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二つの星、一つの月

11月29日

 今日はムカつくことがあった。
 私の「怒りゲージ」はMAXどころか、とっくにそんなモンぶち切って空の彼方まで跳ね飛んで行くぐらい、ムカつくこと。
 変な男が、夜道で女子高生にちょっかい出してたんだ。

 その男は何か絶対自分をイケメンだと思い込んでる勘違い野郎で、ホント「はああ?」って感じだった。ヒラメみたいな変な顔してヘラヘラ笑って、すっごいキモイ。女子高生も明らかに嫌がってるのに、「一緒に遊ぼうよ〜」なんて絡んでかなりしつこいし。
 女子高生は塾の帰りかなんかだったんだと思う、コンビニからちょうど出てきたところを、同じくコンビニから駆け出してきたこの男に捕まった。私はそのコンビニの外で友達を待ってて(車出してくれることになってた)、男が女子高生に声かけたところからなんとなく様子を眺めてた。最初は「ウザっ!」とか思ってただ傍観してたものの、男の方があんまりしつこいんで我慢できなくなってしまって。

「ちょっと、アンタさあ。この子嫌がってるじゃん。いい加減やめれば?」
「はあ?なんだよてめえ」
 男はジト目で私のことを睨みつけてきた。けど、そんなので怯むくらいなら私だって最初から止めに入ったりしない。
「アンタ、ウザいっつってんだよ。どっか行けよ!」
「んだと!てめえに関係ねぇだろっ。てめえこそ消えねえとぶっ殺すぞ!」
「ふざけんなよこのヒラメ顔が!そっちこそ三枚におろされたいのかよ!」
 私の後ろの女子高生は、この事態に驚いたみたいだけど、逃げるわけにも止めるわけにも行かずうろたえている。私のほうは、久しぶりの喧嘩ってのもあってかなりテンションが上がってしまった。しかし三枚におろすって何だ。我ながらセンスの無い啖呵を切っちゃったよ。
「マジてめえ、後悔すんなよっ」
 気の短いらしいそのヒラメは、イキナリ私に殴りかかってきた。すかさず私はそいつの股間を蹴り上げてやる。
「ぐおっ」
 手加減無しだ、痛いだろ。ざまあみやがれ。
 ヒラメはうずくまってしまったけど、私のほうはまだ気が治まらなくてその男の丸まった背中を足で小突いてやった。
「今までも散々こうやって嫌がる女の子に絡んでたんでしょ。だったらもっとボコボコにされても文句言えないんじゃん?言っとくけど、もうすぐ私の友達来るから。男も四人いるよ。これ以上暴れるんならもっと痛い目見んのそっちだから」
 ごりごりとヒラメの背中を踏んづけていると、――突然ぐいっと後ろから腕を引っぱられた。
 私はその弾みでふらついて、よろよろと後ろに下がってしまう。女子高生が引っぱった!?と一瞬思ったけど、それにしては妙に力が強いみたい。ヒラメの仲間が来たのかと睨みを利かせつつふり返ると、そこに立っていたのは確かに若い男、だけどヒラメとは住んでる世界がまるで違うような落ち着いた身なりの男だった。
「……何?」
 睨んでしまった手前、引っ込みがつかなくてつっけんどんに問いかけた。
「君、もういい加減止めた方がいいよ」
 男は見た目どおり落ち着き払った静かな声でそう告げる。私には「は?」って感じだ。
「こいつも悪いけど、そこまですることじゃないと思う。あんまりやると、どっちが悪いのか分からなくなるよ」
 ……む。こっちは人助けをしたつもりだったのに、なに、私悪者?
 男は私が不機嫌に押し黙ったのを気にもせず、打って変わって優しげな目で側に佇んでいた女子高生に顔を向けた。
「君も大丈夫だよね?」
「あ、は……はい」
 女子高生はこくりと頷く。
「大変だったね、こんなところで変な男に絡まれて。良かったら、家まで僕が送ろうか?それとも家族の方に迎えに来てもらったほうが安心かな」
「あの……、親に、電話します」
 それがいいよ、と男は穏やかに頷いた。……あのー、私の立場は一体。
 男はさらに、うずくまったままのヒラメへあろうことか手を差し伸べた。その腕を取って、ふらつくヒラメを立たせてやる。
「あんたもこれに懲りたらこういう悪質なナンパは止めた方がいい。警察呼ばれてもおかしくなかったよ」
 ヒラメは「くそっ」と何の役にも立たない捨てゼリフを残して立ち去っていった。……あのー、私も「くそっ」って感じなんですけど。
 そりゃ、ちょっと、やりすぎたかなーと思うよ。えげつないやり方だったなとも思うし。でも、私、女子高生を助けてあげようとしたんであって、ヒラメをダシに暴れようとしてたわけじゃないのに。
 男は女子高生の親が来るまで側についていて上げることにしたみたいだった。女子高生もそいつのお陰かだいぶ気持ちも落ち着いたようだし、じゃあまあ、良かったんじゃない。――ジャマ者の私は、さっさと消えますよ。
 友達が来ることなんて、なんかどうでもよくなっちゃった。それより今日はもう帰ろう……。踵を返した私に、男が「待って」と声をかけてきた。
「……」
 何よ、と目だけで問いかけると。
「ヒラメってさ。三枚じゃなくて五枚におろすものだから」
「……」
 ぴき、と私のこめかみが音を立てたようだった。
 すると男は初めて笑って、
「うそうそ。いや、嘘じゃないけど、冗談だよ。ごめん。――よくあの男からこの子助けてあげたね。かっこよかったよ。ほら、君もお礼を言わないと」
 隣の女子高生の腕をつついた。女子高生も慌てたようにペコリと頭を下げて、「ありがとうございました」と可憐に呟いた。
 私はどうにも気まずくて、「ああ」だか「うん」だか良く分からない声を発すると、その場から逃げるように走り去ったのだった。

 ――くそう、あの男。思い出したぞ。同じ学科の石倉英治じゃないか。

・   ・   ・

 寒さも本格的になってきた。朝晩の冷え込みは特に強くて、近所のコンビニに足を運ぶことさえ億劫に感じてしまう。
 けれどまさに今この時、僕はこの冷え切った夜の道、近所のコンビニ目指して早足で歩いていた。家の牛乳が切れてしまったんだ。僕はあまり飲まないのだけど、妹が毎朝飲むのを習慣にしているから仕方なく買いに行くことにしたというわけだった。
 それにしても本当に寒い。夜の澄んだ冷気にあたると、今年ももうすぐ終わりなのだなという実感が湧いてくる。早かったな……一年が過ぎるのもあっという間だ。

 コンビニの明かりが見えてきた。同時に、その灯りに照らされた人影もぽつぽつと目に入る。コンビニの駐車場に人がいるみたいだ。別に珍しいことではない。このコンビニは駐車場が広いせいか、時々若い人たちが数人で固まっていることがある。今夜もそんなところなのだろうと最初は思っていた――だが、どこか様子がおかしい。
 若い男と若い女性が、なにやらもめているようだ。カップルが喧嘩でもしているのだろうか、そう思ったが、片方は女子高生らしく非常に困惑した様子を見せている。性質(たち)の悪い男に絡まれているようだ。助けてあげなくては、そう思いつつ駆け寄ると、側のガードレールに腰かけていた別の女性がさっと二人の間に割って入った。

「ちょっと、アンタさあ。この子嫌がってるじゃん。いい加減やめれば?」
「はあ?なんだよてめえ」
 気丈な声で女性は男を注意したが、男も凄みのある視線でその一言を突っぱねた。これでは助けに入った女性もかわいそうだと、一歩を踏み出した、その瞬間。
「アンタ、ウザいっつってんだよ。どっか行けよ!」
 男よりも更に凄みのある返事が投げつけられた。
「んだと!てめえに関係ねぇだろっ。てめえこそ消えねえとぶっ殺すぞ!」
「ふざけんなよこのヒラメ顔が!そっちこそ三枚におろされたいのかよ!」
 すごい。僕は思わず感心した。こんなにガラの悪い男に一歩も引けをとらないとは、世の女性も随分強くなったものだ。しかし相手の男はもちろん感心するどころではなかったらしい。逆にその逆鱗に触れたらしく、
「マジてめえ、後悔すんなよっ」
 あろうことか女性に殴りかかっていった。
 これはさすがに止めなくては。自分が代わりに殴られるのを覚悟の上で女性の身を庇おうとした、僕だったが。
 ますます驚いたことに、女性は男を蹴り飛ばしたのだ。依然として全く怯む様子のない彼女を見たところ、もしかしたらこういう場面に慣れているのかもしれない。男はなす術もなくその場に崩れ落ちた。僕の覚悟も行き場をなくして漂っている。側でおろおろと様子を見守っている女子高生と目が合って、この場をどう収拾すればいいだろうかとお互い無言で相談しあった。けれど、いいアイディアは浮かんできそうにない。
「今までも散々こうやって嫌がる女の子に絡んでたんでしょ。だったらもっとボコボコにされても文句言えないんじゃん?言っとくけど、もうすぐ私の友達来るから。男も四人いるよ。これ以上暴れるんならもっと痛い目見んのそっちだから」
 女性は男を足蹴にしながらそう言い放った。
 ……ううむ、男の自業自得だが、それにしても絡んだ相手が悪かったようだ。ここまでやられれば、男も自分のしでかしたことを後悔しているだろう。それに、コンビニの店員がこの騒ぎに気づいてこちらの様子を伺い始めている。このままでは一体誰が悪かったのか分からなくなってしまいそうだ。
 僕は彼女の腕を引いて、なだめにかかった。
「……何?」
 挑むように、鋭い目線を僕に向けて。情けないけれど、少したじろいでしまった。
「君、もういい加減止めた方がいいよ。こいつも悪いけど、そこまですることじゃないと思う。あんまりやると、どっちが悪いのか分からなくなるよ」
 むっとした表情、けれど彼女もさすがに反論はしなかった。なるだけ早くこの場を収めたほうがいいと見えたので、そのまま側で佇む女子高生に助けを求めて声をかけた。
「君も大丈夫だよね?」
「あ、は……はい」
 彼女もこくりと頷いてくれる。
「大変だったね、こんなところで変な男に絡まれて。良かったら、家まで僕が送ろうか?それとも家族の方に迎えに来てもらったほうが安心かな」
「あの……、親に、電話します」
 それがいいと、僕も思った。さて、あとは情けないことにまだ地面にうずくまっているこの男を追い払うだけだ。僕は男の腕を取ると、無理やり立ち上がらせた。半分泣いているような様子だが、どうにか歯を食いしばって耐えているようだ。長い前髪がその表情を隠していてはっきりとは分からなかったけれど。
「あんたもこれに懲りたらこういう悪質なナンパは止めた方がいい。警察呼ばれてもおかしくなかったよ」
 警察、という言葉を出せば、こういう奴は大抵身構えるものだ。このときもやはり「くそっ」と小さく呟いただけで、早々に場を立ち去ってくれた。本当なら口先だけでなく警察を呼んだ方が良かったのかもしれないけれど、まあ今回ばかりは彼女の「一撃」が相当こたえたことだろう。
 やれやれ、これで一応収まったかな。念のため女の子の親がやってくるまで、ここで一緒に待っていることにした。僕自身も怖がられるかなと思ったけれど、どうやらそれも杞憂で済みそうだ。さて、後は……と、辺りを見回すと、なんだかこちらも泣きそうな顔をした彼女の顔が目に入った。――つい先ほどまで、あんなに気丈に振舞っていたのに、どうしたんだろう?
 そう思ってから、すぐに自分が彼女をまるで悪者のように扱ってしまっていたことに気がついた。そうだ、彼女はただ女の子を助けてあげただけなのに――。
 ぐっと唇をかんだ彼女を見ると、つい今しがた勇猛な立ち居振る舞いを見せていた女性と同じ人物とは思えなかった。悔しそうで、でもそれ以上に悲しそうで。
(あ……)
 何か言おう、と口が勝手に動いていた。けれどそれが言葉となる前に、彼女は背を向けて駆け出した。
「待って」
「……」
 引き止めてから、一体何を言おうとしていたのか分からなくなってしまう。だからなのか、この場ではまるで見当違いなことを口走ってしまった。
「ヒラメってさ。三枚じゃなくて五枚におろすものだから」
「……」
 瞬時に彼女の表情が怒りに染まる。その顔が妙に生き生きとして見えて、僕は心底ほっとした。
「うそうそ。いや、嘘じゃないけど、冗談だよ。ごめん。――よくあの男からこの子助けてあげたね。かっこよかったよ。ほら、君もお礼を言わないと」
 隣の女子高生の腕をつついた。女子高生も慌てたようにペコリと頭を下げて、「ありがとうございました」と可憐に呟いた。礼を言われた彼女は少し照れたみたいだ。でも今更その怒りを引っ込めることはできないのだというように、「うあ」と奇妙な返事をよこした。そしてそれを誤魔化すように、さっと走り去っていく。

 ――うん、あの子。間違いない。同じ学科の長谷川由恵だろうな。

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