28.

 いつもより心もち小奇麗な格好をして――セナさんやご近所さんがいくつかお下がりをくれたので、意外に洋服持ちの私である――神官居住区へと足を運んだ。

 居住区内は、白い石作りが基調の、シンプルな内装になっている。
 中庭をぐるりと囲む形で敷かれた廊下には、アーチ状の大きな窓が等間隔に備えられていた。そして窓の反対側には、神官達の私室が並んでいるのだ。
 懐かしい。私はこの居住区域の中でも最奥で暮らしていたが、このヨーロッパの修道院のような雰囲気が好きで、よく居住区内を散歩をしていたものである。あの頃と何も変わっていない。

 居住区の入り口には、管理人と警備の兵士が一人ずつ控えていた。
 ソティーニさんと面会室で会う予定がある旨を告げると、管理人から紙に名前と住所を書くよう促された。当然、ここに住んでいた頃はそんな事務手続きは不要だったので、何だか新鮮だ。
 だが、インクのペンというのはどうにも苦手である。巫女の頃は、何十回とサインをする場面があったせいで「ハルーティア」の文字だけはすらすら書けるようになったのだが、あれからもう二年近くが経っている。震える文字で何とか記入を終えると、管理人に可哀想なものを見る目を向けられた。この世界の文字って、何だか記号みたいで書きづらいのだからしょうがない。

 面会室はとても広く、衝立ついたてで区切られたたくさんのスペースに、それぞれ椅子と机が置かれていた。部屋の奥へ行くと少し豪華になっているようだ。それでも個室とはいかないから、身分のある神官が面会に使うような部屋ではない。ソティーニさんはアルディナ様のお付きの高位神官のはずなのだが、庶民の私との待ち合わせということで、ここを使うことにしたのだろう。

 案内係の人に案内され、部屋の一番奥へ連れられる。
 途中のブースではちらほらと神官とその来客の姿があった。主には、家族との面会のようである。
 神官は見習いの間は自由に街へ出られないというから、ここで過ごす時間は数少ない外界との接点になるようだ。他の職種の人達は、王宮住み込みの人もいれば通いの人もいるけれど、王宮付きの神官は全員王宮で暮らす決まりなのである。

 通されたブースには、ソティーニさんの姿はまだなかった。
 手前の席に腰を下ろし、手に提げていた籠を机の上へ置く。いつもの大きな籠ではなく、ピクニックにでも行く程度の可愛らしいバスケットである。

「あら、ちゃんと来たのね」

 後ろから声をかけられ、私は席を立ちつつ振り返った。
 先日見かけた時と変わらぬ格好のソティーニさんだ。ようこそとかお待たせとか、そんな爽やかな挨拶は期待するだけ無駄のようである。

「こんにちは、ソティーニさん。お弁当をお持ちしました」
 あ、しまった、「様」にするのを忘れた。
 しかしソティーニさんは別段気を悪くした様子もなく、さっさと席へ着いた。
「ご苦労さま。掛けてちょうだい」
 言われるままに私も着席する。その間も、ソティーニさんの視線は真っ直ぐ籠の方へ向いていた。
「これが例のお弁当なのね」
「はい、お口に合うといいんですけど」
「開けてみてもいいかしら」
「もちろんどうぞ」

 今日のソティーニさんは、割合落ち着いているようだ。
 前回同様、喧嘩腰で迫ってくるかと思っていたから少し肩の力が抜けた。

 弁当箱のふたを開けたソティーニさんは、色とりどりのおかずが並ぶ様に目を見開いた。初めてうちの弁当を見る人のリアクションと同じだ。私は密かに、この驚きと喜びの入り混じった表情を見られる瞬間が好きだった。

「これが、王宮の兵士や魔術師の間で話題になっているお弁当なのね」
 ソティーニさんは興味津々という様子で、色々な角度から弁当を眺めている。
 よし、掴みはかなりよさそうだ。
「頂くわ」
 早速ソティーニさんは、フォークを手におかずの一つを口へと運んだ。
 私の心臓は、早鐘のように激しく脈打っている。
 正直、覚悟してきたとはいえ、この弁当をけなされるのはかなりつらい。私自身のことならどう言われても構わないが、これはご主人達が丹精込めて作った愛情弁当なのである。

「……美味しいわ」
 ソティーニさんは、ぽつりと呟いた。
 やった! ソティーニさんがうちの弁当を美味しいと言った!
 というか、別に初めからけなすつもりがあったわけではないのだろうか。だとしたら、勝手に嫌がらせ目的と決めてかかった私の方が反省しなくてはならない。

「これでおいくら?」
「四百ビル頂いています」
「まあ、そんな安価で?」
 いいところのお嬢様らしいソティーニさんには衝撃の安さだったらしい。食べる手をとめないままに、へえとかふうんとか、しきりに感嘆の声をあげている。
「オルディス様も、このお弁当をお気に召されたのね」
 いや、だからオルディスさんは食べてませんってば。
 内心でそうつっこみつつも、この弁当が全てを丸く収めてくれそうだったので黙っておいた。
「これが、庶民の味。私の知らない味なのだわ」
 そう言うと、ソティーニさんは何かを思案する風に黙り込んでしまった。こちらから声をかけるのも憚られる雰囲気だったので、同じく口を引き結んでソティーニさんの様子を見守る。念のためにと持ってきたハーブティーを差し出すと、小さく礼を言ってソティーニさんはそれを飲み干した。

「あなた、ハルカと言ったわね」
「は、はい」

 私は居ずまいを正した。

「このお弁当、とても美味しいわ。ぜひまた持ってきてちょうだい」
「えっ」
「もちろん、今回の分も合わせてお代はきちんと払います。毎日とは言わないわ。お願いしたい時は、遣いの者を食堂のリックとやらに寄こしますから」
「あの、でも、一応そういうのは王宮側の許可がないと……」
 本当なら今回だってアウトに違いないのだ。勝手に身分ある神官へ弁当を配達するなんて。
「お弁当程度のことならば、私の判断がすなわち王宮の判断と考えて結構です。誰かに何かを言われたら、私の名前を出しなさい」
 有無を言わさぬ迫力のソティーニさん。神に仕える信徒というよりは、どこかの女帝のようなオーラさえ漂っている。
 結局断り切れず、その後もソティーニさんに弁当を届けることになってしまった。

・   ・   ・   ・

 それから数回、ソティーニさんに弁当を配達した。

 毎回決まって神官居住区の面会室で渡しているのだが、初回以降はソティーニさんとは別の女性が受け取りに現れた。そのため、やりとりはいたって事務的なものであり、オルディスさん云々の話はうやむやになったままである。
 私としては、今更その話を引っ張り出されてもどうしようもないので、この流れに全く異論はない。そもそもここ数日はオルディスさんと会うこともないので、ソティーニさんの方も気が済んだのかもしれない。

 しかし。
 私を召喚した何者かを見つけ出す件はどうなっているのだろうか。
 オルディスさんと会えないと、その辺の話が全く分からないままになってしまう。何も進展のないままに、ただ王宮と定食屋を弁当配達のため往復している毎日。個人的にはとても充実した日々だけれど、元の世界に帰るという最終目標からすると、どうもまずいという気になってしまう。
 そろそろオルディスさんに会わなければならないな。
 とは言っても、向こうが魔術研究所へ足を運んでくれなければ、私にはどうしようもないのだが。もちろん、オトゥランドさんや宰相のフラハムティ様に私から会いに行けるはずもないし。


 そんな風に、やきもきした気持ちを抱えつつ過ごしていたある日のことだ。

 その日は、久々にソティーニさんが弁当の受け取りに現れた。
 おや、と不思議に思いながらも、頭を下げる。
「お久しぶりです、ソティーニさん」
「ええ、久しぶりね。お弁当の配達、ご苦労さま」
 おお、少し会わない間に、まともな挨拶が交わせるようになっている。弁当が私の印象すら好転させてくれたのだろうか。ソティーニさん自身が言った通り、相手の胃袋を掴むというのは対人関係において効果絶大のようである。

「今日、この後少しお時間よろしいかしら?」

 唐突に、ソティーニさんはそんなことを言い出した。
 何だろう。何となく、ろくな話ではなさそうだ。

「……どういったご用件で?」
「あなたに会わせたいお方がいるのです」
「会わせたいお方というのは?」
 嫌な予感と共に弱々しく問いかけると、ソティーニさんはちらりと周囲に視線を走らせた。
 ここはいつもの面会室だから、当然ながら衝立の向こうには人がいる。それを気にしたらしいソティーニさんは、ふるりと首を横に振った。
「これから案内いたしますわ。詳しくはご本人からお話があるでしょう」
「や、あの、待って下さい! 私、実はすぐに戻らないと」
 絶対によくない何かが待ち受けている。予感を確信に変えて、私は拒絶の意思を表明してみた。どうせ私に拒否権はないだろうと思いつつの悪あがきだったが、案の定だ。ソティーニさんは鋭い眼光で以って、私を震え上がらせた。

「本来ならば、あなたのような一介の町娘が簡単に会えるような方ではないのよ。非常に光栄なことだと、しっかりその頭に刻み込んでついてきなさい」
 そんな勿体ない方なのだったら、私は別に会わなくてもいいんですけど……。

 ソティーニさんに強制的に連れられながら、私は居住区の奥へ向かって歩いていた。
 部外者である私は立ち入ることが許されていないはずだが、誰も私を咎める人はいない。それだけソティーニさんがここで幅を利かせているということなのだろう。巫女の付き人というのは絶大なる権力を誇っているようだ。私の時にも確かによく見る顔の女性神官が何人かいたけれど、彼女達も同じように身分のある人達だったのだなと、今更思い当たった。

 随分奥までやって来た。
 そして私は、ここまでの道のりをよく知っている。
 二年近いブランクがあるとはいえ、それまでは毎日のように歩いていた廊下なのだ。そう簡単には忘れやしない。――そう、巫女の部屋までの、この道のり。

「ソティーニさん、それで、これからお会いする方って」
 早足で前を行くソティーニさんに問いかけると、彼女は静かに足を止めて振り向いた。
 そして、非常にもったいぶった調子で口を開いたのである。

「私の主――巫女アルディナ様よ」

 ああ、やっぱり。
 そうなるような気はしていたんだ。