18.

 さて、これまでの話ですっかり心細くなってしまった私だったが、オルディスさんもさすがに投げっぱなしはよくないと感じてくれたのか、私にとある「お守り」を授けてくれた。

 綺麗な石のブレスレットだ。

 元の世界でも、こういうの、あったなあ。パワーストーンだっけ。まさにそれだ。
 私は左腕にそれをはめ、陽の光に晒すように手をかざしてみた。 ほとんど透明に近いけれど、金と紫がまじりあったような綺麗な輝きを放つ石。
 ……なんだか高そうだけど、一般人の私が身につけていて大丈夫なんだろうか。
 そんな私の懸念をよそに、オルディスさんは、必ず肌身離さずつけていろと言う。もしも私の身に危険が迫ったら、このブレスレットが反応し、オルディスさんに即座に知らせてくれるそうだ。そういえば、巫女時代にも似たようなものを身につけさせられたっけ。いやはや、魔術というやつは便利すぎる。もっと広く世に還元すべきだと改めて思う。

 そんなことをつらつらと考えていた時だった。
 不意に響いた乱暴なノックが、私とオルディスさんの意識をその場に引き戻した。

「オルディス様、入りますよー!」

 間髪入れずに、元気な女性の声が続く。
 そして、こちらが返事をする間もなく扉が開いた。
 扉の向こうには、私よりいくらか年上という感じの若い女性が仁王立ちしていた。ふんわり柔らかそうなはちみつ色の髪に、少しつり気味の大きな目。まるで猫みたい、というのが第一印象の、勝気そうな女性だった。

「まったくもう、オルディス様ときたら! こんな若い娘さんを連れ込んで、部屋に侵入拒絶の結界を張るだなんて。一体何を考えておいでです?」
 子供の悪戯を咎める母親のような物言いで、女性はオルディスさんに食ってかかった。
 ……というか、いつの間にか侵入拒絶の結界なんて張っていたんですね、オルディスさん。

「ルーナ、断りもなく入室をするな」
「だって、私達はお腹が減っているんですから!」

 オルディスさんの底冷えする声音にも全く怯む様子を見せず、ルーナと呼ばれた女性はきっぱりと言い切った。私“達”……、あ、ルーナさんの後ろで、魔術師仲間らしき人達が何人もこっそりと部屋の様子を窺っているのが見えたぞ。

「ここのお弁当は、私達の二日に一度の楽しみなんですよ? それを何ですか、こーんな若い子と二人っきり、弁当まで一緒に密室に隔離しちゃうなんて! せめて弁当の入った籠は廊下に出してから結界を張るくらいの心遣いはして下さいよ!」
 そう言いながら、ルーナさんは弁当の籠へ駆け寄った。そして、まるで行き別れの我が子を見つけたかのように、籠を大事そうに抱え上げる。

「……そうだ、お嬢さん、この人と二人きりで、大丈夫です?」
 不意に思い出したように、ルーナさんは私にそう問いかけた。
 思いっきり弁当の二の次ではあるが、一応は私の身も案じてくれているようだ。
「は、はい。ちょっとオルディス様に、人生相談に乗って頂きまして……」
「人生相談ですか!」
 ルーナさんは大きな目を更に大きく見開いた。
「お嬢さん、こう言っては何ですが、相談相手を盛大に間違えておいででかと」
「はあ……」
 だろうなあ。
「人生相談ならば、そうですねえ、うちの魔術師陣で一番マシなのは、そこのコリーくらいのもんでしょうか。でもそのコリーも、遅く訪れた春のために、近頃はむしろ誰かれ構わず人生相談を吹っかけて回っている始末でして、まあつまりは、真っ当な助言をお求めならば、魔術師なぞに相談をするのはよした方がいいってことでしょうかね」
 取り留めもなく、ルーナさんはよく喋った。面白い人だ。

「もういい、ルーナ。その弁当を持ってどこへなりと行ってしまえ」

 オルディスさんが面倒そうにルーナさんを追い払う仕草をした。
 はいはいと、ルーナさんの返事は軽いものだ。ここまでオルディスさんを適当にあしらう人がいるとは、私には驚きだった。面白いを通り越して、もはや凄い。

「それでは仰せの通り、私は失礼しますよ。お嬢さんも、悪いことは言わないので、その魔術師からとっとと離れた方が得策でしょうね。そのお方が本気で結界を張ってしまったら、私には十年経ってもぶち破れそうにありませんから」
「は、はい。そうします」
 これだけずけずけ言えてしまうのは、さすがにルーナさんだけのようだ。
 他の魔術師達は遠巻きにこの状況を観察しながらも、一切口を挟もうとはしなかった。ただひたすら、ルーナさんの自由奔放な言動に目を白黒させるばかりである。私だってオルディスさんに軽口を叩く勇気などないのだから、彼らの恐怖に染められた気持ちはよく分かる。

「全く、小娘どもはどいつもこいつも面倒なものだ」
 三十代にして枯れたじいさんのような発言をかましながら、オルディスさんは立ち上がった。
「では、移動するぞ」
「え、どこへ?」
「伝えておいただろう。お前の今後の身の振りについて考えておくと」
 そしてオルディスさんは私の腕をしっかと掴んだ。

 途端、目の前の景色が、暗転した。

・   ・   ・   ・

「う、ううう……」

 次に視界が定まった時、私は先程とは全く別の空間に佇んでいた。
 よろり、と体が揺れるが、どうにか踏ん張る。船酔いにでもあった気分だ。

 どうにか周りを見渡すと、そこは研究所とは打って変わった豪奢な作りの部屋だった。
 天上も壁も精緻な模様が書きこまれ、色づかいも華やか。あまり広くはなく、家具なども置かれていない。いかにも王宮中心地にありそうな、控えの間という感じだった。

 どうやらオルディスさんが転移魔術を使ったらしい。

 転移の魔術を本領とするのは召喚師のはずなのだが、もともと術の系統は同じであるため、オルディスさんのような熟練した魔術師ならば、召喚術もある程度はお手のものということらしい。
 だが、道連れにされた方はたまらない。もともと魔術というやつは、人体の内部へ影響を及ぼすような術は非常に高度で御しづらいとされている。例えば、今のような転移魔術や変身の魔術、若返りの魔術等々。術を行使する方も大変だが、その術を受ける側も負担が大きい。できれば歩いて移動してもらいたいところだったのだが……。

「やっと来たか、オルディス」

 しわがれた声が部屋に響き、私はオルディスさんと共に振り返った。
 私たちのすぐ後ろに立っていたのは、白い髭の豊かな初老の男性だ。

「オトゥランドさん」
 私はぱちぱちと目を瞬きつつ、その名を呼んだ。
「お久しぶりでございますな、ハルーティア様」
 恭しく頭を垂れる姿を見守りながら、私はまだ驚きが抜けずにいた。

 オトゥランドさんは、私の巫女時代のもう一人の後見人だ。
 後見人その一である召喚師のルーノは結構な変人だったため、真面目かつきちんとした役職についているオトゥランドさんが、実質的には私の面倒を見てくれていた。なるほどこの人に任せておけば間違いがない、と言えるほど、何事にもきっちりかっちり取り組む人だ。ノエルとは違う意味での堅物で、私はこの人のことがちょっぴり苦手だったりする。
 いやあ、しかしそうか、オルディスさんが選んだ「信用のおける人間」とは、オトゥランドさんのことだったのか。確かに、無難かつ確実な人選だと思う。

「ハルーティア様に置かれましては、お変わりありませんようで何よりでございます」
 カラーリングのすっかり変わった私に向けて言うセリフか。
 心の中でつっこみを入れてから、いやいや、これでこそオトゥランドさんなのだと自分に言い聞かせた。この人は生真面目が服を着て歩いているような人なのだ。シャレの通じぬ相手が、気のきいた嫌味を言えるはずがない。

「オトゥランド殿、遅くなってしまい申し訳ありません。御前の準備はよろしいので?」
「うむ。既にお待ちであられるぞ」

 え、え、何? これから何が始まるの?

「よし、ハルーティア、行くぞ」
 オルディス様が顎で指した先には、立派な両開きの扉。
 本当に用があるのはこの控えの間でもオトゥランドさんでもなく、この先の部屋にいる人なのか。

「フラハムティ様、失礼いたします」

 フラハムティ様って、誰だっけ。凄い名前だから聞き覚えがある。
 微妙な表情をしている私に気づいたらしいオルディスさんが、こっそり「この国の宰相だ」と耳打ちしてくれた。ああ、宰相のフラハムティ様ね。そう言われてみれば、巫女時代に何度かお目にかかったことがあったはずだ。何かの重要な祭典の時なんかに同席する程度だったから、ほとんど面識らしい面識はないと言ってもいいけれど。
 そんな私とて、国の宰相というのが超重要人物であることくらいは理解している。簡単に言えば、国王から政治を任されたトップの人物……という認識でいいと思うんだけども。

 国のトップか……。
 誰にも知られず静かに帰りたかったのに、何故こんなことになってしまったのか。

 しかし、今更踵を返して立ち去るわけにもいかない。
 扉は開かれてしまった。

 さっさと先へ進むオルディスさんとオトゥランド様の背中を眺めつつ、私も観念して後へ続く。
 うわあ、今の控えの間を十倍くらい派手にしたような凄い部屋だ。一枚一枚磨き上げられた床のタイルには、私のスカートの中身が映り込んでしまいそう。良く分からないオブジェが壁際に置かれているが、あれは一体何を象っているのか。


「来たか」

 低い、静かな声が私達を迎え入れた。
 前を行く男性陣の隙間から窺い見ると、部屋の装飾に負けないくらい重厚な執務机で、中年の男性が仕事をしているらしいのが目に入った。オルディスさんよりは年上だけれど、オトゥランドさんよりも少し若い。白いものが目立ち始めた金の髪に、神経質そうな細い瞳。当時もあまり印象に残っていなかったせいか、こうして実際にフラハムティ様とやらを見てもピンとはこなかった。こんな感じのおじさんはたくさんいたからな。

「大変お待たせして申し訳ございません、フラハムティ様」
「よい。堅苦しい挨拶も不要だ、本題に入ろう」
 すっかり人払いも済んでいて、フラハムティ様の方では準備万端のようだ。
 私はといえば、親しくもない宰相様相手にどう振る舞えばいいのか分からないので、オルディスさん達の様子を窺いつつ黙っていることにした。

「さて、お久しぶりですな、ハルーティア様」
 と、いきなりこちらへ話を振ってきたので、黙って様子を見守る作戦は早速終了してしまった。

「は、はい、お久しぶりです、フラハムティ様」
 巫女の間に叩きこまれた礼儀作法は、すでにほとんど忘れてしまっている。頭の奥にしまい込まれた記憶を総動員して、どうにかそれらしく腰を落として挨拶をしてみた。
「また、随分と雰囲気が変わられたようですが」
 ぐ。
 「変わってないね」と見え透いたお世辞を言われるのも癪に障るが、こうはっきり「変わった」と指摘されるのもあまり面白くない。乙女心は複雑である。
「……面影はまるでございませんが、一応、本人のつもりでおりまして」
「そうでしょうとも。でなければ、オルディスが先に見抜いているはずですからな」
 どきりとして、私は隣のオルディスさんに視線を送った。
 しかし彼はしらっと前を向いたまま、私の視線にはまるで気がついていないという態度を見せている。一方、反対隣のオトゥランド様も、宰相の許可なく口を開くなどとんでもないと言わんばかりに固まったままだ。

 うう、何だか空気が重い。
 フラハムティ様自身は、私のことをあまり本人だとは信じていないような気がする。多分、オルディスが私の中の魔力……の、残りカスから本人だと言っているのを「信じてみるしかない」状態なんだろう。確かに、証拠はどこにも何もないし、仕方がない。

 逆に言えば、私は、この人達のことを信じていいのだろうか。

 突然そんな考えが頭の中に浮かんだ。
 オルディスさんもオトゥランド様も、当時からよく知っている人達だ。だから無条件に信頼していいものだと思っていたけれど、フラハムティ様の冷めた視線を受け止めていて、急激に頭が冷えてきた。

 ……いやいや、大丈夫大丈夫。

 例えばオルディスさんが私を召喚したのだとしたら、こんな回りくどいことをせず、さっさと捕獲して目的を達成しているはずだ。そうしないのは、彼にとっても私の登場は寝耳に水だったからに違いない。そう思わないとやってられないぞちくしょう。

 どの道私には、他に選択肢がない。
 このままただ、真っ直ぐに突き進んでいく以外には。