流れ、祈りの場は『聖域』となった。
あとはその『聖域』を何人の手にも触れさせず、守り通せばいい。
そしてその守護を司る役目が、後任の巫女であるアルディナ様に引き継がれたということらしい。
だから、私とアルディナ様は、同じ巫女でも与えられた役目はまるで違う。
しかし、立場は同じなのだ。
――『気脈』を守る、それだけが、私たちの存在意義の全てだった。
・ ・ ・ ・
国が異変に気づいたのは、割合最近のことなのだという。
それは、半年と少し前。
『気脈』の流れがほんのわずかに歪んでいる――。
当然ながら、それは非常にゆゆしき事態だった。
異界の巫女が作り上げた『気脈』は、通常四十年は乱れない。
それが、たったの一年で――。
ありえない。しかし、『気脈』の歪みは事実だった。
「原因は分かったんですか?」
もしかして、私が失敗したのだろうか。だとしたらどうしよう。
「少なくとも、お前が『気脈』を完成させた直後は完璧だった。お前に落ち度はなかったはずだ。……となると、あとは、完成後に何者かがそれを乱したということしか考えられない」
「だ、誰が?」
「それが分かれば苦労はせん。すぐに国を挙げて全ての教会を見て回ったが、『聖域』に目に見えた損傷はなかった。だが、『聖域』とは繊細なものだ。例えば、もし誰かがいたずらに手で触れただけでも、『気』の流れは乱れるという。今回もそうした些細な事故だったのかもしれない」
「そうすると、どうなるんですか?」
「巫女が『聖域』を安定させる」
――それは、私が?
オルディスさんは静かに首を横に振った。
「『聖域』を守るのは、今でいえばアルディナの役目だ。侵された『聖域』さえ判明すれば、巫女の力を持つ者が祈りを捧げることで、多少の乱れならば持ち直すだろう。だが、今現在、七つあるうちのどの『聖域』が侵されたのかは分かっていない。本来ならば巫女が察知してもよいものなのだが、アルディナにはそれが“見え”ないというのだ。王宮側は、『気』の乱れを認知しながら、どうしようもない状況にある」
なるほど。
ノエルがオルディスさんのところへやってきたのも、その『気』の乱れと『聖域』の安定のために意見を聞くためだったということか。
ノエルは、アルディナ様の護衛騎士だもんね。ただ未知の敵から巫女を守るだけじゃなく、巫女の精神的な支えになってあげるのも、護衛騎士の大切な役目だ。私もそうして、彼に支えられてきた。だからこそ、『聖域』の安定の問題も、ノエルにとっては他人事ではないのだろう。
「――『聖域』を侵した犯人についてはまだ明らかになっていないが、もしやと思しき“容疑者”ならば浮かびつつある」
「えっ」
だったらどうして、動かないの。
私の考えなどすっかりお見通しのオルディスさんは、苦々しげに言い捨てた。
「実際は、まだ“容疑者”とも言えぬ段階だ。こちら側の勝手な推測で『そうではないか』と考えているだけで、何の証拠もない」
「それで、その容疑者っていうのは?」
「今の巫女――アルディナの派閥を歓迎していない、対立派閥が存在する。その対立派閥は、後任の巫女選びの際、アルディナ側と揉めに揉めた。元々彼らは、お前にこの世界に留まってもらい、引き続き巫女を続けてもらいたいと考えていたんだ。当然、今でもアルディナ側のことを快く思っていない」
う、その話が出てくるのか。
もちろん私は当事者だったわけだから、その辺に関しては、実は少し知っている。
私は『気脈』を整えることで役目を果たしたけれど、その後もこの世界に留まって巫女を続けないかとスカウトされたんだよね。でも私は結局、元の世界に帰ることを選んだ。結構しつこく引きとめてくる人達がいるなとは思っていたけれど、それが今の、アルディナ様の対立派閥だったのか。
そうか、ということは、もし私がこの世界に残っていれば、アルディナ様が後任の巫女になることもなかったということになるのかな。そうすれば今の対立も起こらずに済んだのだろうか。
……わ、私のせい、じゃないよね。
でもとにかく、その対立派閥が、アルディナ様の足を引っ張ろうとして、わざと『聖域』を侵してしまったのかもしれない、というわけだ。
「全ては想像の域を超えていないがな」
オルディスさんは慎重につけ加えた。
それから、ひたと私を見据える。
「もしその対立派閥が犯人だったとしたら」
彼の眼差しは真剣そのものだ。
「お前をこの世界に再び呼び戻したのも、奴らである可能性が高い」
「私?」
思わぬところで自分の名前が挙がった。
声が裏返ってしまったが、ああ、でも、そうか。そりゃそうだ。そうなるよね。
「『聖域』を侵してアルディナの足をただ引っ張っても仕方がないからな。奴らはそうしてアルディナの無力ぶりを周囲に印象付けたうえで、役目を終えたはずのお前を再び召喚し、改めて巫女へと復職させたいのかもしれない。そう考えればつじつまが合う」
ええと、つまり、まとめてみると。
私は異界の巫女として、きちんと『気脈』を正しました。そのまま残って巫女を続けないかと誘われたけれど、それを断り帰ったために、仕方なく役目をバトンタッチということで、後任の巫女にアルディナ様が内定しました。
でも、それを面白くないと考える一部のお偉いさん達が存在しました。彼らはアルディナ様の邪魔をしてやろうと考えて、わざと気脈を乱し、アルディナ様を困らせたのです。そうしてアルディナ様への周囲の期待値を削ぎ落した上で、もう一度、異界の巫女――すなわち私を召喚し、擁立しようと企みました。しかし今現在、召喚したはずの私は行方知れず……。
(――えええええ)
なんということだ。
そんな政治問題に巻き込まれても困るよ。
それに、それに、一番困るのは――もはや私が、全くもって巫女の力を有していないってこと!
期待されても何も出ませんから!
今すぐ対立派閥のところへ飛んでいって、そう宣言したい。
しかし、彼らの手に落ちれば、できませんでは済まされない気がする。
「い……いっそのこと、アルディナ様側に私の身を明かして、保護してもらうのはどうでしょう? 今の話を打ち明ければ、相手側をうまく牽制してくれるかも」
「そうだろうか。私がアルディナ側の人間ならば、むしろお前を邪魔に思う。今更しゃしゃり出られては、それこそアルディナが役立たずの巫女だと世に吹聴するようなものだ。地下牢にでも軟禁するか――煩わしいなら、殺してしまうか」
ころ……!!
それはさすがに、ないでしょ!?
顔面蒼白になった私に、オルディスさんはフォローらしいフォローを一切くれない。
そうですよね、オルディスさんはそういう人ですよね。
そこまで考えが回っていながらも、今日まで私を完全放置しているような人ですよね。
「まあ、多少言葉が過ぎたかも知れん。曲りなりにも彼らは神に仕える身だ。異界の巫女を手にかけるなど罰が当たると、誰しも畏れることだろう」
私、やっと今の自分の状況を正しく把握できた気がする。
誰かが私を内密に手に入れようとしているって、つまりはそういうことだったのか。
これはどちらに転んでも困ったことになるじゃないか。
それに。
ますますノエルを巻き込むわけにはいかなくなてしまった。
むしろ、私がこの世界にいること自体、誤魔化し続けた方がいいのではないか。――ああ、でも、そこはもうバレてしまっているのか。いや、でも、確証はないはずだから、まだいけるか?
「ウッドグレイ殿と関わりを持たぬというお前の意思を、私は評価したが」
残念ながら、とオルディスさんは溜め息をついた。
「ウッドグレイ殿の方は、今のお前ほど物分かりがいい訳ではないらしい。そういう意味では、お前も腹を括るべきかもしれんな」
それはどういう意味?
ノエルは、何が何でも私を保護しようとしているってこと?
その気持ちはありがたいけど。
「ノエルって、本当に過保護な護衛ですね……」
私の力ない呟きに、オルディスさんからの返答はなかった。